癒えない渇きを癒すモノ
『7月24日19時30分・C』
長い夢を見ていたような気がする。
現実に還った俺を出迎えたのは、首筋に当たる冷たい感触だった。
それから、至近距離にあるとんでもなく美しい少女の顔だった。
というか、麗華さん……だよな?
どういう超絶テクニックを使ったのかは知らないが、俺を守る劣化版幻想剣の攻撃を悉く退けて、この至近距離まで間合いを詰めたらしい。
そして、『断層剣カラドボルグ』を俺の首筋に当てている。
麗華さんがその気になれば、いつでも俺の首が胴体とおさらばする危険な位置だ。
「どうして止めるの悠斗君?」
言う麗華さんを取り巻いているのは、20数本の劣化版断層剣カラドボルグ。
麗華さんの肌数センチの所に浮かんで、鋭利な切っ先を向けている。
もし今命令があれば、麗華さんの身体は数十の断片に変えられてしまうくらい危険な状態だ。
「全ての力を使いきらないと、覚醒時衝動は収まらない」
と続ける麗華さんには、怯えの色は全く見られない。
というか、若干怒っているような気さえする。
「BMPハンターは、まず自分の命を守るのが原則。……じゃなかったっけ?」
嫌味のつもりじゃない。単なる軽口だ。
「そうだと思う。でも、今の私も間違ってない」
「そうなの?」
「守りたいと思ってるから。悠斗君と同じように」
「…………」
参った。
ほんとに参った。
麗華さんに参った。
麗華さんを取り巻く、俺の劣化版断層剣カラドボルグセットが消えていく。
「悠斗君、どうして? まだ、悠斗君のBMP能力は全部使い切っていない」
そんなこと言ってもな……。
「もう十分だよ」
逃げない君の強さが思い出させてくれたから。
全てを失くした始まりの日のことを。
「もう全部吐き出した」
逃げない君の優しさが満たしてくれたから。
決して癒えるはずのない渇きを。
「だから、もう十分だ」
もう立っているのも億劫で。
前のめりに倒れそうになる。
今日は散々痛い目にあったけど。
それでもやっぱり、地面に顔面ドカンは勘弁してほしいと思っていると。
ふわ、と。
温かくて柔らかい感触に抱きとめられる。
「麗華……さん?」
いつの間にかカラドボルグを消して。
この細い腕のどこにこんな力があるのか、力強く抱きとめられている。
でも、麗華さん。物凄くキョトンとしてる。
「ゆ、悠斗君……。ひょっとして、覚醒時衝動、終わったの……?」
「たぶん」
終わったと思う。
こんなにすがすがしい気持ちになってるんだから。
◇◆
「えーと……。一応、どんな状況なのか聞いてもいい、のかな?」
三村にしては、珍しく歯切れ悪く聞いてくる。
フラガラックの多重干渉にやられて、さっきまで峰と折り重なるように気絶していたのが気まずい、という訳でもないようだ。
「できれば、無言で察してくれると嬉しい」
と返すのは、この俺、澄空悠斗。
なぜなら、今、俺は麗華さんに抱えられて、なんとか立っていられる状態だからだ。
第三者から見れば、抱き合っているようにも見える、というよりそうとしか見えない状態だからだ。
座ればいいじゃん、と言われればその通りなのだが、俺も麗華さんもなんとなくタイミングを逃してしまい、座るに座れない不思議な状態なのである。
「じゃあ、ちょっといいかしら、悠斗君」
と、今度は緋色先生が手を伸ばしてくる。
アイズオブエメラルドで診察してくれるつもりだということは分かるのだが、この体勢だと麗華さんの身体をサンドイッチすることになってしまい、若干俺が良い思いをするのは、いいのだろうか?
「悠斗君」
「は、はい!」
いや、不埒なことなんて考えてません。というか、そんな体力ありません。
「嘘は……つかないでね」
「はい! ……って、え?」
嘘って、なんのことだ。
「ううん、ごめん。なんでもない。今のは忘れて」
言うと、緋色先生は眼帯を除けて、アイズオブエメラルドを全開にした。
背伸びをし、俺の顔を両手で固定して、瞳を覗き込んでくる。
「え?」
「あ、あれ?」
同時に驚きの声をあげる、緋色先生と俺。
なんか、これ。今までと全然違うぞ。
深緑の瞳がいつもより強く輝いているような気がする。
その光が、心の隅々まで行きわたっているようで。
でも、不快じゃない。
「翔!?」
「へ?」
いきなり聞きなれない名前(だよな。まさか、ショウ! なんてすっとんきょう叫び声をアイズオブエメラルドが上げるとも思えん)を呼ぶ、緋色先生。
「あ、ううん。なんでもないの……」
「そ、そうですか」
明らかになんでもなくない顔をしていたが、とりあえず俺は何も聞かなかった。
しばらくして、緋色先生が顔を離す。
「緋色先生?」
「うん。信じられないけど、ほんとに覚醒時衝動が収まっているわ」
峰の言葉に、眼帯をしながら(※しかしやっぱりごつい眼帯だ。もっとファンシーなのにすればいいのに)答える緋色先生。
「でも、BMP能力を使い切ったって感じじゃないですけど?」
今度は三村が質問している。
「そ。まだたっぷり残ってる。これからBランク幻影獣と闘うことだって可能じゃないかしら」
いや、さすがに無理です。
「ということは……」
「自分の意思で覚醒時衝動に打ち克った、ということなのか……」
「悠斗さん、凄すぎデス……」
三村、峰、エリカが心からの賞賛を贈ってくれているのが分かる。
褒められるのは基本的に好きなんだけど、今回はちょっと遠慮をしたいところだ。
なんせ8割方……いや、9割以上麗華さんのおかげだからな。
「悠斗君」
その麗華さんが話しかけてくる。
背が同じくらいだから、真横に顔がある。
「ん?」
「私はどうすればいい?」
麗華さんの言葉は唐突な上に、短すぎることがある。
まあ、今回は大丈夫だ。何が言いたいかちゃんと分かる。
「何も」
そう、何もしなくていい。
もう十分過ぎるくらいしてもらった。
「そう……なの?」
これ以上何も……。
いや。
ひとつだけ。
「そういや、麗華さん」
「ん?」
「嘘、吐いたろ?」
「え?」
キョトンとした顔で、こっちを向いて(※めっちゃ近いす)くる麗華さん。
「タートルと闘いに出る前に。麗華さん『絶対にすぐ帰ってくる』って言った」
「実際に、ちゃんと帰ってきた。嘘にはなっていない」
ほう、そう来ますか。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「………………」
「……悠斗君、怒っている?」
「煮えたぎった俺の臓物で、モツ鍋ができそうなくらいに」
もちろん嘘だけど。
「それは……困った。どうすれば許してもらえる?」
真剣な麗華さんの顔。
少し胸が熱くなる。
でも、ちゃんと言わなきゃな。
「一つだけお願い……というより、提案があるんだけど」
「うん。なんでも聞く」
「え?」
マジですか!
……って、そうじゃなくて。
「麗華さん、前に言ってたろ。自分の言うことで俺を不快にさせることがあったら、ちゃんと指摘してくれって」
「うん」
「それと逆にさ」
そう逆に。
「俺が麗華さんを怒らせたり。いや、俺じゃなくても、麗華さんにとって苦しいことや、つらいことがあったりしたらさ」
「……」
「教えて欲しいんだ、俺に」
どんなことでもいいから。
あまり役に立たない可能性も大だけど。
「俺は悪い意味で普通だからさ。言ってくれないと分からないんだ」
麗華さんが、わずかに俺を掴む手に力を入れた。
「……でも、そうすると、悠斗君を不快にさせるかもしれない」
「いいんだよ、それで」
それでいいんだ。
「麗華さんが俺を怒らせて」
俺が麗華さんを怒らせて。
「二人がお互いにすれ違うことがあったりしたら……」
衝突することがあったりしたら。
その時は。
「二人で」
一緒に。
「喧嘩しよう」