第五章『迷宮の突破者』エピローグ
状況の変化に頭が付いていけない。
多少強引なことをしてでも、天竜院先輩に自害を思い留まらせるつもりではあったが、ちょっとこれは意味が分からない……。
と思っていると。
「天竜院先輩が……」
「天竜が……膝を折った……」
「天竜の契約……」
「やばい……俺、出世してしまう」
観衆の生徒達が説明してくれた(※最後のセリフはたぶん三村だ)。
天竜の契約。
賢崎さんによるとだいぶややこしいフラグが必要みたいだったが……。
どこをどうしたのかさっぱり分からないが、条件を満たしたらしい。
しかし、これはどうしたらいいのか……。
「…………」
天竜院先輩は跪いたまま、真剣な目で俺を見上げてきている。
自害は思い留まってくれたようで、それはとても喜ばしいのだが、ここからどうすればいいのかさっぱり分からない。
助けを求めるように麗華さんを見ると。
「……(きらきらと)」
『さすが悠斗君』という感じの熱を籠った視線をいただいた。
俺が最も信頼するパートナーではあるが、今日は残念ながらあまり役に立たない。
「…………(こくこくと)」
と思っていたら、麗華さんが何度も頷くジェスチャーをし始めた。
『了解しろ』という意味だろうか?
全く心が通じ合いたいと思わない三村とはテレパシー並みに心が通じるのに、どうして恋人のはずの麗華さんの言いたいことが良く分からないのだろうか。
……仕方ない。
「……よ、よろしくお願いします」
進退窮まって、それだけなんとか言い切る俺。
「……はい!」
天竜院先輩は、見ているこちらがどきりとするくらい、無邪気な笑顔でそう言った。
そして。
俺の困惑と罪悪感を置き去りに。
体育館を歓声が満たした。
◇◆
そんなことをあったことを、俺はぼんやりと思い出していた。
裏新月祭が終わり、マンションに帰って麗華さんと夕食を食べた後のことである。
あの後、表彰式とかいろいろあったが、正直、天竜院先輩のことばかり考えていて、ほとんど覚えていない。
その天竜院先輩とは、あまり話せないまま別れてしまったのだが。
「悠斗君、どうしたの?」
『美味しかったね』と、1個百円ちょっとのカレールーで作った食事を美味しそうに平らげた、お嬢様兼美少女の自覚がまったくない麗華さんが聞いてくる。
「ああ、いや、天竜院先輩のことでね……」
「とーこ姉?」
「ああ。……あれで、本当に天竜の契約とやらが成立したのかなって……」
麗華さんがカランとスプーンを落とす。
「ゆ……悠斗君? まさか、そのつもりがなかったの……?」
そんな浮気発覚直後の若妻みたいな顔せんでも……。
「い、いや! 正直、色々良く分かってなくて! まさか本当に天竜院先輩と契約ができるなんて思ってなかったから、実際、天竜の契約について全く分かってなくて……」
慌てて弁解すると、とりあえず麗華さんは納得してくれた。
「そうなんだ……。確かにちょっと特殊な契約ではあるね。天竜院家独自の文化だから」
「護衛契約の凄い版、くらいにしか聞いてないんだけど」
「そうだね。もっと正確に言うと、【命を守る契約】かな」
……なんだろう。そう意味は変わっていないはずなのに、いきなり、話が重くなったような。
「命が尽きる日まで、常に主の傍に仕え、その命を守り切る契約。その範囲内で、基本的に絶対服従だったりもするかな。守るという意味では、護衛契約の延長だと思うよ。天竜院の人でもここ数十年ほど事例がないらしいから、良く分からない部分もあるけど」
「…………」
麗華さん相手でなければ、『だましたな』と叫びたい。
共通項があるだけで、とても延長線上とは言えないような気がする。延長だとしても、距離がすさまじく離れているし、何だったら縦軸も違う。
そもそも、ここ数十年ほど事例がない契約のどこが『ちょっと特殊』だ。
……まさか、明日学校に行った時も、『我が主』とか呼ばれないだろうな。
「……悠斗君?」
あかん。これは全く問題点を認識していないときの顔だ。
それなりに絆を深めた今なら諭すことができそうな気もするが、このような麗華さんに負のパラダイムシフトを起こしそうな話題はできればしたくないと考えるずるい俺がいる。
などとアホなことを考えているとチャイムがなった。
「あ、ちょっと出てくるね」
麗華さんが玄関に向かう。
「通販かな……」
麗華さんは物欲がほぼ死んでいるらしいが、意外とネット通販は利用している。
本人曰く『効率的』らしい。まぁ、送料を除けばね……。
「いや、ちょっと待てよ」
のんきな考えを一蹴する。
「まさか……な」
言いながらも、恐ろしい想像に追い立てられるように俺も玄関に向かう。
はたして、そこには、想像通りの恐ろしい光景があった。
「あ……悠斗君」
「お邪魔します。我が主」
我が家(※麗華さんのマンションだけど)の玄関に立つ、戦国武将が転生してきたかのような凛々しくも麗しい美女。
腰に帯剣したまま、女神のごとき美少女(※麗華さん)の横で、恭しく頭を下げている。
あまりにも現実感がなかった。
麗華さんと出会ったあたりまでさかのぼって夢だったのかもしれないと思うくらい。
「遅くなって申し訳ありません。前の家の整理や、五竜への今後の指示について、少し時間がかかってしまいました」
むしろ、それらが今日中に終わったことの方が驚きだが。
「い、いや、そんな……」
『もしかしてここに住む気ですか!?』とは聞けない。
さすがの俺も、そのくらいは状況が読める。
「じゃあ、私が部屋を案内するね」
「え、あ! 麗華さん!」
麗華さんを呼び止める。
「何?」
振り返って小首をかしげる麗華さん。
凄まじく可愛いが、今は俺の訴えに耳を傾けて欲しい。
『いや、絶対これはやばいって』と。
声にすると天竜院先輩に聞かれるので、目で訴える。
「あ、大丈夫だよ。契約書は私が作成しておいたから」
「……あ、そ、そうなんだ」
あかん。やっぱり、通じない。
「きちんと悠斗君の実印も押しておいたよ」
なぜ、麗華さんが俺の実印を持っているかは、もはや問題ではなく。
「……給料は私の口座から払うようにしたけど、やっぱり余計なお世話だった?」
いや、それほど高等な悩みまでまだ至ってはなくて。
「我が主。やはり、私がメイド服を着てこなかったことにお怒りですか?」
なんでやねん。
「三村君には、かなり勧められたのですが……。我が主の好みかどうか判断がつかなくて……。麗華様とも相談した結果、とりあえず普通の服でお仕えすることにしたのです」
「い、いや、そもそもなんでメイド服?」
「家事もしてもらうからだよ」
と麗華さん。
「せっかくお傍に仕えるのですから、護衛だけでなく、身の回りのお世話もさせていただければと思っております」
「とーこ姉は、料理も美味しいんだよ」
家事出来るの、この人!
あかん。麗華さんに俺の拙い料理を提供し、その美肌を危機に陥れている俺としては、料理ができる人の同居を拒む術が全くない。
「御心配なく、我が主。お望みであれば、今からでもメイド服を調達して参ります」
「あ……いや……」
望んでないのでいいです。
「その……いまさらだとは思うけど、若い男女が一つ屋根の下というのはどうかと」
いや、麗華さんと暮らしている以上、本当にいまさらだけど。
「それは問題ないんじゃないかな」
なんで!?
「我が主。天竜の契約を結んだということは、私はペットのようなものです」
「ぺ……」
ペット!?
「犬猫と一緒に暮らすことをとがめる人はいないでしょう?」
こんな美しいペットがいてたまるか!
「とーこ姉は、犬猫じゃなくて竜だけどね」
「さすが麗華様。うまいことを言う」
やばい。
上流階級のお嬢様方の会話は、どこがうまいことを言っているのか、俺にはさっぱり分からない。
「じゃ、案内するね」
と、話はついたとばかりに、今まで見たこともないほど嬉しそうに室内に入っていく麗華さん。
麗華さんと天竜院先輩のわだかまりが解けたことは自分のことのように嬉しいのだが、実際に自分が巻き込まれていると、喜んでばかりもいられない。
……だいたいなんで俺? 麗華さんが主じゃ駄目なのか? 重要度的にも人物相関図的にも見た目的にも、その方が絶対にいいと思うのだが。
悩みの消えない俺に、天竜院先輩が顔を近づけてくる。
「我が主。問題があるならいつでもおっしゃってください。どんなことにも対応いたします」
まず我が主と呼ぶのを辞めて欲しい。と口に出すのが無粋なことくらいは、空気を読むのが下手な俺でも分かる。
「だ、大丈夫です。問題ありません」
嘘である。
「そうですか。良かった……」
美人にそんな顔をされたら、もう何も言えません。
「では我が主。お仕えする前に、一つだけ伝えたいことがあります」
「え?」
「10年前。私が貴方に初めて負けた時の話。おそらくは、麗華様と初めて会った時の話です」
☆☆☆☆☆☆☆
「んー。これは、伝えている感じかなぁ」
悠斗達のマンションの廊下。
彼らが仲睦まじくしている部屋のドアを眺めながら、最後の四聖獣ミーシャ・ラインアウトは呟いた。
「かくして、勇者は迷宮を突破し、竜を従え、お姫様との誓いを思い出す。……本当にベタベタな物語ね。はじまりの幻影獣様の趣味かな」
運命を超えてくるタイプの主人公なので、シナリオ通りかどうかはなんとも言えないが。
「……あら?」
自分の手を見て気づく。
明らかに薄くなってきている。
「時間かぁ……」
幻影獣なので、恐怖はない。
「まぁ、本当にお姫様との出会いを思い出せるわけではないし、お姫様が最初から勇者様を裏切っているところが、この物語の悲劇の軸なんだけど……」
幻影獣にあるまじきというか、ミーシャは少し表情をくもらせた。
右手はひじのあたりまで消えている。
身体も薄くなっているだろう。
幻影で見た目をごまかすことはできるが、今、彼女を見ている人間は誰もいない。もうそんな必要もない。
「これ以上は、助けることもちょっかいをかけることもできないか……」
この100年のことを。四聖獣のメンバーとの出来事を思い出す。
そして、小野倉太と澄空悠斗との思い出を噛みしめる。
「次は100年後くらいかな。世界があったら。今度は悠斗君たちのひ孫さんを相手にいっぱいちょっかいかけようね、ソータ……」
そう言い残し。
最後の四聖獣は、風の中に消えていった。