本当の気持ちたち
「…………あれ?」
鳴り響く携帯電話のコール音に、ようやく剣麗華は気が付いた。
機械のような単調な動作で携帯電話を手に取り、応答する。
「もしもし」
『! や、やっと繋がった……。いったい何をしてたんですか、ソードウエポン!』
「……分からない。気絶していたのかもしれない」
『怖いこと言わないでください……。それより、大変なんです! エールさん達が……!!』
「…………」
『…………?』
何時になく冷静さを無くしていたナックルウエポン……賢崎藍華は、ようやく麗華の様子がおかしいことに気が付いた。
『ソードウエポン。……澄空さんはどこにいるんですか?』
「……」
『……』
「……行っちゃった」
『え?』
「あんな状態で……。下手したら死ぬかもしれないのに……」
『あんな状態?』
という藍華に、麗華は悠斗の状態について説明する。
『……ふむ。にわかには信じがたい話ではありますが……。それよりも』
と。
『何故、貴方は、澄空さんと一緒に居ないんですか?』
氷点下を思わせる声に、麗華の反応が一瞬止まる。
だが、止まったのは一瞬。
「私は要らないって言われたから……」
『そ……それは、確かに深刻な事態ですね』
「うん」
『……ちなみに、正確にはどんなセリフだったんですか?』
「え……と。《ヒーローを待つって、幸せでもなんでもないよね》《それだけ大事で……必死な仕事なんだよね、俺達の仕事は……》《だからもう、麗華さんのためだけには闘えない》……だった」
『……』
「……」
『…………』
「…………」
しばし、二人の声が止まる。
『そ……ソードウエポン?』
「う、うん……。別に《要らない》とは言われてないね……」
想定外の事態に、携帯を握りしめ、無表情のまま狼狽する麗華。
「で、でも、待って。そうだ。悠斗君、『この部屋には、もう戻ってこない』って言ったの。生きて返って来てくれると約束してくれたのに……」
『…………あの。それは、《麗華さんが要らない》のではなくて、《澄空さんが帰って来たくない》のではないでしょうか?』
「?? 意味が分からない。《私が要らない》から《帰って来たくない》のではないの?」
との麗華のセリフに、盛大な藍華の溜息が帰ってくる。
「? ナックルウエポン?」
『まさかとは思いますが、貴方は本当に、澄空さんの劣等感に気づいていなかったんですか?』
「? 劣等感? 何のこと?」
『美人でスタイル抜群。国家レベルの研究にも携わる頭脳の持ち主。さらには剣財閥の令嬢にして、首相の孫娘。おまけに、世界最強クラスの異能力にまで恵まれている。……貴方は自分自身のことが分かっていますか?』
「そ、そんなことで劣等感を持つの?」
『持つんですよ、普通の男性は……』
「でも、私ちゃんと言ったのに……。『私は、悠斗君のことを、自分より下だと思ったことなんて、一度もないよ』って」
『それは、BMPハンターとして……。と、思われたんじゃないですか?』
「そんな」
『……本当に。全く気付かなかったんですか?』
「え?」
『澄空さんが、貴方に相応しくないと考えていることに……』
言われて考える。
一緒に街を歩いている時に、いつも照れくさそうにしていたこと。
勉強を教わっている時に、感謝とは別に、どこかバツが悪そうにしていたこと。
折に触れ、剣首相の孫娘と一緒に暮らしているということを気にしていたこと。
トレーニングをしている時、『これで少しは麗華さんの足を引っ張らなくて済むかな』と良く言っていたこと。
違和感を覚えなかったと言えば、少しだけ嘘になる。
「で、でも、そんなの言ってくれないと分からない。何でも言ってくれるって、約束したのに」
『言えないから、劣等感なんですよ』
「え?」
『信頼しているからこそ、言葉にできないこともあるんですよ』
「…………そんなこと、誰も教えてくれなかった」
『それについては、私も含め、周りの人間にも責任があります。まさか、こんなに早く向き合わないといけないなんて誰も思っていませんでしたから』
そう言う藍華の言葉に嘘はないと、麗華も感じた。
BMP能力が途中で使えなくなるなんて、世界でも事例のなかったことなのだ。
しかし……。
「でも、今まで一緒に居てくれたということは、BMP能力だけは私と同格だと考えていてくれたということ?」
『……もちろんです』
「そんなのおかしい」
はっきりと言える。
「悠斗君が、BMP能力と同じくらい凄いと思えることは他にもある。逆に私の方が劣等感を持ってることだってある」
『…………』
「一方的に相応しくないなんて、えと、一方的過ぎる。反論したい」
『……まぁ、それならちょうどいいです』
「え?」
トーンの変わった藍華の口調に、麗華の意識が向く。
『私は現在、賢崎本体とは別に、精鋭部隊を率いて副首都区に進攻中なんですが、あと10分ほどで、貴方のマンションの傍を通ります』
「……!」
『無理にとは言いませんが』
何故か、ナックルウエポンは妙にもったいぶって。
『ご一緒しますか、ソードウエポン?』
◇◆
首相官邸。
紛れもない非常事態の中、剣麗華の祖父にして首相の剣源蔵は、一人の人物と向かい合って座っていた。
賢崎藍華の父にして、賢崎財閥現頭首、賢崎悟である。
「まだ、出撃命令を出さないつもりですか?」
悟がイラ立ちを隠しきれずに言う。
「境界線での配備は終わっているだろう。BMP管理局も、君のところも」
「まさか、守り切れるとでも思っているんですか? Bランク幻影獣が、二桁ではきかないかもしれないんですよ?」
「…………」
「いや、それどころか、このままコアを放置すれば、副首都区の中から出て来るだけじゃすまない……」
「配備しているのは、この国のほぼ全戦力だ。万が一全滅ということになれば、我が国は、国として終わりだぞ?」
苦渋の色を浮かべたまま、淡々と語る剣源蔵。
「それは守っていても同じことです。いや、その方が遥かに分が悪い」
「…………せめて、野党と合意ができるまで待てんか……?」
「馬鹿なことを! そんな暇があるわけがない!」
「…………」
失言だったとでも言わんばかりに、黙り込んでしまう剣首相。
「いったいどうしたというんですか? まさか、貴方ほどの人が首相の座に未練がある訳でもないでしょう?」
「……」
「……」
「…………」
「……まさか」
「ある……のだ」
情けなさを隠しきれずに、剣首相は言葉を零す。
「もう少し……もう少しなのだ……」
「…………?」
「あの子が、本当に居場所を見つけられるまで、間違いなく、あと少し……」
と。
携帯の着信音が鳴った。
特別に設定した着信音。
すぐに誰からの電話が分かった。
「す……すまん、少し外すぞ」
「? は……はい」
疑問符を浮かべたままの賢崎悟を置いて、執務室を出る剣首相。
「もしもし」
『ごめんなさい、おじい様。こんな大変な時に』
「いや、構わん」
内心の動揺を隠しながら、孫娘の剣麗華に返答する源蔵。
無理もない。
今、彼女のことだけを考えていたのだから。
「……何かあったか?」
『今から、副首都区に行こうと思ってる』
「…………な」
驚いた。
「なぜ……だ?」
『悠斗君が一人で行っちゃったから……。追いかけないといけない。悠斗君一人だと心配』
「…………」
本当に驚いた。
『さっきは止められなかったけど、現地に行けば、私にできることもあると思うの』
「……」
『あと、納得できないこともあったから……。抗議もしないといけない』
「……許可を求めている訳ではないのだな」
『うん。報告と……謝罪を』
「…………」
もう、居場所はあったのだ、と。
『ごめんなさい、おじい様』
「麗華……」
『私、昔から、おじい様に、迷惑ばかりかけて……。えと、こんな時に何て言ったらいいか、まだ悠斗君に聞いていないんだけど……。えと、私は……』
「行きなさい」
『え?』
きょとんとした麗華の声に、源蔵の顔に笑みが浮かぶ。
「伝えたいことがあるのだろう?」
『うん……』
「ならば、こんな年寄りの見栄の心配などしている場合ではあるまい?」
『で、でも。副首都区だけは慎重に対応しないと、政権も危ないって……。私、今まで迷惑しかかけてなかったのに……』
「ふ……」
ついに、喜びが声に出てしまった剣首相。
『お……おじい様?』
「いいか、麗華」
『は……はい』
「おまえは、頭はいいが、世間知らずだ」
『それは、自覚があるけど……』
「そんな聡明なおまえが知らない、世の中の真実を教えてやろう」
『し……真実?』
「いいか、麗華」
『う、うん』
「世の中のじじいは、な……。孫娘に迷惑をかけられるために存在しておるのだ!」
まるで、それが本当に世界の真理であるかのように。
剣源蔵は言い切った。
『し……知らなかった』
「そうだろうそうだろう」
携帯を握りしめながら繰り返す。
「おまえが……そうやって生きられるようになったのなら……。首相の座など、もう必要ない」
今までの全てが報われた気がする、と続けようとした言葉を、剣源蔵は飲み込む。
副首都区で想像を絶する激戦が待っているとはいえ、ようやく羽ばたき始めた少女に、湿っぽい話を聞かせても仕方がない。
世界で一番強くて美しい少女には。
世界で一番役に立つと思われるアドバイスを。
『ときに麗華』
「?」
『たとえ事情がどうあれ、男と女が揉めた時には男が悪いと決まっている』
「そ、そうなの? 男女平等とか、共同参画とかは?」
『これは、それ以前の問題だ』
色々と問題がありそうなセリフだが、とりあえず剣首相閣下は言い切った。
「まして、この儂の孫娘にそこまで思い詰めさせるなど、鉄拳制裁に値する!」
『殴っちゃ駄目だよ』
「わ、分かっておる」
素で言われて、少しビビる首相。
「だからな、麗華」
『うん?』
「おまえが、一発、かましてやれぃ!」
『……』
「……」
『…………』
「…………」
『……うん。分かった』
そう言い残し。
剣麗華からの電話は切れた。
剣首相は、しばらく、万感の思いを込めて、天井を見上げていたが。
やがて、気を取り直し、執務室のドアを開ける。
「剣首相……?」
「手間取らせてすまなかったな、賢崎君。同級生の力を借りなければ、孫娘を笑わせることすらできんとは、バカ息子と合わせて、情けない限りだ」
セリフとは裏腹に、剣首相はとても晴れやかな顔をしていた。
「……行きますか?」
何かを悟ったように賢崎悟は聞く。
「ああ」
これからの、国と孫娘の将来をかけて。
「全軍出撃だ。副首都区を奪還するぞ」