おじい様とのナイショの話2
『
「悠斗君」
「ん?」
「私はどうすればいい?」
「何も」
「そう……なの?」
「そういや、麗華さん」
「ん?」
「嘘、吐いたろ?」
「え?」
「タートルと闘いに出る前に。麗華さん『絶対にすぐ帰ってくる』って言った」
「実際に、ちゃんと帰ってきた。嘘にはなっていない」
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「………………」
「……悠斗君、怒っている?」
「煮えたぎった俺の臓物で、モツ鍋ができそうなくらいに」
「それは……困った。どうすれば許してもらえる?」
「一つだけお願い……というより、提案があるんだけど」
「うん。なんでも聞く」
「麗華さん、前に言ってたろ。自分の言うことで俺を不快にさせることがあったら、ちゃんと指摘してくれって」
「うん」
「それと逆にさ」
「俺が麗華さんを怒らせたり。いや、俺じゃなくても、麗華さんにとって苦しいことや、つらいことがあったりしたらさ」
「……」
「教えて欲しいんだ、俺に」
「俺は悪い意味で普通だからさ。言ってくれないと分からないんだ」
「……でも、そうすると、悠斗君を不快にさせるかもしれない」
「いいんだよ、それで」
「麗華さんが俺を怒らせて」
「二人がお互いにすれ違うことがあったりしたら……」
「二人で」
「喧嘩しよう」
』
「あ……」
あうあうあうあう。
穴があったら入りたいっす。
「これが、恋人同士の会話でなくてなんだと言うのだ。いや単なる恋人同士どころではない! わしだって、妻とこんな会話を交わしたことは二桁はないぞ!」
ということは、9回近くはあるのか! 凄いな!
などと言っている場合ではない。
なんとか言い訳しないと(※社会的に)命に係る。
「え、ええとですね……。そ、その時は色々戦闘状態で興奮してアドレナリンが出てて、いやもちろん麗華さんは冷静なんですけど、俺が一方的に熱くなって、その前に刺激的なイベント……はどうでも良くて、というか甘ったるい気分では決してなく大事なことを伝えないといけない必要があるような気がして……」
ああ、もう、文章になっていない。
「ふむ。どうしてもできていないと言い張る訳だな?」
「もちろんです! いくらなんでも麗華さんと俺とじゃ釣り合いが取れなさすぎますよ」
ついうっかりできてしまう、にしても程度というものがある。
「わしは、そこまで釣り合いが取れていないとは思わんがな」
「え?」
え?
「いや、なんでもない」
と、コーヒーに口を付ける剣首相。
「少しからかい過ぎたようだな」
「え、えーと?」
じょ、冗談だったのですか?
って、当たり前か。ちょっと調べれば、分かるよな。
でも、冗談にしては手が込んでるような。
「麗華と過ごすのは大変ではないかね?」
一転して穏やかな口調で聞いてくる剣首相。
「いえ、結構楽しいですよ」
時々ハプニングイベント(※麗華さんに危機感がなさすぎるせいで)で下着姿とかそれに類する何かを見てしまった時に心臓止まりそうになるくらいで。
「そうか」
という剣首相の声は、なんだか優しげで。
俺たちはそのまま、10分ほど、麗華さんの話題で盛り上がった。
☆☆☆☆☆☆☆:
「そう。『釣り合いが取れていないとは思わん』」
澄空悠斗が去った首相官邸。
剣首相は、すっかり冷めたコーヒーを片手に、ひとり呟く。
「麗華と過ごすのを、ただ『楽しい』と表現できる君が相手ならばな」
そう呟く剣首相をドアの隙間から覗いているのは、支配系能力最強『アイズオブクリムゾン』緋色瞳。
「彼はもう帰ってしまったよ」
「わ、分かっています」
珍しく気まずそうな口調の緋色瞳。
「気まずいのは分かるが、彼は君のことを恨んでいるようには見えんかったぞ」
「だから、困っているのです」
部屋に入って来て、剣首相の前に腰を下ろす。
彼女……緋色瞳は、10年前、澄空悠斗に呪いをかけた。
BMP能力に関する全ての記憶を奪い、覚醒自体を『なかったこと』にしてしまったのだ。
精神はおろか、身体そのものを蝕むほどの異常なBMP能力から澄空悠斗を守るための止むをない措置だったとはいえ、澄空悠斗の人生を大きく歪めてしまったのは間違いない。
「たとえ殺されても文句は言わない。くらいの覚悟はあったのですが……」
「彼がそのような男でないことくらいは、分かっていただろう?」
「ですが、あの無頓着ぶりは正直予想外です」
彼女の言うとおり、澄空悠斗の反応は、用意していたどの謝罪策でも対応できないものだった。
というか、そもそも忘れているとしか思えないくらいのものだった。
「この時のために、10年がかりで償いの方法を考えていたのですが……」
「ま、まぁ、そのうち機会もあるだろう」
たぶんないだろう、と思いながら答える剣首相。
「BMP能力は精神を蝕む。記憶を封じられた為に、彼の精神は影響を受けることなく成長できた。だから、彼はあの通り『普通』である。そういうことで、いいのかな?」
「それは違います。封じている間はともかく、再覚醒した途端に精神を蝕まれるはずですから。私が呪いをかけたのは、あくまで身体が成長するまで時間を稼ぐためです」
そして、身体の成長がBMP能力に追い付き、呪いが解かれる条件が揃ったため、上条博士と緋色香に引き合わせて常時ケアしていたのだ。いつ、精神に異常をきたしても対応できるように。
「上条博士も香も首を捻りっぱなしですよ。第五次首都防衛戦であれだけ激しく再覚醒したのに平気な顔で学園生活を送り、超難度の劣化複写を他者にプレッシャー一つ感じさせずに操り、あげくの果てには覚醒時衝動を自分の力で克服してしまうなんて……」
「ふーむ」
「一応仮にも同じBMP能力者として、完全に理解の範疇を超えています」
半ば呆れたように、しかし半分は嬉しそうに、赤い瞳を持つ女性は言った。
「わしにはBMP能力者のことは良く分からんが、やはり彼のようなタイプはあまりおらんのか?」
「少なくとも、私は他には知りませんね」
「そうか」
と言ったきり、何か考え込むような仕草をする剣首相。
「ならば、やはりBMP能力があったからと言って、彼のようになれるとは限らんのだな……」
「剣首相?」
それまでとトーンの違う声に、緋色瞳が疑問符を浮かべる。
「わしの妻も、BMP能力者だった」
「え?」
「麗華と同じで、才色兼備という言葉がしらじらしく聞こえるほど完璧な女性だった」
「…………」
どうやら話したいことがあるらしい、ということを察した瞳は、黙って聞くことにした。
「わしもそこそこ異性には人気があったのだがな、彼女の前では有象無象の一人に過ぎんかった。もちろん、声をかける度胸があるうちの有象無象だがな」
「はい」
映画俳優と言っても通りそうなほどの雰囲気ある美形に加えて、剣財閥の次期党首が約束されていた若者だ。『そこそこ異性に人気がある』どころではなかったはずだが。
とりあえず、瞳は流した。
「人生であれほどプライドを傷つけられる出来事は他になかったというくらいの振られ方もした。ほぼ週一で」
「そ、そうですか……」
以外に感想の言いようがない。
「が、わしには他の有象無象とひとつだけ違うところがあった」
「……」
「それは彼女のことを本当に分かってやれる自信があったことだ。彼女の美しさや才に惹かれたことは否定しない。しかし、わしだけが彼女の本当の苦しみに気づいてやれる。そういう自信があった。だからこそ、最終的に妻と結ばれることができた」
「ご立派です」
「……とんでもない思い上がりだった」
「え!?」
予想外の話の展開に、思わず声をあげる瞳。
「それが分かったのは、麗華が覚醒時衝動を起こした時だ」
「あ……」
ようやくここで、瞳にも剣首相が何を言いたいか分かった。
「剣財閥を信頼できる部下と、ついでに腰ぬけ息子に押し付けて政界に転身し、麗華のためにできる限りの環境整備をしたつもりだったが、結局のところ麗華が上条博士の研究所を出るまで一度も会いに行けんかった」
「それは、上条博士が面会を止めていたからで……」
「麗華があそこを出た後も、わしは何もしてやれんかった……。そこでようやくわしにも分かった。妻はただ、わしに合わせていてくれただけなんだと」
「…………」
「あの少年と会ってからの麗華は、毎日ほんとに楽しそうだ。彼と同じBMP能力があっても、わしにはとてもできん。……今更の話だが、わしはああいう男になりたかった」
特に意味のある会話ではなかったのだろう。
剣首相も、クリスタルランスのリーダーとしての緋色瞳に、なにかしらの意見や感想を求めていた訳ではないのは明白だった。
だが。
「10年前……。クリスタルランスが悠斗君と闘った後。私が取った行動を聞いても、剣首相……当時は大臣でしたが、一言も責めませんでしたね」
「そうだったな。今思えば、あれがわしの唯一のファインプレーだったか。あの時、無理やり澄空君を探し出して訓練施設に入れてしまっていては、麗華のあんな顔を見ることはできなかったかもしれん」
「そのことだけではありませんよ」
「む?」
「動機は麗華さんのためだったとはいえ、剣首相はBMP能力者が社会に溶け込めるよう様々な手を打ってくださいました。10年前であれば、私がここに居ることですら考えられなかったはず」
「…………」
「今、麗華さんが充実した生活を送っていられるのなら、彼女が悠斗君と出会えたことも含めて、それは剣首相の10年の成果でもあると思います」
「緋色君……」
「悠斗君に負けてないですよ、剣首相も」
そう言って。
どんな虚言でも信じさせる瞳を持つ女性は。
ただ単なる感想を述べていた。
ちなみに。
ずいぶんと盛り上がってしまったが、まだ序章である。