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3-00【過去】―シャルロットSIDE―

 古びた調度品が立ち並ぶ室内に、奇妙な取り合わせの人影があった。 着床台の上に備え付けられた幼女の生首と対面するのは、白蝋の肌に黒髪の女性と奇抜な衣装に身を包んだ青年である。

 ここは断崖都市ジャッジサイド。 教皇庁の座すルブリス島と海峡を挟み隣接するクシュ島に建築された自治都市。 住人の大半は、神都の定住資格から溢れた者たちで構成された低所得者層の拠り所であり、ソウルガイス諸島群において、唯一、宗教的権威から切り離された歓楽街でもあった。


「どうやら一杯喰わされたようだな」


 エドゥアルトが一連の騒動を思い起こして溜息を吐く。

 地下霊廟から地上へと戻った一行を待ち構えていたのは、大聖堂を取り囲む完全武装の神官兵であった。 首人を伴ったシャルロットたち一行が、元老院の追っ手を逃れて、この断崖都市に辿り着いたのは、ほんの数刻前である。


「命があっただけでも女神に感謝致しましょう」


 宗教人の思考構造で物事を解釈するファティマ・イス。 もっともこの女枢機卿の信仰心には、一癖どころか二癖三癖とありそうだ。


「処刑人さまさまと言った方が正確ではあるがね」


 エドゥアルトの皮肉通り、あの頑強な包囲網を突破出来たのは、首人の連れた処刑人たちの活躍があったればこそで、ファティマ・イスもそこに反論を挟む余地は無かった。


「まさか、元老院があのような強行手段に打って出るとは計算違いでしたわ」


 ファティマ・イスがシャルロットをこの救出作戦に同行させたのも、民の信心を集める聖女の存在に元老院が手を拱いていると、見越した上での判断であった。 なにより、教会の二大宗派のひとつである聖アルジャベータ公会との軋轢を深めてまで攻勢に転じるとは、到底思えなかったのである。


「首人さま、お話があります」


 室内の扉が開き、隣室からシャルロットが姿を現す。 ミルフィーナの容態を慮り今まで付き添っていたのだろう。


「エレシアムのことじゃな?」


 首人の言葉に無言で頷くシャルロット。


「其方を助け導くことは、エレシアムの最期の願いでもあった。 じゃが、妾がこれから話すことは其方にとって堪え難き記憶となろう。 ともすれば、教会やアダマストル王家の命運さえ左右しかねぬ内容じゃ。 それでも聞きたいのかや?」


「はい、教えてください。 お母様のことを……」


 シャルロットが真剣な眼差しで首肯する。 それを正面から受けて、首人は満足したように微笑んだ。


「其方は誰を母と呼び、己が存在を聖女たらしめるつもりじゃ?」


 まるで謎掛けのように問い返されて、言葉を失うシャルロット。


「首人さまは知っているのですか……。 わたしの本当の母親が誰であるのかを?」


 随分と間をあけて、シャルロットは胸裏を占める感情を振り払うように口を開いた。 目の前の首人が己が求めて止まなかった真実を知る者であると理解したようだ。


「おいおい、全く話が見えてこないのだが―――いててっ」


「少し黙っていなさい」


 シャルロットが振り返ると、ファティマ・イスが無粋な詮索者の耳朶を捻りあげていた。 半強制的ではあるが、エドゥアルトも傍観者へと宗旨替えさせられたようである。


「其方の生立ちは心得ておる。 そしてそれは、ある愚かな屍族の女が、身の丈に合わぬ願望を抱いたが為に引き起こされた悲劇じゃ」


 薄闇に漂う深く重い言葉は、室内の冷たい空気に寂寞と溶けあって失われた時を紡ぎだした。


「過ちの淵源を辿るには、十七年前のヤガ=カルプフェルト王国まで遡ることになる。 当時、王国の相談役であった女屍族は、人族と屍族の共存する世界の実現を胸に描いておった。 そんなある日、女屍族は王国で催された解放記念祭の席で、ある風変わりな人族の娘と相見えることになる。 娘は特異な家系の生まれで、俗世間に触れる機会が少なかったらしく、目に映る全てを物珍しげに王宮内を駆けずり回っておった。 純粋培養故に屍族に対する警戒や恐怖も欠落しており、祝宴に同席した女屍族にも執拗に纏わりつき、周囲の人間の気の揉みようは想像に余りあるものじゃった」


 シャルロットが仄かな動揺をみせる。 メナディエル正教の教義に於いて屍族とは異端の対象であり、人間に仇なす邪悪な存在だと定義されている。 だが、話の中の女屍族は邪悪さとはかけ離れた純粋な存在に思えたからである。


「その女屍族は娘の純真無垢な心にひとつの希望を見いだした。 娘が王国に滞在する一月の間に、ある男と引き合わせる算段を練ったのじゃ。 人族と屍族の共存を図る為には、その人物の協力がどうしても必要だった。 男の名はルドルフ・オルカザード。 二十二家に名を連ねる大屍族の嫡男であった。 オルカザード家に関しては聖剣戦争後も異聞風聞、様々な噂が囁かれておったが、ルドルフに限っては虫も殺さぬ優男じゃった。 だが、ひとつの悲劇がルドルフの心を人族から遠ざけておった。 女屍族は彼の娘ならルドルフの心の氷塊を溶かし、オルカザード家と人族、両者の間に生じた確執を取り除き、その架け橋となってくれると考えたのじゃ」


 シャルロットの胸の中で、既視感と共に、得体の知れない困惑が大きく翼を広げる。 それは、この首人がまるで己の過去を語っているかのように聞こえたからである。


「娘が挙げた成果は女屍族の見立てどおり、いや、それ以上じゃった。 当初、その目論みは成就するかに思えた。 しかし、女屍族の計算違いは、共に世俗に疎い男女が互いの心を触れ合わせた末に訪れる事態までは想定しておらなんだことじゃ。 まるで、そうなることを定められていたかのように、ルドルフと娘は互いを慕いあう間柄になっておった」


 首人は自嘲するように口唇の端を歪める。


「無論、幸せな結末など訪れようもない。 ひとときの逢瀬は周辺の者達の知るところとなり、ふたりは引き離された。 しかし、その時既に娘はルドルフの赤子を身篭っておった」


 首人が悔恨の念に堪えかねたように幼き容貌を歪ませる。 ゆっくりと開いた琥珀色の両眼には落日の残照が宿っていた。


「これが其方を取り巻く悲劇の起因となるものじゃ」


「そんな……」


 それは俄かには信じがたい内容であった。


「そしてここから先は、それから数年後、その娘―――エレシアム・リュズレイが死の淵で語った話じゃ」


 首人は記憶を掘り起こすように瞑目する。


「当時の聖アルジャベータ公会は、エレシアムが屍族の子を身篭った事実を隠蔽しようとしたようじゃ」


 聖公会上層部は箝口令を敷いて事態の封殺に努めた。 だが、綻びは呆気なく生じることになる。 真相を知らぬ後宮勤めの侍女のひとりがエレシアム懐妊を外部に洩らしたのだ。 結局、その噂は事実として公国内外に広まる事態となった。


「数ヵ月後、エレシアムは周囲の反対を押し切って赤子を出産した。 無論、その赤子は人間と屍族の間の子。 屍族を異端視する聖アルジャベータ公会が容認するわけもない」


 無意識のうちにシャルロットの両拳はきつく握られていた。


「切迫したアダマストル王室は王家の名誉と尊厳を守る為に苦肉の策を講じた。 幸か不幸か時を同じくして、エレシアムの双子の妹ソフィア・リュズレイが出産した女の赤子に目をつけたのじゃ」


 ソフィア・リュズレイの婚約は、既に彼女が幼少の砌に公示されていた。 相手は国内有力貴族であったルーンフォルテ家の嫡男ラムレイ。 両家の思惑に翻弄された政略結婚は両者が十五歳の時に成立していた。


「まさか……」


 シャルロットが言葉を詰らせる。 


「察しの通り赤子は取り替えられた。 それが其方じゃよシャルロット・リュズレイ」


「では、わたしの本当の両親は……」


 この瞬間、シャルロットはソフィアから注がれた無償の愛の意味を理解した。 それは、我が子を籠姫として差しだした悔恨の念、名乗ることも会うことさえも儘ならぬ日々を享受しつづけた母親の償いでもあったのだろう。

 だが、シャルロットにソフィアを責める感情は生まれなかった。 それはソフィア自身が王家の血脈、聖アルジャベータ公会の教義、なにより姉であるエレシアムを守る為の犠牲者であった。 いや、それはエレシアムさえも同様である。


「わたしという存在が母と呼んだふたりを苦しめていたのですね」


 シャルロットは己を呪縛する運命を理由に、他者を慮ることが出来なかった過去の自身を恥じた。


「そして、籠姫となった其方の父親役に選ばれたのが、リュズレイ家の遠縁にあたり、聖アルジャベータ公会の司教位にあったアルル=モアの第二王子ルクサー・アヴィスじゃ。 真実を闇に屠るには、まさに最適の人選じゃな」


「確かにあの当時のアダマストルはきな臭かったと子供心にもよく覚えている。 第二公女の初産は死産であったと聞いていたが、裏にはそんな奇禍があったのか。 とすれば、同年、宮殿火災によって不慮の死を遂げたラムレイ・ルーンフォルテの件も疑わしいな」


 エドゥアルトがしたり顔で参戦する。 どうやら、蚊帳の外から虎視眈々と首を突っ込む隙を窺っていたようである。

 もっとも、この天邪鬼な青年の意見は、常に真理の的を射ている。 首人の話す事柄は、一宗派どころか、メナディエル正教の存亡にすら直結する問題である。 教会の信義を守る為に、後々紛糾の種となりかねない異分子を間引いていてもなんら不思議はない。


「あ、あの……、 エレシアム……お母様の実の御子はどうなったのですか?」


 シャルロットが怖ず怖ずと口を開く。 真実を知り得た少女にとって、エレシアムの敬称は“叔母”が正しいのだろうが、従来の呼び名を違えることには抵抗があったようだ。


「出産後、赤子の身柄は聖アルジャベータ公会の掌中に落ちたそうじゃが。 その辺の事情が知りたくば、そこにいる者の方が詳しいじゃろう」


 首人はひとり押し黙ったままの女枢機卿に鋭い視線を向ける。


「ファティマさまが?」


 シャルロットの戸惑いの声にも、ファティマ・イスは押し黙ったままだった。


「いずれにしても、妾が伝えるべきことはこれで全てじゃ。 物語の続きは其方たち自身が統べればよい」


 首人は何処か疲れたようにそう締めくくった。


「俺たちはアンタの尻拭いをさせられる羽目になるのかい?」


 エドァウルトの言様は首人と件の女屍族を同一視するものである。


「否定はせぬよ。 じゃが今の妾が備える肉体は頭部のみで、拭うべき尻など持ち合わせてはおらぬ」


「おいおい……」


 口巧者なエドゥアルトが二の句を継げない。 想定外の返しに半ば呆れているようだった。


「尻拭いも過去の清算も必要ないと思います」


 明快に断言してのけたのはシャルロットであった。 驚きの視線が少女に集中する。


「それはどういう意味じゃな」


 首人が感興の色彩を両眼に滲ませる。


「他者に押し付けられた望まぬ一生を送るよりも、喩え一時でも、己の思うが侭に生きたエレシアムお母様は幸せだった筈です」


 シャルロットは心中に抱く感情を吐露する。 他の誰でもないエレシアムと境遇を同じくする少女だからこそ、その言葉には他者を納得させるだけの力が籠められていた。


「其方はまだエレシアムを母と呼ぶつもりなのかや?」


「わたしはシャルロット・アルジャベータ・リュズレイです。 今のこの名は、わたし自身の意志で選び取ったものです」


 シャルロットの心を苛む過去の幻影は完全に払拭されていた。 エレシアムの過去に触れて、母と呼んだ存在が命懸けで生きた証を少女は胸裡に深く刻み込んでいた。


「そうか、其方に全てを受け入れる覚悟があるならば、アンネシュティフを探すがよい」


「アンネシュティフ……」


 シャルロットが尋ね返す。 神剣アンネシュティフは、アダマストル王家に伝わる霊環アシュタリータと並び女神が神界より齎した三神器のひとつである。


「そうじゃ。 あれは別名“正義の剣”とも呼ばれ、メナディエルの加護に適う者にしか所持できぬ業物じゃ。 神剣の適合者となれば元老院が世迷言など一笑にふせるじゃろう」


 首人の見解は確かに真理の側面のひとつであるのだろう。 少なくとも一般の信徒たちは、元老院の物欲に塗れた言葉よりも、アンネシュティフに纏わる神性を信じる筈である。 シャルロットが聖座に着く足掛かりには十分であろう。


「だが、その神剣とやらは何処にあるんだい?」


 エドウアルトが至極真っ当な質問をする。


「妾の記憶に不一致が無ければ、アンネシュティフは初代教皇アグリウスタの遺骸と共に納棺されておる筈じゃ」


 首人は茶目っ気たっぷりに、にんまりと微笑んでいた。

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