追想 ~小学校での日々~:現実 ~恋路の末路~
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「澄空悠斗です。よろしくお願いします」
新都中央小学校への転校初日。クラス全員を前にした僕の挨拶は、これだけだった。
出身地も分からない。好きなことも嫌いなことも覚えていない。得意なことも苦手なことも知らない。
僕に言えることは何もなかったのだ。
……ひょっとしたら、これが間違いの元だったのかもしれない。
◇◆
「…………」
転校初日の授業が終わり、みんなが帰った後の教室で、机に座ったまま衝撃の事実をようやく受け入れることができた。
「僕……ひょっとして友達ができない……?」
元々の体質なのか、記憶がなくした影響なのかは不明だけど、今日一日、誰からも話しかけられなかった。
美少女でないからして、『クラスの視線を独り占め』な状況にはならないと思うけど、誰か一人くらい話しかけてくれてもいいんじゃないかと思う。
「月夜に何て言おう……」
月夜の顔を思い浮かべる。
「安心して。もし転校先で万が一いじめられても、私は報復は得意」とかいう全く安心できない激励で送り出してくれた月夜に、「僕、ぼっち体質でした」とは言えない雰囲気である。
「月夜って誰?」
「月の女神様だよ……」
「おう……。詩人だね、ゆうとっち」
「誰がゆうとっ……。うわあぁぁ!!!」
椅子ごと派手にひっくり返る僕。
女の子が、僕の机の下から、ニュッと出てきたのだ。
これは驚く。
しかも……。
「にゃはは。驚きすぎー、ゆうとっち。私があんまり可愛いからかなぁ?」
「あ……ああ」
「ん?」
「驚いたよ」
「……えーと、それは、私がいきなり出てきたから? それとも私があんまり可愛いから?」
「? あんまり可愛い女の子が、机の下からニュッと出てきて驚いた」
「おぅ……。ナチュラルに口説かれた……。これはプレイボーイ説に一票かな……。でも、ちょっと嬉しいかも……」
頬に両手を当てながら、女の子が変なことを言っている。
「待て待て、ちょっと待て!」
今度は教室の入り口から、大きな声が聞こえてきた。
「有栖! 『クールウルフの正体は、私に任せて』とか言っておきながら、いきなり口説かれてどうする!?」
「そ……そうよそうよ。あたし達を裏切るの!?」
元気そうな男の子とツリ目気味の女の子が、机の下から出てきた美少女を問い詰めている。
「だってだって。私、クラス一の美少女にも関わらず、ストレートに可愛いって言われたの初めてなんだもの!」
「いやそれ、男子たちが遠慮しているだけだから! みんな思ってるから!」
「そうよそうよ! シュウチノジジツをテイジされただけで惚れるなんて、ランページちゃんなみのレンアイノウだわ!」
「…………」
何を言っているのだろうか、この人たちは。
でも、『絶対無敵! BMPブレイバーズ』のヒロイン・ランページちゃんを知っているツリ目気味の女の子とは、もしかしたら友達になれるかもしれない。
「おいおまえ!」
と思っていたら、元気そうな男の子の方に声をかけられた。
「おまえ、BMP能力者だろ!?」
「いや、違うけど」
「嘘よ! 職員室の先生達が話しているのを聞いたんだから! 枠がなかったのに、ゴウインニゴリオシして、無理やり転入させたって。コッカケンリョクを使うのは、悪の手先かBMP能力者だからだわ!」
「…………」
月夜は剣大臣の息子嫁だからして権力が使えることは別に驚かない。
そんな怪しげな会話を職員室で(※しかも生徒がいる前で)する先生方には驚きだけど。
「じゃあ、悪の手先なのかな」
と、もちろん、冗談のつもりで言ったんだけど……。
「け……ケンちゃーん……!」
ツリ目気味の女の子が泣きそうな顔で元気そうな男の子の背中に隠れてしまった!
「お……おまえ! 女子を泣かすなよ!」
「い、いや……」
誤解だ!
「ど……どうしよ。女の子は『ちょいワル』に惹かれるって聞くけど。ちょっともてあそばれてもいいと思ってしまう私」
美少女の方も、顔を赤くして変なことを言い出す!
「だれが『ちょいワル』だ!」
「だって、もの凄い悪人顔してたよ、ゆうとっち」
「マジで!」
俺は悪人顔だったのか!?
「と……とにかく、この『ホットタイガー』間健一がいる限り、俺たちのクラスは俺が守る!」
サンドイッチの亜種に見せかけて独自の食種に分類されるパン食品の亜種みたいなあだ名の元気そうな男の子は、間健一というらしい。
「でも、ケンちゃん……。本当はBMP能力を教えてもらいに来たんじゃなかったっけ」
すぐ間の後ろに隠れるツリ目気味の女の子は、真行寺真理。
「にゃはは。なんかグダグダになっちゃったね」
『にゃはは』と『おぅ』が口癖のクラス一の美少女は、緑川有栖。
記憶を失ってから初めてできた友達だった。
記憶を失って、不安定な生活が続いて、月夜みたいな変わった人と暮らすことになって。僕は少し浮世離れしていたのかもしれない。
面白いもの好きでBMP能力者に憧れていた3人と仲良くなれたのは、そういう偶然があったからかもしれない。
……これが間違いの元だったんだ……。
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轟音とともに、上条総合病院地下3階の鮫島輪花研究室のドアが蹴り飛ばされる。
「つ……剣麗華……」
部屋の主・鮫島輪花は、顔面蒼白で侵入者を出迎える。
侵入者の右手には、炎剣レーヴァテイン。
幻想剣の付帯効果である身体能力強化を使い、ドアを蹴り破ったのである。
レーヴァテインの熱を感知したスプリンクラーが作動し、部屋はあっという間に水浸しになった。
確かに鮫島輪花研究室のドアロックは鮫島輪花にしか解除できない。
だが、剣麗華であればセキュリティの解除は難しくないはずだった。
常軌を逸しているかのように見える行動だが、実際、剣麗華は少し正気を失っているのかもしれない。
少なくとも、鮫島輪花はそう感じた。
「こ……殺さないで……」
「貴方なんか殺しても、悠斗君は目を覚まさない」
お小水で股間を濡らす鮫島輪花に、カミソリのような声音で言い放つ剣麗華。
殺気さえない。
『殺せば澄空悠斗が目を覚ます』のであれば、もうとっくに首と胴体が離れ離れになっていることが、否応なしに実感できる。
「お……小野君が好きだっただけなの……。幻影獣に味方しようとか、人類を滅ぼそうとか、そんなんじゃないの……。小野君の指示通りに、澄空君のP値のデータを改竄して、モニタリング機器をつけてもらって、境界を超えるモニタリングの手はずを整えただけなの……」
「悠斗君は自分の身体が壊れていくのを知っていた。それに気づけなかった私が無能だっただけ。貴方ごときの陰謀で悠斗君がどうにかなるはずがない」
抑揚のない剣麗華の一言一句が、死神の鎌のように鮫島輪花の臓腑を抉る。
目の前にいるのは剣麗華。
人の身でありながらAランク幻影獣を圧倒する怪物。
抑えようともしていないプレッシャーが、鮫島輪花の精神を殺し続ける。
今頃、漏れ出るプレッシャーで、地上でも大騒ぎになっているのではないだろうか。
「BMP管理局も『結果的に』幻影獣発生のメカニズムに関する研究に貢献した貴方を罰する気は、今のところないらしい。貴方が『使える』限りは」
「…………」
歯の根が合わない。
このまま会話を続けているだけで、死んでしまいそうだった。
「な……何をすればいいですか……?」
「もちろん、悠斗君が目覚める手伝いを」
「な……なんでもします! で、でも……私にできることがそんなにあるとは……」
「なんでもいい。気になることをすべて教えて。特に幻影獣の……小野達との会話の内容を」
「BMP管理局には全部話しました……。同じ話の繰り返しになるかもしれませんが……、それでも良ければ」
「構わない。どんな細かい話でもいいから押して欲しい。どんな情報でもありがたい」
剣麗華の声が、ほんのわずかに緩む。
「は、はい!!」
それだけで、鮫島輪花は神に祝福されたかのような笑顔を浮かべる。
飴を与えたわけでもないのに、そこまでのあまりなプレッシャーが生み出す、あまりにも歪な『飴と鞭』。
外見の美しさと相まって、気まぐれで残忍な女神のように見えた。
「……女神……?」
ふと、鮫島輪花が零す。
「? 何?」
「そういえば、なんとかの女神って……」
「? 女神?」
「あ! 思い出しました! 『月の女神』です! 小野君が『万が一悠斗君の身体が壊れるようなことがあっても、月の女神様が直し方を教えているはずだよ』って!!」
「……月の……女神様……?」
「ひ……ひいいぃぃ!」
剣麗華の声色に混じった僅かな苛立ちに、鮫島輪花は悲鳴を上げる。
彼女は、剣麗華が、実は今まで本当に全く怒っていなかったことに気が付いたのだ。
本物の女神の怒りは、たとえそれがわずかなものだったとしても、地獄の断頭台より恐ろしい。
「あ……あ……あぁ……」
臀部に温かい感触。
大きいほうも漏れてしまったらしい。
「……え、と。おトイレ、行って来ていいよ……」
「あ……ありがと、ございましゅ……」
さすがに悪いと思ったのか、慈悲を見せる女神と、その女神に魂まで掌握された恋の犠牲者。
哀れな子羊に、今度は優しく、女神が告げる。
「本当に怒らないから。ゆっくりでいいから聞かせて。……月夜の話を」