赤の姫君と叢雲の戦士
赤神信彦は、67歳でその生涯を閉じた。
すこぶる評判の悪い男だった。
ただでさえ神一族……四方神の一族は影の支配者然としているが、信彦は本物の悪役……あるいは黒幕だった。
しかも、【根本的には良いことをしようとしているが、迷惑以外の何物でもない】という、ラスボス向けの悪役である。
「状況は?」
南の朱雀の次期……いや現当主、赤神瑠璃が尋ねる。
「今のところは順調ですね。先代子飼いの連中はあっさりと投降しましたから」
瑠璃の隣に立つ優男風の護衛……黒木音羽が答える。
「子飼いって、研究者ばかりじゃん。BMP能力者がいないし」
赤みがかかった髪をツインテールにした高校生くらいの少女……赤沢奏音が言う。ただ、警戒は崩していない。
「地下6階までは被験者の収容が完了したようです。一応、その、あまり酷い実験をされたものはいなかったようですな」
体格の良いチンピラ、あるいはマフィアといった外見だが、落ち着いた物腰で前川修司が報告した。
「一応、前情報通りね。式みたいな実験してたら、私が潰す前に朱雀が滅びるところだったわ」
ほっと胸を撫でおろす瑠璃。
「お嬢様、地下7階の調査準備が整ったようです」
何処かに電話をしていた音羽が告げる。
「……準備って、この3人で? 地下7階は結局情報が取れなかったのよね。もう少し連れていった方が良くない?」
「微妙な実力の人間を何人連れていっても被害が大きくなるだけだよ。……実力があっても信頼できない人間はもっと悪いし」
音羽に向けた奏音の言葉に、瑠璃が返す。
「お嬢様は次元獣がおられませんし、カトブレパスもあの状態ですからな」
前川の言葉に諦めたように頷いて、赤神瑠璃と3人の護衛は7階に歩を進めた。
☆★
「図面を見る限り、1人のために作られた階のようですね」
瑠璃が最も信頼する3人の1人、黒木音羽が報告する。
「特別扱いってこと? ひょっとしてヤバいヤツなんじゃ……?」
「やはりカトブレパスも連れて来るべきだったか」
赤沢奏音と前川修司も不安そうである。
「BMP能力は遺伝するが遺伝子には宿らない。あの人の研究は成功するはずがないのよ」
瑠璃の言うことは間違いではない。
強力なBMP能力者の子供は、同じ系統の強い能力者になることが多い。
しかし、なぜかクローンに同じBMP能力が宿らないのだ。
だから、例えば剣麗華のクローンを作ったところで。才能と美しさを兼ね備えたほぼパーフェクトな美少女にはなるだろうが、幻想剣は発現しない。
「……!」
鍛錬室と書かれた大きめの部屋で、その人物を見つけた。
「澄空悠斗……っ」
奏音が小さく悲鳴を上げる。
予想できなかったわけではないのだ。
今、クローンを作るなら、誰だって、剣麗華か澄空悠斗を考える。
だが、BMP能力は遺伝子には宿らない。
鍛錬室の【彼】が劣化複写を使うことはないのだ。
ないのだが……。
「行くわよ」
中の【彼】と目が合った。瑠璃達は覚悟を決めて、鍛錬室の中に入る。
「……君達は?」
【彼】の方から声をかけてくる。
映像で知る澄空悠斗とほぼ同じ声、同じ姿だった。
ただ……。
「二十歳前後に見える……」
奏音がこぼす。
澄空悠斗が業界に知られたのは10年前。その時以降のクローンだとすると計算が合わないのだ。
そもそも、オリジナルの澄空悠斗がまだ高校生である。
「盟約領域【実験室】が施設全体を覆うようにかかっている。さっきまでな」
「!」
「信彦は死んだんだろう?」
「……あなたたちを助けに来たのよ」
肯定の意味を込めて、瑠璃が鍛錬室の青年に告げる。
「他の奴らは助けてやって欲しい。外の世界を知らない奴らだ」
「貴方は……?」
「澄空悠斗を倒したい」
「え?」
「時が来れば信彦がチャンスをくれるはずだった」
「え、え?」
「奴に何かあった時には、あんたが……娘がチャンスをくれると聞いている」
あまりにも予想外のセリフに瑠璃達の思考が止まる。
が、嘘を付いている雰囲気はない。
「貴方は、あの人を恨んでいないの?」
「上の連中は分からないが……、俺は特別だ」
「特別……」
瑠璃が何かを考えるように黙り込む。
「貴方、名前は?」
「? No.187と呼ばれていたが……」
「いちはち……」
奏音が息を呑む。
【BMP187】にあやかった可能性もあるが、もう一つの可能性……澄空悠斗のクローンの数……を想像したからだろう。
「それでは呼びにくいわ」
瑠璃が言う。
「叢雲刹那というのはどうかしら?」
「……刹那?」
「あっちが澄んだ空の下で永久に闘う男なら、貴方は叢雲の下で刹那を生きる。……そんな主に仕える気はないかしら?」
「「お嬢様!?」」
音羽と奏音の声が裏返る。
「四方神、南の朱雀、赤神瑠璃の次元獣の座が空いている」
「……」
「【澄空悠斗を倒す】お仕事よ」
「願ってもない」
叢雲刹那は姿勢を改める。
「信彦が死んだのなら、生活費も心配だからな……」
「あ、そこは現実的なんだ」
赤沢奏音の好感度が少し上がった(5/100)」。
「赤神様」
「瑠璃でいいわよ」
「瑠璃様、しばらくお世話になります」
☆☆☆☆☆☆☆
【天竜院透子の場合】
「ん、んー」
朝、突然の麗華さんのちゅーで起こされる。
「あ、ありがとう、麗華さん」
「ううん。恋人なら当然の行為」
恋人だし、1年と期限を切っている(※絶対延長するが)ので、ある意味正当な権利ではあるが、ラブコメの主人公でもないフツメンの俺が超絶美少女のキスで起こされるのは、やはりかなりの罪悪感がある。
「胸もちょっと触る?」
サービスが良すぎる。
「い、いや、これから学校だから」
麗華さんのことしか考えられなくなってしまう。
「そうだね……。1年後には朝、胸を触れなくなるものね」
それは、死が二人を分かつまで延長する予定だから問題ないが。
「我が主。麗華様。朝食の用意ができましたが」
そこに、天竜院先輩が入ってきた。
相変わらず大きい胸だが、あの大きさであの形はまさにグラビアモデルなみである。
「そっか」
ぽんと麗華さんが手を叩く。
「透子ねえの胸を触ればいいんだ」
「へ?」
「?」
俺と天竜院先輩が首を傾げる。
「私と別れても、透子ねえのおっぱいがあれば問題ないと思う。この界隈で透子ねえ以上の胸を持った存在はいない、と三村が言っていた」
いや、貴方の胸に付いているから、計り知れない価値があるんですよ?
「我が主。申し訳ありません。私の監督不行き届きです」
いや、俺は天竜に麗華さんの素行調整まで求めてませんが。
「透子ねえ、どうして私が変なことを言ってるみたいなことを言うの?」
いや、確かに結構変なことを言っている。
「透子ねえは、格好良いし、美人だし、強いし、優しいし……。何より面倒見がいいし。悠斗君の足りないところを埋めてくれる最高の天竜なんだよ」
それは知ってる。
「胸も大きいし、料理も美味しいし、ポンコツ? なところもあって最高だ。って三村が言ってた」
困った時に三村に頼るのは、麗華さんの数少ない悪癖である。
「そもそも、異性を天竜にした場合、配偶者として凄く優秀だから、8割は結婚すると言われているのに」
貴方は、仮にも恋人にそんな危険生物をあてがったのですか?
「一体、何が不満だと言うの?」
「麗華さんじゃないところくらいか……あ」
しまった。つい声が。
「……そんなの……。嬉しいけど」
マジですか!?
「でも、だめ。1年で別れることを決めたよね」
それを延長するところまで決まっています。
「私が悠斗君のお相手をちゃんと探すから、ワガママ言わずに選んでね」
「了解です」
嫌です。
「……我が主。今日はトーストでよろしかったでしょうか?」
「あ、はい」
天竜院先輩に話しかけられて我に返る。
確かに今日はパンの気分でした。
「オレンジジュースでよろしいでしょうか?」
「は、はい」
昨日の夜まではコーヒーの気分だったのに良くわかりますね!?
「トーストには丸いロースハムを乗せています」
「最高です」
なんで、そんなことまでわかるの?
まじで優秀過ぎませんか?
「あと、我が主?」
「はい?」
「万が一ですが、お相手が見つからない場合は、私が結婚相手になります」
「え!」
「我が主の血脈を絶やすわけには参りませんから」
天竜院先輩が滑り止めに入ると、本命の選択肢が著しく狭まる……。
「なお、麗華様に対しては判定が甘めになりますが、それ以外のおん……女性と結婚したいと言うなら、少し辛めに審査します」
天竜様に審査されるのですか?
「具体的には、賢崎さんクラスを要望します」
そこで相手方が乗り気の人を挙げると、さらに選択肢が狭まるんですけど!!




