紡ぎたい明日があるという予定で
『7月24日17時45分・O-4』
『今日、この場で闘っている、全てのBMPハンターの皆さまにお伝えします!』
良く響く声。
『現在Aブロックで、澄空悠斗君がAランク幻影獣ガルア・テトラに襲われています! 付近のハンターは最優先で救援に向かってください!』
今日飛び交った数多の声の中で、その慌てぶりから一番印象に残っていた声。
『また、ブロックO-4に非常に強力な精神支配系BMP能力を操る幻影獣が潜伏しています! 放っておくと危険です! 今から指示するブロックのハンターは連携を取りながら対応に向かってください! Aランク相当の幻影獣が二体です、無理はしないように!』
だが、さきほどまでの慌てぶりが嘘のように堂々とした声だった。何か痛みを堪えているような様子が気にかかるが。
「どういうことだい?」
ブロックO-4。最外層に位置するこのブロックにはBMPハンターがいない。
幻影獣が襲ってこなかったブロックだからだ。
いや、正確には、襲ってこなかったと思われていたブロックだからだ。
そんなブロックに、一人の少年と一人の美女がいた。
「何が?」
線の細い儚げな少年の問いに、まるでこれからパーティに出るかのような格好と雰囲気の美女が聞き返す。
「もちろん、今の放送だよ。媒介を必要とせず、『支配されたことにすら気がつかない』君のBMP能力には、たとえあのアイズオブクリムゾンですら抗えない、って言ってなかったかい?」
一見すると、貴族の令嬢と執事見習いの少年に見えるが、その口調は意外にフランクだった。
「アイズオブクリムゾンには無理でも、抗える人もいるってことでしょ」
何を当たり前のことを。といった口調で美女が答える。
「なるほど。そう言われると、返す言葉もないね」
納得したのか、どうでもいいと思っているのか、儚げな雰囲気の少年は素直に頷いた。
少年と言ってもガルアほど幼くは見えない。高校生くらいだ。
「で、どうするの?」
「Aブロックとここに来れないように、全BMPハンターに暗示をかけるわ」
「できるの? そんなこと」
「どうかしら? さっきのこともあるし、何人かは抜けてくるかもね」
と、人差指を唇にあて。
「その時は守ってくださるかしら、ソータ」
妖艶に囁いた。
「感情も付いてきてないのに人間の仕草をするのはどうかと思うな」
「あら、それはガルアの努力を否定するんじゃないかしら? あの子、澄空悠斗を本気にさせるためにあんなに悪役ぶって頑張ってるのに」
「僕も最初はそう思ってたけど、あれはひょっとすると地なんじゃないかな?」
「あなたも、演じてるんじゃないの?」
「僕だって必要があってやってるんだよ」
と、儚げな少年は右手をかざした。
その先にあるのは、なぜか片づけられていない掃除用のモップ。
それが、まるで吸い寄せられるように少年の手に収まる。
「よっと」
軽い声で、モップを投げる。
2メートルも飛べばいい方というくらいの力の入れ方だったが、モップはまるで弾丸のように物理法則に喧嘩を売りながら飛んでいく。
そして、壁にぶつかって粉々になった。
「うん。問題ない。君に護衛なんて必要ないとは思うけど、微力をつくして頑張るよ」
「失礼な。四聖獣唯一の非戦闘員を捕まえて」
「非戦闘員だけど、僕やガルアよりは強いよね」
これから何人ものBMPハンターと闘わなければならないというのに、まるで緊張したところのない二人。
「そういや、ガルアの方は大丈夫かな?」
「問題ないでしょ。あの子、もともと大勢をいっぺんにやる方が得意だし」
「僕らがBMPハンターを食べるのはほどほどにした方がいいんだけど……」
「優先順位の問題よ」
豪奢な美顔が、冷酷な笑みに染まる。
「澄空悠斗が頑固だから、あの子困ってるじゃない。私が加勢しようとしても怒られるし。仲間が死ねば、少しは彼も本気になるでしょ」
◇◆
『7月24日17時50分・C』
「あ」
ぽつりと呟く麗華。
何が起こったかと言うと。
「カラドボルグが……」
消えたのだ。
さきほどの全館放送で、若干平常心をなくしたことによる影響は否めない。
ちなみに、その直後、峰・三村・エリカ(※ここに来ていたとは知らなかった)が、ここを通ってAブロックに向かったが、あまり安心材料にはならなかった。
結果、なんとかこのタートルを倒そうとして、少しペース配分(※あくまで今の体調での)を乱してしまったのだ。
幻想剣を実体化できない。実体化しようとすると、異常なまでの頭痛がする。
そこまでやって分かったことと言えば、あのBランク幻影獣は、切り札と言うべきBMP能力を全く持たない代わりに、弱点らしき部位もないということだった。
亀を模した姿なので、試しに眼を狙って見たところ、瞼を閉じただけでカラドボルグが防がれるくらいだ。
「困った」
口調だけ聞けばあまり困ったように聞こえないかもしれないが、本当に困っていた。
もうBMP能力の使用の有無に係らずに、とにかく頭が痛い。
全身が重い。
手足の感覚がない。
BMP過敏症……いや。
BMP中毒症だった。
覚醒時衝動の時の経験から、医者の言うことを聞かないことの恐ろしさは、痛いほどに分かっているつもりだった。
本人も気づいていない『アイズオブエメラルド』の欠点をついてまでこの場所に来たのは、別に中毒症を甘く見ていたからではなかった。
実際、他の敵であれば問題はなかったはずだ。
だが、出力が上げられない今の麗華にとって、このタートルは天敵だった。
「これは……無理かもしれない」
冷静に受け止める。
幸い、タートルは麗華にそれほど興味はなさそうである。立ち塞がらなければ、襲ってくることはないだろう。
加えて、澄空悠斗ならば相性がいい。劣化状態とはいえ、彼のカラドボルグは威力の点ではオリジナルと大きな差はないのだ。
もちろん彼の体調は問題ない。この巨体と文字通り亀のような動きのタートル相手なら、勝機は十分にある。
Aブロックに向かった、峰・三村・エリカのトリオも多少は助けになるだろう。
「でも……」
放送によると、今澄空悠斗はAランク幻影獣ガルア・テトラと闘っている。タートルの乱入は、命取りになりかねない。
しかし、今ここで自分が死ぬまで闘ってもタートルは止められない。結果は同じ……どころか、澄空悠斗に加えて、もう一人最高ランクのBMPハンターが失われることになる。
「ここは、退くのが正解?」
成果は大きく、犠牲は少なく。
同じ死ぬなら、二人よりも一人の方がいい。
BMPハンターは、この国……いや、世界の財産なのだから。
「悠斗君だけが死ぬのが……正解?」
澄空悠斗の潜在能力は凄まじい。
今、自分が代わりに死ねるのならば、長い目で見ればその方が人類のためになるかもしれない。
だが、両方死ぬとなれば話は別だ。澄空悠斗だけを助けるのが無理な以上、自分が助かるしかない。
「私だけが生き残るのが……」
決められない。
今までの考え方や経験で決めてしまうことができない。
確かに、澄空悠斗を失うことのデメリットは大きい。
「…………」
たとえば授業。
最初は、澄空悠斗の覚醒時衝動を止めるために受けていたが、なぜか今でも受けている。
別に受けなくても、澄空悠斗が勉強を教えてほしいと言ってきた時に対応できる自信はあるが、細かいニュアンスは一緒の授業を受けていた方が伝えやすい。
「いや、そんなことはどうでも良くて」
ああ、でも。授業を一緒に受けていると、休み時間に一緒に話をすることができる。
未だに話題選びには困るが、だいたい三村やエリカ(※最近では峰も)がやってくるので、会話が途絶える心配はない。
昼ご飯だって一緒に食べに行ける。
教室に買ってきて、机をくっつけて食べてもいいし、学食に行ってもいい。
澄空悠斗は、「ささみチーズフライのない学食なんてクリープのないコーヒーだ」、と言っていたが、案外なんでも美味しそうに食べている。
「そういえば……」
彼は言っていた。
食事時が一番寂しかったと。
自分はどうだっただろうか。
家族と一緒に食べていたころの記憶はほとんどない。
人生のほとんどの時間を一人で食べていた……ような気がする、が。
「どんな感じだったかな……」
あまり覚えていない。
どんなものを、どんなことを考えながら食べていたのか。
澄空悠斗と一緒に食べている食事なら、日付指定でメニューを思い出せるのに。
それ以前は、食生活が貧しかったからだろうか?
最近では食事そのものにも興味が出てきた。幸い、経済的には恵まれているのだし、どんなものでも買って来れるし、どんなところに食べに行ったっていい。
「でも……」
澄空悠斗の作ったカレーだけは、二度と食べられなくなる。
タートルがゆっくりと動き出す。
動かない麗華を無視して、ゆっくりとAブロックに向かって歩みを進め始める。
数ヶ月前にBMP能力を覚醒し、生涯二度目の本格的な実戦で幻影獣最強のAランクと闘っている少年に、さらに一体で一軍に匹敵すると言われるBランク幻影獣が向かっている。
澄空悠斗と二度と食事ができなくなる。
澄空悠斗と二度と話ができなくなる。
澄空悠斗と二度と一緒に歩けなくなる。
澄空悠斗と二度と会えなくなる。
「ああ、そっか……」
ガルア・テトラに奇襲された帰り道。
『どうして逃げなかったの?』
やはり愚かな質問だったのだ。
『麗華さんも俺も間違ってない』
その後に続く言葉。
あの後、澄空悠斗が何と言おうとしたのか、ようやく分かった。
「でも、守りたかった」
呟いた途端、物凄い勢いでタートルが振り向いてきた。
今まで三味線を弾いていたのかというくらい、全身で警戒を示してきている。
それもそのはず。
剣麗華の右手に、再び具現化したカラドボルグが握られていた。
しかも、今までと迫力と言うか、存在感が全く違う。
好調時でも、ここまでの出力は出したことがない。
生まれて初めて見せる『本気』だった。
『悠斗君が遠い』
そんなことはない。
「すぐ近くにいる」
『とても遠くに感じる』
そんなことはない。
同じ気持ちを持っている!
「タートルを倒して、悠斗君の所に駆けつける」
何も問題はない。
二人とも助かれば、誰にも文句は言わせない。
必ず、二人で、明日を紡ぐ。
想いを抱えたヴァルキリーは、無敵の剣を振り下ろした。