緋色先生の個人授業(※女の子ヴァージョン)
「問題なし。もーほんとに、全然、問題なし。絶好調」
放課後。
突然、剣麗華が「BMP中毒症はたぶん治ったと思うけど、念のため診て欲しい」と職員室までやってきたので、エメラルドの瞳を持つ童顔教師は相手をしていた。
もちろん問題などあるはずがない。
ガルア・テトラとの闘いの後、みっちり精密検査はしていたし、あれからもう2週間も経っている。
今頃いきなり『念のため』とか言われても、言葉通りに取ることは難しい。
というか、はっきり言って口実なのは丸分かりだった。
「ところで、麗華さん。悠斗君と喧嘩でもした?」
「? なぜ? そんなことはない」
「でも、今日一日、様子が変だったじゃない? 麗華さんが相手をしてくれないから、悠斗君、陰でしっかり落ち込んでたわよ」
まあ、剣麗華だけが原因でもなかったろうが。
「それは困る。誤解を解かないといけない」
「うーん……。誤解を解く前にやることがあるんじゃないかしら?」
と、眼帯をしていない左目がキュッと細まる。
でも、いつ見ても武骨な眼帯である。もっとファンシーなのにすればいいのに。
と、剣麗華は神妙な顔をして。
「この間のBMP管理局籠城戦の時のことなら、もうちゃんと謝ったと思う」
「え? あ、いや、そうじゃなくてね……」
「違うの? 悠斗君が『緋色先生は、凄く根に持つ上にSだから、一度許してもらったからと言って油断してはいけない。きっと、間隔を開けて、チクチクチクチク嫌味を言ってくるに違いない』と言っていた」
「あのガキャア……」
小学生の外見を持つとはいえ、教師にあるまじきセリフを吐く香。
そして、決心した。
今度街中で、悠斗の腕にしがみ付きながら「ねぇ、お兄ちゃん。今度はどんないい所に連れて行ってくれるの? 私、こんどは縛られたりしないのがいいなぁ」と大声かつ猫撫で声で叫んでやろうと。
まぁ、それはともかく。
「籠城戦の時のことは、もう怒ってないって言ったでしょ? 麗華さんの気持ちは痛いほど分かったし、元はと言えば、私が未熟なのがいけないんだしね」
「でも、結果的に、BMP中毒症を起こして倒れてしまった。悠斗君が覚醒時衝動を起こしたのは私のせい」
「止めたのも貴方でしょ。麗華さんが頑張らなかったら、悠斗君が覚醒時衝動に打ち克つこともなかったと思うわ」
「そう……かな」
自信なさげに俯く麗華。
ちなみに、さきほどの香のセリフは、事情を知る関係者全員の共通認識である。
ただし、麗華以外。
剣麗華だけが、信じ切っていない。
「私は、悠斗君に迷惑ばかりかけている」
ふと、剣麗華の声の調子が変わる。
【アイズオブエメラルド】は、ここからが本題なのだと理解する。
「何か、あった? 麗華さん」
「うん」
そして、彼女は口を開く。
◇◆
話としては、こうだ。
昨日、悠斗と麗華は、BMP管理局の要請でBランク幻影獣『クラブ』と闘った。
意外に防御の固い強敵だったので、初めての連携攻撃を試みた。
……そして、豪快に失敗して、悠斗を殺しそうになってしまった。
「そ、そんなことがあったの……」
香の顎が落ちる。
悠斗と麗華がBランク幻影獣を相手に連携戦闘を行い、その最中に【ナックルウエポン】こと賢崎藍華が参入して、見事Bランク幻影獣を撃退したというのはテレビでやっていたが。
その過程で、悠斗が麗華のカラドボルグに輪切りにされそうになっていたとは、初耳だった。
大人の事情というやつだろう。昨日のゴールデンタイムの放送では、その辺カットされていたのだ。
それでも無理なく番組を構成するあたり、大人のテクニックというやつだろう。
「ま、まぁ、結果オーライということでいいんじゃないかしら。悠斗君も無事だったし、幻影獣は倒したし!」
努めて明るく言う香。
自分の断層剣で悠斗を殺してしまいそうになった時の、麗華の絶望と恐怖は、一瞬とはいえ、想像を絶するものだったに違いない。
そして、BMP能力者の誤射は、ついうっかり、で済ませられるほど軽い問題ではない。
が、それでも、これ以上麗華が自分を責める必要はないと思うのだ。
「まぁ、悠斗君も麗華さんも連携戦闘は初めてだったんでしょ? これから、じっくり合わせていけばいいんじゃないかしら?」
「悠斗君は、連携戦闘の訓練に付き合ってくれるかな?」
「当たり前でしょうが!」
自信なさげな麗華の姿に、若干萌えてしまいそうになる自分を抑えながら、香は言う。
そう。問題などない。
剣麗華は天才だ。できないことなどない。
それは連携戦闘でも同じ。
落ち着いてしっかり、悠斗の動きに合わせれば、ミスなど起こるはずもないのだ。
そして悠斗も、麗華に追い付こうと努力すれば、お互い望ましい成長が……。
「うん。今度は、悠斗君の足を引っ張らないようにする」
…………。
「…………え?」
思わず、聞き返す、香。
「悠斗君『の』? 『が』じゃなくて?」
「? なぜ、悠斗君が、私の足を引っ張るの?」
キョトンとした仕草で、香の顔を見返してくる麗華。
香は、思わず眼帯を取って、アイズオブエメラルドを解放した。
「緋色先生?」
「麗華さん、一つ質問するわ」
深緑の瞳で見据えたまま、口を開く緋色香。
「どうして、昨日の連携戦闘では失敗したの?」
麗華は応える。
「私が悠斗君の動きを誤解したから。悠斗君の闘い方に付いて行けなかったから」
…………。
「…………」
……これは参った。
天才肌の人間は、どちらかというと、これとは逆の誤解をするのだが。
そして、本当の天才は誤解などしないのだが。
本当の天才である剣麗華は誤解している。
三段論法が成立しない理由は、おそらく……。
「急成長した悠斗君の戦闘には、麗華さんでも付いて行くのが大変ということ?」
「うん。悠斗君の成長速度は、ほんとに凄いと思う」
真面目な顔で言う麗華。
そう、確かに澄空悠斗の成長速度と潜在能力は凄い。
が、客観的に見て、少なくとも今の時点では、剣麗華の戦闘能力とでは、大きな差がある。
アイズオブエメラルドがなくても、天才でなくても、誰にでも見えるほどの大きな差だ。
自分で、それから目をそらさない限りは。
「あ、あのね、麗華さん」
緋色教授は語りかける。
誤解の原因となっている感情は、決して悪いものではない。
だからこそ、取り除くのも容易でない。
「なに、緋色先生?」
「連携戦闘を悠斗君とするのは、もう少し後にした方がいいんじゃないかしら?」
「……どうして?」
わずかに暗い顔をする麗華。
「い、いや、麗華さんがいくら天才だとしても、連携戦闘は初めてでしょ? 悠斗君ももちろんそうだし。もう少しうまくなってからの方がいいかなーなんて……」
「別の人と練習して、うまくなってから、悠斗君と練習するということ?」
「そ、そう、そういうこと!」
わずかな胸の痛みを感じながら、それでも言いきる香。
「なるほど。悠斗君以外の人となら、私も全力を出さなくても合わせられる。危険も少ないし、悠斗君の負担も少なくなる。さすがは、緋色先生」
「そ、そうでしょ。そうでしょ。あっはっはっは……!」
「うん。うまくなって、悠斗君をびっくりさせる」
「そうしなさい、そうしなさい。うんうん」
天才であるソードウエポンの微笑ましい決意を聞きながら。
アイズオブエメラルドは、一人、頭を悩ませるのであった。