シナリオのない物語へ
永い眠りから目を覚ました瞬間、目の前に片翼の幻影獣が存在していた。
幻影獣は、病院の個室で寝たままだった俺から、自らの左腕を抜き取ろうとしているところだった。
俺は大慌てで、俺の腹から抜かれようとしている羽の生えた幻影獣の腕を掴んだ。
「澄空悠斗」
「ごめん。この腕、もうちょっと使うんだ」
機械音声すれすれの透明な声音に、とりあえずこちらの都合を告げてみる。
「この腕は、もはや貴方の命を縮めるだけのモノです。現に、半分ほど抜いただけで、目を覚ましたではないですか?」
「それは分かってる」
「この腕を抜き取ってしまえば、これ以上貴方の命が減ることはない。剣麗華の助力があれば、天寿を全うすることすらできるかもしれませんよ」
「BMP能力が使えなくなるのは困るんだ」
「抜いたところで、すでに発現しているBMP能力が使えなくなったりはしませんよ」
「そ……そうなの?」
「もっとも、今の貴方の状態では身体の方が耐えられないでしょうが……。なんにしても、この腕はもはや貴方にとってデメリットしかないのです」
『分かりましたね』と言わんばかりのザクヤ・アロンダイトに対して、俺はやはり腕を離さない。
「実質的に使えないんじゃ困る。これまで通り……できたら、これまで以上に使いたい。フラグ回収が大変なんだ」
「何を……」
と、何かに気づいたのか、ザクヤの顔が驚きに染まる。
「まさか……私の腕と、融合するつもりですか……?」
「ああ」
「正気……ですか? 1/16ほどですが、人ではありえない物体が混じるんです。……人間ではなくなるのですよ」
「ぐ……具体的には……?」
ちょっとだけビビっていた俺は、一応聞いてみる。
「睡眠・食事・排泄・性交……。生物としての機能的なものに変化が起きる可能性もありますが、深刻なのは精神面です。3大欲求はじめ、心が人間のモノでなくなるかもしれません」
「心……」
「好きだったものが好きではなくなる。大事にしたかったものの価値が見いだせなくなる。確かに私の腕と融合した貴方は強いでしょう。しかしそれは、貴方が大事にしている何かを犠牲にしてまで必要とするものなのですか?」
「…………」
「…………」
「……その俺が『大事にしている何か』」
「え?」
「俺の代わりに誰かが闘って守ってくるものなのか……?」
「あ……」
「…………」
「……ありません。貴方は唯一無二の存在。貴方でなければ守れないものが存在する。……だからこその『主人公』です」
言い切るザクヤ。
そう。ここまでの大筋を書いていたのはこの幻影獣のはずだ。
誰より俺の価値を分かっているはず。
……俺自身にあんまり自信がないという問題はあるが、言わなきゃ気づかれまいて。
「約束の幻影獣を倒せるのは俺しかいない」
こともないかもしれないし、俺に倒すビジョンがある訳ではまるでないが、とりあえず言ってみる。
「……それは、……そうかもしれません」
「任せて欲しい」
「……貴方は『主人公』として十分に役目を果たした。私のシナリオは完遂されたのです」
「まだ、約束の幻影獣を倒していない」
「……現状でそこまでのシナリオを書くのは難しいのです」
「必ずしもシナリオは必要じゃない」
「……貴方が死ねば元に戻りますが、それまでの間、片腕片翼を失うのは、リスクが大きいのです。不測の事態に対応できなくなる」
「次に約束の幻影獣を倒せる機会を待つよりリスクは小さい」
かどうかは分からないが、とりあえず言い切ってみる。
「…………」
「…………」
「……いいでしょう」
しばらく見つめあった後で、ザクヤが言う。
「正直に言うと、わずかでも約束の履行の可能性がある以上、迷うような選択肢ではありませんでした。……貴方の境遇に、立場もわきまえず同情してしまったのかもしれません」
「同情は有り難く受けるよ。けど、その腕はどうしても必要だ」
「……喜んで」
言って、傍に立っているザクヤは、今までとは逆に、自らの腕を俺の腹に押し込み始めた。
「ぐ……く……」
苦しくはないんだけど……、今更だけど取り返しのつかないことをしている感じが……。
「……デメリットばかりでもありませんよ」
俺が不安そうな顔をしているのに気が付いたのか、ザクヤが語り掛けてくる。
「1/16とはいえ人間でなくなるということは、その分、私の権能が使用可能になるということです」
「? BMP能力が自由に使えるようになるだけじゃなく……?」
「【はじまりの幻影獣】としての権能です。扱いは難しいですが、非常に強力です。ガイドも付けておきますから、いざというときには使用してください」
「……りょ、了解です……」
ザクヤの腕が、俺の身体に溶け込むように消えていく。
「まずは盟約領域を集めることです」
「……めいやく……?」
「次元獣が約束の幻影獣を守る結界……。まぁ、こうなった以上は、相手の方から接触してくるでしょうが……」
「……?」
「なるべく私も力を貸したいですが……。これから先は私のコントロールも効きません」
「…………」
「シナリオのない物語の進行を……どうかお願いします」
その言葉を最後に、俺の意識は途絶えた。
◇◆
意識を失っていたのはそんなに長くなかったと思う。
気づいた時には、ザクヤはもういなかった。
「…………」
点滴を適当に外し、ベッドから起き上がる。
とんとんとジャンプし、頭に手を当ててみる。
いきなり無敵になったような感じはないが……。
「すんごい、調子いい……」
副首都区での戦いの前からずっと感じていた頭痛や倦怠感が嘘のように消えていた。
マイナスが消えたというだけのことではあるが……。
まるで生まれ変わったかのようだ。
「…………」
同時に不安になる。
今の俺は1/16ほど幻影獣になっているのだ。
<好きだったものが好きではなくなる。大事にしたかったものの価値が見いだせなくなる。>
ザクヤのセリフを思い出す。
……検証せねばなるまい。
眼を閉じて思い浮かべる。
「さくさくの衣に鶏ささみとチーズ。そして、なんか野菜らしきものがゴロゴロしたタルタルソース。付け合わせには、なぜかソースカツ丼……」
新月学園食堂年間売り上げ第3位にして、俺の最大の好物。
……腹減った。めっちゃたべたい。
「よし……!」
俺は紛れもなく人間だ。
《ちょっと待て!》
?
「アニキ?」
《食欲も大事だろうが、人間の確認なら、他にもっとあるだろうが!? ソードウエポンへの想いとかはないのか!?》
「そこがブレるようだと、人間以前に、もう澄空悠斗じゃなくなるからなぁ」
《……そ、そういうものなのか……? いやそれにしても、二番目にささみチーズフライを持ってくることはないだろうに……。あれ、実はヤバイもん入ってないだろうな……?》
「それよりアニキ。なんか今日、声が大きくないか?」
《……精神の壁がほとんどなくなった。たぶん、もういつでも意思疎通が可能だ。なるべく黙るようにはするが……》
「そっちはどんな様子なんだ?」
《俺の隔離領域が消滅した。なのに、俺が俺として存在できている。確かに人ならざる精神構造だな……》
「そ……そなの?」
《役に立つものがないか探してみる。何かあったら呼べ》
と言い残して、アニキ……緋色翔は声を届けてこなくなった。
「……とりあえずはアニキに任せるか……」
何か異常があれば教えてくれるだろう。
「それより……」
さっきからずっと気になっていたことがある。
テレビがついているのだ。
「…………」
うろ覚えだが、ザクヤが居た時は付いていなかったと思う。
ザクヤが付けるとも思えないし、意識を失っている患者の部屋のテレビをわざわざつける人がいるだろうか?
嫌な予感がしてテレビを消そうとした俺の前で、テレビが見知った風景を映し出した。
「新月学園……?」
倒れる前まで通っていた見覚えのある校舎が、なぜか画面いっぱいに映っている。
嫌な予感が加速していく。
『前代未聞の幻影獣による学校占拠が発生してから2時間! 依然として、誰も敷地内に立ち入ることができません! 管理局によると、これは触れたものの精神を狂わせて強制的に回れ右をさせる結界……。Aランク幻影獣による、迷宮という強力なBMP能力とのことです!』
「!」
ら、ラビリンス!?
思わぬ名前に衝撃を受けたところで、画面の中で、校舎から一人の女生徒が出てくるのが見えた。
『あ! 何ということでしょう! 女生徒が一人脱出してきました!』
レポーターの女性が叫び、カメラが女生徒に向かう。
虚ろな目をした女生徒は、明らかに意識がないように見えた。
『だ……大丈夫ですか?』
『大丈夫、大丈夫♪』
虚ろな目で両膝を付き、天を仰ぎ見るような姿勢で、女生徒は鈴の音が鳴るような軽快な発音をした。
はっきり言って狂気しか感じない絵面だった。
レポーター含め、画面の中の人間は皆絶句していたが、俺は、この現象に覚えがある。
『見てるよね、悠斗君。眼、覚めたんでしょ? 闘える状態なのかどうかは知らないけど……。闘える状態だよね。心を通わせた存在ですら幻影獣なら皆殺しにする主人公様は、いつだって無敵だよね?』
操られている女生徒越しにも強烈な怒りを感じる……。
『【迷宮深化・存在崩壊】。新月学園全体を迷宮化したわよ。時限式。学園で定められた最終下校時間が過ぎれは、私も含めて、敷地内に居る全存在が幻化消滅する。内部の人間はほぼ全員意識を失っているし、そもそも、周囲の精神結界は、絶賛出張中の麗華さんくらいにしか破れないけどね』
……麗華さんいないのか……。
『もちろん悠斗君は特別に通してあげる。気持ち悪いでしょ? 一人だけ残したら? 四聖獣全員殺せば、勇者様はきっとすっきりすると思うの♪』
明らかに操られている女性の狂気的な姿より、セリフの主の底知れない怒りに、レポーターたちも声を失っていた。
『待ってる……。待ってるからね、悠斗君。ちゃんと殺しあお? 万が一私が殺されなくても、新月学園の皆と一緒に悠斗君が逝けば、ソータもきっと喜ぶから。……まってるね』
女生徒は最後まで天を仰いだ姿勢のまま。
涙を流しているようにも見えた。