緋色先生の個人授業
「二重人格?」
緋色先生が、すっとんきょうな声をあげる。
そして、他の先生が、『またアイツか』的な距離の取り方をする。もう慣れたけど。
だから、あなたがたも、いい加減、俺に慣れろよ。
「俺は覚えてないんですけど」
あまりに、三村とエリカがうるさい(特に三村)ので、麗華さんと一緒にこども先生に診てもらいに来たという訳だ。
ちなみに麗華さんは、BMP過敏症の検査。今のところ、特に心配するほどではないらしい。
「悠斗君は、私を廃業させる気なのかしら?」
「え?」
なんでだ。まさか、こども先生を廃業して、大人先生になるとか?
と、あほなことを思い浮かべたら叩かれた。
「失礼なことを考えたわね」
と言う緋色先生。
さすがは、アイズオブエメラルドだ。
「いくらなんでも、人格障害を見過ごしていたなら、感知系能力者失格ってことよ」
と、麗華さんを診るために外していた眼帯を弄びながら言う。
しかし、いつ見てもごつい眼帯だ。もっとファンシーなのにすればいいのに。
「じゃ、いい? 動かないでね」
と、俺の顔を固定して深緑の右目で覗き込んでくる緋色先生。
いつもより、さらに近い。
「うーん……」
「あの……」
「うーん……」
「あ、あの……」
「うむむむむ」
「せ、せん、せせせせ……」
「うむー!」
「ゆ、揺らしすぎです……!」
いつもより、激しく頭をシェイクされました。
「やっぱり、分かんない!」
……さいですか。
「前から聞こうと思っていたんだけど」
それまで黙って見ていた麗華さんが口を挟む。
「緋色先生が言う『分からない』って、何が原因なの?」
「原因も何も、全然、さっぱり、何も分からないの」
はっきりと言い切るこども先生。
「でも、正直なところ、ひとつだけ心当たりがあるの」
「え?」
初耳だ。
というか、心当たりがあるならどうして今まで言わなかったんだ?
「でも、ここじゃちょっとね。場所を変えましょう」
◇◆◇◆◇◆◇
連れてこられたのは、生徒指導室。
あったんだな、うちの高校にも。
ちなみに、いくらうちの高校が特殊でも拷問器具とかはないから安心していい。
…………たぶん。
「場所を変えるってことは、何か秘密の話でもあるんですか?」
心配になったので、聞く。
BMP能力に係ってから、心配性になった気はするな。
「そうね」
肯定するこども先生。
「私は、居ていいの?」
麗華さんが口を挟む。
そういえば、まったく普通の成り行きで、麗華さんを連れてきているけど、大丈夫なのか。
「悠斗君次第ね。私は、麗華さんにも聞いてもらった方がいいと思っているけど」
と、緋色先生が俺を向く。
麗華さんも向く。
話の内容が分からないけど、別に麗華さんに隠すことはないだろう。
麗華さんなら、隠しておいたエロ本を見つけても、『悠斗君の嗜好の傾向を教えてもらえれれば、次は私が買ってくる』とか言いそうだ。
まあ、それはともかく。
「問題ないです」
「そう。分かった」
緋色先生が、俺たち二人に椅子に座るように促す。
「さっき言っていた心当たりなんだけど」
「はい」
「私のアイズオブエメラルドは、どんな現象でも解析できるのが特徴なの」
「はあ」
「つまり、いくら澄空君が特殊でも、解析できないということはありえないの」
「はい」
「なのに解析できないとなると、答えは一つ」
「はい」
「私を上回る力の持ち主による精神プロテクトがかかっている可能性がある」
「……はい?」
精神プロテクト?
なんですか、それ?
「分析に特化した緋色先生クラスのBMP能力を妨害する能力? そんなものがあるの?」
すかさず質問する麗華さん。対応早いな。
「私もないとは思うんだけど……。少なくとも、今まで見たことはないわね」
マジですか?
「あ、あの先生……。その精神プロテクトってやつ、危険はないんですか?」
「あると思う。これが本当に精神プロテクトだとすると、暗示や催眠というより、ほとんど呪いね。二重人格というのも、その影響じゃないかしら」
マジですか!
「悠斗君がBMP能力に目覚めたことで、精神構成に変化が生じ、ほろこびが出始めている……? ありうる話だと思う」
そして、どんな時でも冷静な麗華さん。
「悠斗君、ちょっと聞きにくい話なんだけど……」
「な、なんでしょう?」
「これほどの精神干渉を受けていて、そのことだけを忘れているとは考えられないの。悠斗君。ひょっとして、ある時点からの記憶がないんじゃないかしら?」
「まさか。そりゃ、小さい頃のことはあんまり覚えてないですけど、記憶喪失とか、そんなドラマチックなことはないですよ」
まあ、一般的な家庭ではなかったけど。このご時世、珍しいというほどでもない。
「なら、いいんだけどね」
緋色先生が、ほっと息をつく。こういう仕草は、年上っぽくも見えるな。
「私も色々試してみるけど、正直、不透明な部分が多いわ。麗華さん。BMP過敏症のこともあるのに申し訳ないけど、悠斗君のこと、見てあげてくれるかしら?」
「了解した」
即答する麗華さん。
正直に言って、頼もしかった。
俺のBMP能力値は、人類最高らしいけど。
この人を守ってあげられる日は、来そうにないな。
◇◆◇◆◇◆◇
一日の学園生活を終え。
俺たちは、マンションに帰ってきた。
いつまでも同居状態なのはまずいとは思っているのだが、新居が見つからないのだから仕方がない。
今日の夕食はシチュー。
家事は分担しているが、料理だけは必ず俺の当番だった。
「前のより、おいしい」
麗華さんが嬉しいことを言ってくれる(無表情だけど)。
「ども」
正直、『よーい丼』亭でバイトしていた時より、料理の上達が早い気がする。
こんな完璧美少女に食べてもらっているのだから、あたりまえかもしれないが。
「悠斗君」
と、麗華さんが、口に運ぼうとしたスプーンを一旦置いて話しかけてくる。
「ん?」
「聞きたいことがある」
なんだろうか?
「私の家族を紹介したのに、悠斗君の家族について聞いたことがなかった」
……確かに話したことはない。
というより。
話すことがなかった。
「……あー。俺、家族いないから」
なんでもないことのように、答える。
事実、なんでもないことだった。
「家族、いないの?」
「あ、ああ……」
なんでもないことだと思っていた。
「私には分からないけど、家族がいないのって寂しいことなの?」
な、なかなか凄い質問だけど、麗華さんらしいと言えばらしい。
俺は全然気にしてないんだし、ここは、軽く答えればいいか。
「そりゃあ……。寂しいよ」
? あれ?
声、暗くないか?
「特に食事時が……ね。生活に困ったというほどではなかったんだけど……」
暗いって、声。
今まで、全然、気にしたことなんかなかったつもりなのに……。
麗華さんと二人の食事に慣れてしまったからか?
腹にずんとくるような、嫌な重さがある。
「ゆ、悠斗……君?」
麗華さんが驚いたような顔をする。
やば。
ひょっとして、ひいた?
「あ、あー。ま、まあ。一般的な感覚だよ。うん! やっぱ、人間、一人では生きていけないっていうか! ちょっと寂しいくらいが、正常というか!」
「悠斗君」
「いや、ちょっと大げさに言ったけど、フィクションというか、ドラマチック気味というか、ほんとはそんなに気にしてないから!」
「悠斗君」
「というか、俺は一人でも平気だぜ、的な強がりは男がやっても格好良くないというか、あくまで、一般的なオーソドックスな意見というか」
「悠斗君」
「なんというか……」
自分でどんどん慌ててテンパっていく俺に、麗華さんは冷静に呼びかけ続けている。
な、なんか格好悪いな、俺。
と。
「え?」
麗華さんが、深々と頭を下げた。
「ごめんなさい」
「え?」
え? え? え?
「私は、今、とても無神経なことを言ったんだと思う」
「え?」
「だから、ごめんなさい」