小テストを受けるために
とある通話記録より。
『
「お嬢様。私の感情は戻らないんですよね?」
「? 賢崎一族にはできないというだけで、絶対に不可能というわけではありませんが?」
「その二つは、ほとんど同じでは?」
「同じでなくするパンドラブレイカーな彼と、今一緒に暮らしているではないですか」
「あの人のアレは、もう少し世界的なものに発揮されるもので、私の個人的な問題は適用範囲外では?」
「逆ですよ。あの人のアレは、目の前の人にしか発揮されないんです。本人が必要以上に庶民思考なので」
「だから好き……と?」
「別にそんなことは言っていませんが」
「嫌い?」
「そんなことも言っていません」
「なるほどだいたい分かりました」
「? 本当に分かったんですか?」
「はい。とりあえず検証してみます」
』
☆☆☆☆☆☆☆
◇◆◇◆◇◆◇
麗華さんが微笑んでいる。
だからこれは夢なんだろうと気が付く。
覚醒時衝動のせいで心が一部壊れてしまった麗華さんはあんな風に微笑むことができない。
正直なところ、それほど治って欲しいと思っているわけじゃない。
今のままでも、麗華さんは十二分に魅力的で、これ以上、好きにならなくてもいいくらい、俺の心は持っていかれてしまっている。
ただ、それはそれとして、優しく微笑む麗華さんは、超絶美しかった。
……唇を合わせる。
暫定恋人になれたというのに、背徳福音のせいで、現実ではあまりイチャイチャできないが、夢なら問題ない。
…………。
いや、問題ないか?
夢だろうと興奮したらまずいのは同じ気が……。
慌てて離れようとするが、頭ががっちり押さえられていて動かせない。
とろけるような香りと湿った舌の感触が、口の中で蠢く。
…………。
◇◆◇◆◇◆◇
目が覚めると。
目の前には春香さんの顔があった。
「~~~~!!」
叫び声を上げながら飛びのこうとするが、がっちりホールドされていて、いずれも不可能だった。
数秒ほどそのままの体勢で舌をかわし、その後、糸を引きながらお互いの唇が離れた。
「おはようございます。ご主人様(はあと)」
「…………」
いやいやいやいや!!
「へ、変態行為は控えるって言ったじゃないですか!?」
「い、一応仮にもファーストキスでディープキスを捧げましたのに、変態行為とはあんまりないいようでございます……。よよよ」
「あ、えと、……すみません……」
…………。
す、すみませんでいいんだよな?
何が何だか分からなくなってきた……。
「な……なんというか……。春香さんの特殊な事情も少しは分かるんですが……。さすがにもう少し自分を大切にしたほうがいいかと……。普通に美人で魅力的なわけですし……」
俺も混乱しているから、ありきたりな説得をしてみる。
ありきたりだが、本音である。
麗華さんに知られたら俺の首がピンチという以上に、春香さんのことが心配だった。
「……大丈夫ですよ。ただの検証です」
ふと真顔に戻って答える春香さん。
「検証?」
「大したことではありません。確認もできましたので、これで失礼しますね」
言い残して、春香さんは部屋から出ていった。
☆☆☆☆☆☆☆
澄空悠斗の部屋から出たところで、式春香は弟の式雪風と顔を合わせる。
「何よ、雪風。麗華様はもう出かけたんでしょ? バレる心配はないわよ」
「…………(ふるふると)」
「ん。演技にしてもやりすぎだって言いたいの? 検証よ」
「…………」
「唇でも合わせてみれば、少しは心が動くかなと思ったんだけどね。全くだったわ。いくらパンドラブレイカー様でも、私にまで恩恵はないみたいよ」
「…………(ふるふると)」
「何よ? 顔?」
雪風に促されるままに洗面台に行き、鏡を見て、式春香は絶句した。
「うそ……」
鏡に映っていたのは、耳まで真っ赤に染まった自分の顔だった。
☆☆☆☆☆☆☆
ダイニングに出てきた俺を出迎えてくれたのは、色鮮やかなスクランブルエッグが眼を引く朝食と、雪風君だった。
春香さんはいない。
「…………(ちらちらと)」
姉がすみません、というような顔をしている雪風君。
俺に非があるとも思いたくないが、春香さんに悪いことをしたような気にもなっている俺としては、どう反応したものか迷うところであった。
なにはともあれ、朝食を食べることにする。
どちらでもいけるが、どちらかというと朝は洋食がいいような気がしないでもない。
「……うまい」
カリカリのベーコンとスクランブルエッグが俺の胃袋を鷲掴む。
作り主は、傍らで佇む美少年。
女の子だったら嫁に来てもらいたいくらいである。
いや、俺のせいで女の子にしてしまうかもしれない美少年だった。前言撤回。
それはともかく。
「麗華さんは?」
「…………(さしさしと)」
玄関を指さす雪風君。
先に行ったということだろう。
「珍しいな」
基本一緒に登校するのだが。
と思った瞬間、昨夜の記憶が蘇ってきた。
「ひょ……ひょうらった……!!」
さわやかな風味の中にしっかりとした甘みを感じる謎のドレッシングがかかったサラダをほおばったまま、俺は叫んだ。
思い出した。
今日は小テストがあったんだ!
昨日の夜、麗華さんに勉強を見てもらいながら、手ごたえを感じた俺は、今日の小テストで自己最高得点を更新すべく、一人で夜遅くまで勉強していたのだ。
「麗華さん。明日はギリギリまで寝るつもりだから、先に行っていていいよ」と麗華さんに言って!
「時間は!?」
時計を見る。
雪風君が超絶優秀美少年執事とはいえ、まだ『何時に家を出れば学校に間に合うか』を教えていなかったのが災いした。
というか、いくら春香さんのことがあったとはいえ、ここまで一度も時計を見なかった、我が間抜け具合が災いした。
……端的に言うと、遅刻寸前だった。
◇◆
雪風君の作ってくれた朝食を大急ぎで掻き込んだ俺は、通学路を走っていた。
食べてすぐに走ると腹が痛くなりそうだが、走らないと間に合わない。
ついでに言うと、走るより速く腹も痛くならない方法もある。
「劣化複写・俊足」
KTI四天王の一人、前田朱音先輩から複写したBMP能力で、道路を滑るように高速移動する。
中長距離の移動なら、超加速より、こちらのほうが向いている。
自らの寝坊のせいで遅刻しそうだというのに、BMP能力で何とかしようというのは、BMPハンターとしてどうかとも思うが、もはやそんなことも言っていられない。
これも訓練の一つだと思うことにした。日々鍛錬だそうなんだ。
「…………っと」
曲がり角が見えてきた。
止まるべきなのは火を見るよりも明らかだが、なぜか行けそうな気がした俺は、減速しながらコーナーに突っ込んだ。
「っ!」
「!!」
のが災いした。
コーナー先に現れる人影。
俺と衝突した人物は、そのまま塀に激突した。
『こんな曲がり角で視界を塞ぐような塀を作るような家が悪いんだ』などと八つ当たりをしている場合ではない。
BMPハンターが一般人を傷つけてどうする!?
「だ、だだだ、大丈夫ですか!?」
大慌てで駆け寄って抱き起こす。
ちょっと外側に膨らみ気味にカーブしていて良かった。逆方向に飛ばしていたら道路である。
「あ……だ、大丈夫です」
若干減速したとはいえ、かなり豪快に跳ね飛ばしたはずだが、被害者の男性は特に痛がった様子もなく立ち上がってきた。
度の強そうな眼鏡をかけた、細身で背が高い男性だった。
いや、というか。
「新月学園生ですか?」
「あ、はい。新月学園に通っている伊集院瑞貴と言います」
どちらかというと地味目の容姿に不釣り合いな麗しい名前の新月学園生だった。
しかも、どうやら先輩ぽい。
「澄空君だよね? いや、まさか、君のような有名人と、登校途中に漫画みたいにぶつかるなんて運がいいなぁ。僕が美少女じゃなかったのは非常に申し訳ないけど」
「い、いえいえ」
そんなことを気に病む必要は全くないのですが……。
「本当に大丈夫なんですか? かなり跳ね飛ばしてしまったみたいなんですが……」
「大丈夫大丈夫。不幸な目に会うのはまあまあ慣れてるから」
そういう問題ではない気がするが……。
(失礼な言い方ではあるが)見た目に反して、意外に運動神経がいいのかもしれない。
「あはは、そうだね。スマホで漫画なんか読みながら登校していた僕も悪いね」
「え?」
伊集院先輩が言う通り、確かにスマホが転がっている(※壊れていたら弁償せねば)が……。
……今誰と話していた?
塀の方を向いていたみたいだけど……。猫がいるくらいで、誰もいない。
「あ、ごめんごめん。変なところを見せたね」
俺の視線に気づいたのか、こちらを振り返りながら声をかけてくる伊集院先輩。
[ほんまやで。こっちのイケメンはん、ぽかんしてるやないの]
唐突に、塀の方から上品な女性の声がする。
「え?」
慌てて振り返ってみるが、猫しかいない。
そのまま凝視するが、猫が美女に化けたりはしない。
[な、なんやの、このイケメンはん。うちの毛並みに興味津々なんか?]
「いや、確かに美しい毛並みだとは思うけど……」
[な、なんやの……。誠実系のイケメンにみせかけて、初対面のおなごをいきなり口説くなんて、悪い男なんか?]
「いや、そんなつもりは……」
……というか、これ。
猫と会話が……。
「す……澄空君?」
伊集院先輩も驚いたように声をかけてくる。
そういえば、さっき伊集院先輩が先に……。
って、それより!!
「す、すみません! 俺、今日、実は凄く急いでいて!」
「あ、ああ、うん。いいよいいよ。僕は怪我も全然ないし。行って行って」
なんと心の広い先輩か。
後で必ずもう一度謝りに行くことを約束し、俺は再び、俊足を起動させた。
次からはコーナーでは必ず止まろう。絶対。