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2-04【慫慂】―シャルロットSIDE―(※推敲済)


「このまま手を拱いていれば、元老院は教会の全実権をその掌中に収めることでしょう」


 ファティマ・イスの独白めいた兼ね言は、ここアレシャイムで口にするには最も危険な話柄(わへい)であった。 それが教皇位に次ぐ聖位の持ち主から発せられたのだから尚更である。


「どういうことですか?」


「聖下の死後、教会内で不穏な動きがあってな」


 シャルロットの問いに応えたのはヴィルヘルムだった。 老卿の肩越しに窓辺から覗く空は、いつとなく立ち込めた雲影に埋め尽くされて、話し手の心境を映し出しているようだった。


「古老たちは亡き聖下のご子息であるゲティスさまを排斥し、その従妹にあたる年端もいかぬ幼子を、傀儡の幼聖として教皇位に据えようと画策しておる」


 ヴィルヘルムは長患いの後のように、胸に(つか)えた苦々しい現実を順を追って吐き出す。


「ですが、そのようなことは過去に幾度もあったのではないでしょうか?」


 シャルロットが抱いた疑問を率直に述べる。 過去の教会史を鑑みても、元老院の息のかかった人間が聖座に着くことは珍しいことではなかった。 加えてゲティス・フォンに関してはお世辞にも教会内で人心を得ているとは言い難い。 噂に聞こえるゲティスの人となりは、驕奢と享楽に耽り倒錯的な肉欲に溺れる聖職者には有るまじき不貞の輩である。


「今回ばかりは問題ですわ。 元老院が推す人物の名はアンヌフォルト・インドブルクス。 フォン家の直系尊属ではない外戚の者です」


 ファティマ・イスの挙げた名は世情に疎いシャルロットにも覚えがあった。 インドブルクス家は、嘗て宗教世界にその有名を馳せた名門貴族である。 生前ウェルティス・フォン=バレル三世が推進した教会改革によってその特権を剥奪され、一時は歴史の表舞台から姿を消した。 しかし、後にインドブルクス家の嫡女であったイザベラがフォン=バレル三世に見初められて聖室入りする。 今となっては教皇の寵愛の裏に隠された実情を知る術はないが、数年後、二人の間に生まれたのが一粒種のゲティス・フォンである。


「教皇位は世襲制であり、代々フォン家の血脈が継承すると教会法で定められています。 それは犯すべからず聖域であり、元老院の振舞いは神聖冒涜に値するでしょう」


 ファティマ・イスは極めて静かな声音でそう述べる。

 教皇座位の選定は信徒の代表でもある枢機卿会議に委ねられるが、人選がフォン家の人間に限られているために、実質は世襲制である。 しかし、世襲が当然視されることは、教会の腐敗を招く原因ともなりかねない。 実際、フォン=バレル三世が聖位に着くまでの数百年の間、教会は既得権益に諂う悪種の温床となっていた。


「そこで、わたくしたちは元老院の思惑に対抗する為の反宗教改革を打ち出そうと考えています」


「“わたくしは”じゃろう」


 ヴィルヘルムがファティマ・イスの発言に含まれる誤謬を正す。


「あら、主席枢機卿は存外に冷たい御仁ですこと」


「余計なお世話じゃ」


 息の合った皮肉の応酬に、傍観者であったシャルロットの口唇が微笑を湛える。

 無愛想に答えるが、ヴィルヘルムがこの女枢機卿に一目置いていることは確かである。 この会合が老卿始動で仕組まれたことからも、ファティマ・イスという人間は条件さえ整えば信頼に足り得る人物だと俄かに暗示されていた。


「話が逸れましたわね。 聖女さまも知っての通り次期教皇は枢機卿会議によって選出されます。 そして、遺憾ながらアンヌベルク卿、ライオネル卿、カルロ卿の御三方は既に元老院の意向に賛同を表明致しておりますわ」


 ファティマ・イスは長く伸びた黒髪をひと房掬い取ると、苛立たし気に指で散らす。

 教皇選挙は前教皇の死後、その喪明けを経て白の間で行われる。 そこで枢機卿団の過半数の投票が得られれば、教皇着座となる段取りだ。 七名の枢機卿の内、既に三名が元老院側に靡いている以上、形勢が有利とは言い難いところだろう。


「ですが、ご懸念は無用に願います。 既に教会上層部への根回しは手落ち無く、ハンス卿の協力も取り付けてありますわ。 後は中立を貫いているマグヌス卿と―――」


 ファティマ・イスが意味ありげに傍らの腰掛け椅子を見下ろす。


「勿論、温厚篤実な主席枢機卿が、愛孫のように可愛がる聖女さまをお見捨てになるわけもなく、それはおいおい解決する問題ですわね」


 鼓膜に響く減らず口にも、ヴィルヘルムは不機嫌そうに鼻を鳴らすだけだ。


「ゲティスさまを旗頭に据えて、元老院に対抗するおつもりですか?」


 シャルロットの紅眼には当惑の色彩が滲んでいた。 ファティマ・イスがヴィルヘルムに対して、聖女の名を引き合いにだしたこともある。 なにより、ゲティス・フォンの失墜した人望を考えれば、元老院を敵に回してまで、その即位に協力を表明する人間がいるとは思えなかったのだ。


「いいえ、わたくしが推すのは聖女さま、貴女ですわ」


「え……」


 シャルロットの顔が一瞬呆ける。 だがそれと同時に先程抱いた杞憂の正体を知ることとなる。


「そ、そんなこと無理に決まっています。 それにわたしには何の力もありません。 とてもファティマさまのお役にたてるとは……」


 シャルロットは内心の動揺を糊塗しようと自然と声高になる。 もっとも必要以上に早口になっており、狼狽しているのは誰の目にも明らかである。


「いいえ、貴女の存在は計り知れませんわ。 聖女は教皇と並びメナディエル正教の象徴的存在ですもの」


 ファティマ・イスの真剣な眼差しは、たじろぐように身を引く少女を逃さず追随する。 シャルロットの心境とは裏腹に女枢機卿の両眼に迷いの色は無い。


「私が授かった聖位は司祭位に過ぎません。 教皇さまと同格とは神威の曲解です」


「形式的にはそうかもしれませんが、信徒や諸外国の王侯貴族はそうは考えません。 なにより聖伝承に於いて聖女は女神に最も近い存在とされています。 貴女が教会から紫色の法衣を預けられているのは、その証でもありますわ」


 ファティマ・イスはそこで一端言葉を切ると、子供を諭すように続けた。


「なにより、メナディエル正教の成り立ちを紐解けば、その本流は聖剣戦争以前に遡ることになります。 古種族の支配下にあった私たち人族の祖先が崇めた古代の神々の一柱が女神メナディエルであり、それは数多の部族が信仰した秘儀宗教のひとつに過ぎませんわ。 フォン家にしても当代より特定の神性を崇めていた一神官の末裔でしかありません」


 シャルロットも同様の伝承を聞き及んでいた。

 リュズレイの家系も元々はフォン家と同じ北方の出身で、その祖先であるアルジャベータは、同部族内でも最下層の民奴の生まれであった。 だが、後に人柱として女神への供物に選ばれたアルジャベータは、その身に女神の聖霊を宿すと、数々の奇跡を現出させて聖剣戦争を勝利へと導いた。 それがアルジャベータの直系であるリュズレイの血筋が神聖化された所以である。


「メナディエル正教は本来の姿に立ち戻るべきなのです。 現在の教会法は、嘗ての神官たちが己が地位を誇示する為に作り上げた俗法に過ぎませんわ。 本来尊ぶべきは女神の憑代たるリュズレイの血筋だとわたくしは考えています」


 ファティマ・イスの言葉が連々と積み重なる度に、その真意が次第に浮き彫りになっていく。 そして、それは聖アルジャベータ公会の教義そのものであった。


「ファティマ殿が正統信仰を捨て、特定教派に鞍替えしたとは寝耳に水じゃな。 だが、確かにこの機を逃せば真の理を示す機宜(きぎ)は永遠に失われるやもしれぬな」


 それまで押し黙っていたヴィルヘルムが重たい口を開く。


「ですが老卿。 至当が何所にあろうと、現教会法が齎す特権や既得権益の上で胡坐をかくお偉方がそれを見過ごすはずがない」


 エドゥアルトはふてぶてしくも鼻先で笑うと、更に「愚鈍で無思慮な小人ほど、権力や金の匂いに敏感だから性質が悪い」などと付け加える。


「勿論、最初から過激な改革を行う必要はありませんわ。 当面必要なのは元老院との対決の姿勢を教会内外へと明確に示すことです。 教会改革は民意を得た後に存分に権勢を振るえば宜しいのです」


 ファティマ・イスはシャルロットに歩み寄ると、少女の足元に傅くように低頭する。


「聖女さま、どうか覚悟をお決めください。 今こそ数百年続く分派間の争いや元老院の支配に終止符を打つべき時なのです。 聖下亡き今、既にフォン家に人心はなく、このままではアレシャイムは古老たちの思うが侭です」


「……わたしは」


 嵐に翻弄される木の葉のようにシャルロットの心は大きく揺さぶられる。 だが、結論など端から決まっていた。


「わたしの望みはひとつだけです。 フィーナを―――ミルフィーナ・ド・グラドユニオンを無事に救い出すことだけです。 それを成し得たならば、ファティマさまの御心に適うよう努めたいと思います」


 喩え自分が何者であろうとも、それ以外の選択肢などシャルロットには最初から存在しなかった。


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