迷宮の休憩所
「疲れた……」
思わず声が出る。
身体はくたくただった。
しかし。
「…………」
あれだけの戦闘の後なのに、まだ余力がある。
本当に……。『変わった』んだな。
それほどの後悔はない。
もともとBMP能力者は人間離れしているし、もっと人間離れ級の知り合いが大量にいるし。
……なにより、また麗華さんに会える。
と思った時だった。
「? 麗華さん?」
が、屋上の入り口に立っている?
世界の秘密なんてものを持ち帰って目を覚まして。
幼馴染と拳……というかBMP能力で語り合って。
最後の四聖獣を撃退して。
そんな目覚めてからの波乱万丈の一日の中でも、一時たりとも頭から離れなかった超級の美少女が、いつも通りの無表情な目でこちらを見ている。
一瞬、幻覚かと思ったが。
まるで瞬間移動のようなスピードで軽やかに距離を詰めてきた麗華さんに、すぐさま我に返る。
「れ……ぶっ!」
強烈な衝撃を感じて、さきほどまでミーシャが寄りかかっていたフェンスに叩きつけられる。
フェンスに寄りかかったまま、恐る恐る見上げた麗華さんがビンタのフォロースルーの形を取っている事実に、さらなる衝撃を受ける。
「れ……れいかはん……?」
なんか呂律が回らないぞ。
「いきなり叩いたのは不作法だと思うけど……。謝るわけにはいかないから」
「や……やっはり……」
『叩いた』でいいんですよね!?
これまで温存していた正体不明の新スキルとかでなく!
ただのビンタでいいんですよね!?
レーヴァテイン召喚中なら身体能力が底上げされる。
が、もちろんそんなものは召喚していない。
俺を片手で縦に2回転させたのは、素の腕力ということだ。
「…………」
ありえない。
麗華さんの細腕を見ながら思う。
が、よくよく思い返してみれば、初めてホテルで会った時、いきなりドアを吹き飛ばしていたような……。
分からない。どうなってんだ、この人……。
「……悠斗君、……そんなに痛かった?」
「い……いひゃいというは……」
顎がしびれてて……。
あと、口の中がゴロゴロする。
「ぺっ……」
とゴロゴロする何かを吐き出す。
屋上の床にコロコロと転がるソレは、血がこびりついた俺の奥歯だった。
「…………」
折れとるやないか。
「い……痛かった……よね?」
「いひゃ、そんは……」
とっさに左手でガードしなければ、頚椎イッてた気がしますが。
「ご……ごめ……謝らないけど」
「?」
麗華さんが床に転がった俺の歯に手を伸ばす。
そして、それを自分の口に入れた。
「へ?」
コロコロと口の中で転がすように舐めて。
口から取り出した時には、歯から血が取り除かれていた。
「口、開けて」
「ひゃ、ひゃい」
おとなしく開けた俺の口の中に、抜けた歯が戻される。
そして。
「幻想剣・生命剣ユグドラシル」
樹木を象った剣が、負傷箇所に当てられる。
しばらくすると、痛みとしびれは嘘のように収まっていた。
「ま……まじで……?」
抜けたはずの歯を揺すってみるが、ビクともしない。
激レアの治療系BMP能力……!
「す……凄いよ、麗華さん」
「そんなことより」
ずずいっと、麗華さんが迫ってくる。
「幻影獣の女とキスしていた経緯が知りたい」
「へ?」
「…………」
「知りたい」
こ、これってまさか、さっきの見られた?
それを今、詰問されている?
「い、いや違うんだ、麗華さん!」
幻影耐性のあるウェポンクラスには嘘は通じない(なんて厄介なパッシブスキルだ)。
俺は正直にありのままを話した。
長い眠りの中で、月夜との出会いを思い返したこと。
その助言に従い、はじまりの幻影獣の身体を取り込んで復活したこと。
ミーシャ・ラインアウトに襲われた新月学園を救うために駆け付けたこと。
唆された幼馴染を、無傷で無力化したこと。
ミーシャ・ラインアウトと屋上で決戦したこと。
ほぼ勝利していたが、小野に対する罪悪感のせいで止めを刺せなかったこと。
……戦闘後キスされたこと。
「最後でいきなり意味が分からなくなったんだけど……」
「俺も分からないんだって!」
順を追って話したのに、最後だけいきなり異質の展開が出てくるんですよ。
「まぁ、それはいいか」
「いいの!?」
あっさりし過ぎてる!
なんなのこれ!?
「次の問題がある」
「は……はい」
「ここに来る途中で、意識が朦朧としていた魔弾に『ケンちゃん……ゆうとっちー』と抱きつかれそうになったんだけど」
「ぶっ」
「話の流れからして魔弾が幼馴染なんだよね?」
「は……はい」
「彼女ともキスしたの?」
「し……してないです!」
「キスもしたそうな雰囲気だったけど」
「ぜ……前者のケンちゃんが彼女の本命ですので!」
だと思うんだ、たぶん!
少なくとも、俺との間には恋愛感情的なものはなかったとおも……。
「ねぇ、悠斗君」
「は……はい!」
「コレ……何が面白いの?」
「ひっ!」
背筋を死神の鎌で撫でられた気がする。
「す……すすす、すいません! 決して麗華様を馬鹿にしている訳ではないんです! ヤレヤレ系を気取っているわけでもないんです! 本当に状況についていけていないだけで! 今後はこのようなことのないように細心の注意を払って……!」
「……なぜ『様』を付けるの?」
「……なぜでしょう?」
「悠斗君。今は、悠斗君の反省の有無を問題にはしていない」
「そ、そうなの……?」
じゃあ、何が問題なのですか!?
もう何がなんやら……。
「私の嫉妬に対する評価を聞いているの」
「?」
「聞いているの」
「シット?」
「嫉妬」
「なんで?」
「恋人だから」
「コイビト?」
「恋人」
「なんで?」
「副首都区に行く前に、『好きだよ、麗華さん』って言ってた」
……た、確かに言いましたが。
「それに対して、副首都区から帰ってきて悠斗君が長い眠りについた直後くらいに『今はまだ、恋も愛も分からないけど。恋人だってできるよ』と答えた」
「…………」
『直後』なら、俺が知っているわけがないと思うんですが……。
「だから、恋人の責務として『嫉妬』をしているんだけど」
「…………」
「実際に若干腹が立ったから、演技としても真に迫っていると思われるのだけど」
「…………」
わ、分かりにく過ぎる。
三村が『剣って、チョロイン気質だけど難易度は高いよな』と謎の考察をしていたが、それが正しいことが立証されてしまった。
「……やっぱり、おかしかった……かな?」
「…………」
でも俺は。
そんな高難度系チョロインな麗華さんのことが……。
「やっぱり……やめようか」
「え?」
「パートナーとして大事に思っているのは間違いない。けれど、『愛しい』の分からない私には恋人は無理だと思う」
「そんなことは……」
「悠斗君が眼を覚まさない間、必死で解決策を考えてたけど、一度も涙を流さなかった。エリカはあんなに泣いていたのに……。今だって、あんなに会いたいと思って全速力で駆け付けたのに、こんなやり取りしかできない。言いたいことの10分の1も伝えられない。自分が少し壊れていたのは分かっていたけど、ここまで恋人の適性がないことがはっきりしたなら。ただのパートナーとして。……悠斗君が望むなら肉体的な接触だけでも自由にしていい……んむっ!?」
「…………」
おしゃべりな唇を、唇で塞ぐ。
って、俺、何やってんの!?