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小さな王子さま 1人称版

作者: 千花夕夏

小さな王子さま



 大通りでは、戦闘から帰還したパイロットのパレードが行われている。 

 その喧騒をよそに、母さんは、つぎつぎと荷物を鞄に詰めこんでいた。「シゾン、あたしたちは絶対安全な土地へ引っ越すのよ」というのは母さんの口癖だったが、今度こそ本気らしかった。

 僕は、小さな部屋の隅で旧いTVをみている。母さんのその口癖を聞くたび、僕は細い足を抱えて黙りこむことにしていた。賛成しても反対しても母さんを悲しませ、時にはめちゃくちゃに打たれるからだった。三年前、六歳のときに父さんが死んでからというもの、僕は一度も母さんを満足させられたことがない。気づいたら僕は、とても無口になっていた。

 TVには、パレードの様子が映し出されている。大写しになっているパイロットは、遠く危険な場所から見事に帰還したのだ。色とりどりの紙テープの嵐の中、敬礼する姿勢を崩さないでいる。 

 パレードに行きたかったけれど赦されなかった僕は、画面を食い入るようにみつめていた。運命に決然と従いながらも自由の香りをその体から立ちのぼらせているパイロットは、立派な、男……。

 けれど、彼がぐっと顎をあげ、ほんの少しの間、その視線が青い空をさまよったとき、僕は、パイロットの瞳の奥に根深く暗い何かが横たわっているのを感じとった。―――彼の瞳を直にもっと奥深くまで覗き込んで、そこにあるものを知ってるよと伝えたい―――突然襲ってきたその衝動があまりに強かったので、戸惑い、僕は目を伏せる。

 「ロスク空尉は、明日また飛び立ちます、空こそが彼の生きる場所なのです」アナウンサーの感極まる声がした。パレードが過熱すればするほど残酷な気がして、僕は手を握り締める。

 手の中には、苦しいときに何度も眺めてきた古い写真があった。その中央には海軍学校の最優秀パイロットだった時代の誇らしげなロスクが写っている。一度も会ったことはないが、ロスクは僕の曽々祖父の弟にあたる人物だった。そして、僕が生まれる前から英雄だった。

 TVのロスクは、百二十年前の写真と変わらない姿をしている。まるで不老不死のように、本当に変わらない姿で僕の前に現れたのだった。


※※


 紙テープの残骸が残る道を、真夜中に駆けていく。

 その夜、僕は父さんが生きていた頃に暮らしていた屋敷の前にいた。門の前に立つと、懐かしさで胸がしめつけられる。一見、何も変わっていないように見えた。玄関に掲げられた国旗、すげかえられた紋章、そして金箔の「迎賓館」というプレート以外は。

 今晩、ロスクはここで眠っているはずだった。僕が正面扉に手をかけると、なぜか扉はあっさりと開いていく。警備はこれで大丈夫なのかと逆に心配になるほどあっさりと。

 真っ暗な屋敷の中は、階段の数や手すりの位置まで体が覚えているままなのに、何かが大きく変わっていた。匂いだ、と僕は思う。かつては、屋敷中が父さんの書斎のようで、煙草くさく、読みかけの本があちこちに積み上げてあった。僕は父さんを真似て日当りのよいカウチを選んで本を読んだり、昼寝したりしたものだった。今では、父さんのけはいは一掃され、どこもかしこも気持ち悪いほど清潔すぎるのだった。

 「……!!」

 廊下の奥まで来て、僕は悲鳴をあげそうになる。かつて、少女の踊り子像があったその場所には、見たことの無い巨きな肖像画が掛かっていた。その太った人物は、王冠をかぶり禍々しい眼光を放ち、今にもこちらに向かって倒れてきそうだった。

 足が震えている僕を、抱きすくめるように低く甘い声がする。

 「悪趣味な絵だよね」

 振り返ると、暖かい明かりのついた部屋から、ガウンを着て片手に酒瓶を持った、背の高い男がふらふらと出てくるところだった。眠い目をして、茶色の髪はぼさぼさだったが、それはあのロスクだった。

 「こいつは、私の一族を捕まえて皆殺しにした奴だ。私のことも恐くてたまらないのさ、本当は。」

 そう言うと、ロスクは酒瓶を激しく上下に振り始める。そして、ためらいなく栓を抜いた。赤い液が勢いよく飛び出し、その泡がベッタリと肖像画にふりかかり滝のように床まで流れ落ちる。

 「驚かなくていい、ここは私の生まれた家。誰かに渡した覚えも、客扱いされる筋合いもないから」

 僕は、ロスクから一時も目を離せなかった。瓶の中身がなくなると、ロスクは傍のカウチいっぱいに寝そべる。昼間の姿からはほど遠い、猫科の獣のように怠惰で優雅な仕草だった。

 「君、どこからきたの?」

 問われても、何も言葉が出てこなかった。会えば全てが、伝わると思っていたのだ。顔が火照っていくのがわかった。 

 「私とどこかであったことがあるかな?」

 手招きされた僕は吸い寄せられるように、ロスクへと近づいていった。

 「君をみてると誰かを思い出す気がするんだが」

 長くて節のある指で、顔を包まれ、じっと見つめられると、ロスクの飲んでいる濃い酒の匂いがした。その瞳の奥を見つめ返そうとしたが、どうしてもできなかった。優しくされると、心臓にナイフをつきつけられているような気持ちがする。

 「そんなわけないな、タクシーを呼んであげるから帰りなさい」

 突き放されると、途端にしがみつきたいような気持ちに駆られた。

 「………。」

 「ほら、記念にこれをあげるから。泣かないで」

 ロスクはあわてて、ポケットの中から小さな人形を取り出し、僕の手に握らせる。それは、頭が尖り、短い足を無理やり組み、にぃっと笑う宇宙人の子どもみたいな人形だった。

 「日本人パイロットがくれたビリケンというお守りさ。足に触ると夢がかなうんだとか。私には必要ないものだから、君にあげよう」

 ロスクの言葉の、ロスクの行動の、ひとつひとつの本当の意味を考えると、体中に「ごめんなさい」と「好き」があふれ、他には何も、自分さえも、無くなってしまった。僕は、その奔流に抗うように人形をロスクの胸に押し返す。

 ロスクは、少し驚いた顔をしたあと、つくづく面白そうに僕を眺めた。僕をカウチに座らせ、耳元で語りかける。

 「君はどうしてそんなに頑固なの?まるで星の王子様みたいだ」

 そして、ロスクは笑いながら信じられないようなことを言った。

 「君には本当の話しか通じない気がするから、本当の話をしてあげる。よく聴いて、私のことなど大嫌いになればいい」

 ロスクはそういうことをさらりと言い、僕を抱きしめながら、もつれる舌でゆっくりと話し始めた。僕はされるがままに、身を堅くして聞いていることしかできなかった。

 「危機に瀕したパイロットが何を考えているかわかるか。例えば、酸素タンクが壊れて自分の吐きだす二酸化炭素をゆっくり再呼吸しているような時さ。自分の吐いたガスを吸いながら時間をかけて死んでいくのは苦しい。

 すぐそばには、手でハンドルを回して開ける通気孔があって、それを一回転させれば、気圧の変化で心臓と肺と脳を上手に損傷させることができる、ごく数秒間で、苦痛もなく完結する。それなのに、一秒でも長く生きようとしてそれを選ばないのは、ただ、妻や子どものことを考えているからだ、もう一度会いたい触れたいってそれだけだ。自分が軍人だなんてこと思いつきもしないさ。

 私はたぶん、次のフライトで死ぬんだと思う。人の命というのは短いものだな。妻も子どもも瞬くような間に死んでしまったし、ここには誰もいなくなったし、屋敷も奪われた。そういう力の源がもうこの世界にないのがわかるんだ。 

 でも、死ぬのは恐くない。何度もコックピットの窓越しに、大爆発を―――何もかもが輝きながら消えていく爆発を―――見てきた。この世界では、そんな爆発が一秒に一回はどこかで必ず起きている。君が見たらどう思うだろうな、私にとってはいっそすがすがしい光景なんだ。」

 ……両手が熱くて重くて、僕は自分の手のひらを見た。真っ暗な大星雲。そこに漂う小さな塊。その塊に、まだ命があると気づいている、ただ一人のひとはどこ。

 気づいたら、僕は泣いていた。いつのまにか眠ってしまったロスクをおいて、取り返しのつかない気持ちのまま僕は逃げ出した。


※※※


 「何処に行っていたのシゾン?勝手なことをするから、計画がめちゃくちゃよ、もう引越しはできないわ、お前のせいだからね」

 「お前の父親の血は呪われているから、みんな殺されたの。離婚して私の姓になったから、あんたは生き残ったのよ、もっと感謝しなさい」

 明け方に家に帰った僕はベッドに篭り、半狂乱の母さんを何とかやりすごした。今までは、冗談だと思って聞いていた口癖の数々が、金槌で打つような痛みで僕を責めたてる。今日一日、僕のどんな些細な反応でさえ、母さんは見逃さずに攻撃のきっかけにするのだった。

 夕方になるとやっと疲れたのか、母さんはTVの前に座り無表情で画面をみつめていた。この世界の大勢の人と一緒に、ぼんやりとその瞬間を待つことにしたのだろう。ロスクの乗った宇宙ロケットが打ち上げられる瞬間を。

 僕は、母さんのもたれるソファの後ろでそっと、TVの音声だけを聞いていた。「次にロスクが帰還するのは九十年後です」とアナウンサーが喋っている。僕は思う。これから先、何が起こるかわからないが、夕闇迫る中、ロスクのロケットが時空を越えて宇宙の彼方へ飛び立つとき、何を感じたのか、憶えておこう。

 赤いカウチの上で冷たくなって眠っていたロスクのことを思い出す。ロスクは、次のフライトで自分が死ぬとわかっていた。たとえそうだとしても、どうしてあの夜、大爆発後に生まれる黒い星雲に、この手にあった可能性を全て投げこんでしまったのだろう。今できる唯一のことは、必死に耳を澄ますことだけだった。

 やがてカウントダウンが始まり、大きな音が響き、画面が白くなる。小さな部屋にホワイトノイズが立ち込める中、僕は最後に呟いた。

 「……連れて行ってくれ」


 僕の発した声に驚いて母さんが振り返るとき、僕はもう、そこにはいない。僅かな荷物を抱え、とっくに暗くなった道を駆け出していた。




3人称版はこちらに

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― 新着の感想 ―
[良い点] 字面、ストーリーを追うと悲しい話のはずなのですが、なぜか悲しみというかマイナスの感情を抱かせず、どこか透明感と硬さのある作品でした。表現として正しいのか分かりませんが、鉱物の標本を眺めてい…
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