迷宮の説明書
麗華さんのマンションから出ると、目の前に赤いセダンが停まっていた。
かなり薄ぼんやりとだが、どこかでみたような気がする。
「あ」
そして、車から降りた人物の姿を見て、その理由が分かった。
……いや、『人物』ではないか。
「辞表は出して来たのか?」
「いきなりねぇ……。そもそも雇われてなんかないから問題ないわよ」
そう答えるのは、黒いドレスの上に白衣を纏った幻影獣。
「明日からは、人の良さそうで無害な、おばさん保健医さんがくるから、安心しなさい」
ということらしい。
ミーシャせ……ミーシャはおそらく迷宮。
闘うのであれば、先手を取って一撃で仕留めるしかないが……。
「そこまで馬鹿じゃないとは思うけど、私を攻撃するつもりなら向きが違うわよ」
「!」
いつの間にか、俺の視線の先にはコンビニがあった。
さきほどミーシャを捕えていた視線の角度から、60度はずらされている。
このまま攻撃したら、コンビニが酷いことになっていた。
「これが迷宮……」
「どう? 複写できそう?」
確たる自信を感じさせるミーシャのセリフに、俺は黙って首を横に振った。
……このBMP能力は高度すぎる。無理だ。
「じゃ、乗って」
なにが、じゃ、なのかは分からないが。
俺は、幻影獣ミーシャ・ラインアウトが運転する車の助手席に乗り込んだ。
◇◆
実に不思議な時間と言えるかもしれない。
ミーシャはカーナビにセットした目的地目掛けて、車を運転している。
もちろん、ミーシャ本人が運転手をしなければならない理由は全くない。
刺客として現れるには、こやつの能力は強すぎる。
つまり……何なんだろう?
「この車、新車なのよ」
俺が悩んでいると、いきなりミーシャが話しかけてきた。
「どうりで新しいとは思ったけど」
「ローンも払い終わってないから汚さないでね。契約自体してないけど」
「…………」
それは一般的に窃盗という。
……というか、幻影獣相手に会話の切り口なんて探してもしょうがない。
いまさらあんまり意味がないかもしれないけど、ダメもとで能力のことでも聞いてみるか。
「迷宮ってどんな能力なんだ?」
「いまさら?」
うん。いまさら。
「……私も正確には把握できてないけど、『半径10km程度以内のあらゆる存在を精神支配するBMP能力』なんじゃないかな、たぶん」
「……な、なんか曖昧だな。というか、知っている人間なら半径10km以内であればどこにいても見つけられるってことか?」
「違うわよ。領域内の全ての存在を知覚できるの。精神さえもってればね」
「…………」
い、いやいやいやいや。
「は、半径10kmって、どれだけ人間がいると思ってるんだ? 全部識別するとか、スーパーコンピューターじゃあるまいし……」
「だからその辺は適当なのよ。当然、知っている存在に意識が向きやすいし……。ただ、単純な暗示なら領域内全域にかけられるわよ」
「単純な暗示って、例えば?」
「全員死ね……とか」
「…………もう、あんたが世界征服しろよ」
「だから、しないんだってば」
とても殺伐とした会話のはずなのだが、見た目が運転する美女なので、いまいち危機感を抱けない。
まぁ、こんな最終兵器を投入して来なかった時点で、四聖獣達が俺を殺したい訳じゃないことだけは分かった。
……ところで。
「副首都区に直接行くのか?」
「そうよ。検問なんか、私にはないも同然だからね」
「副首都区内の幻影獣は?」
「あそこの連中は完全にイっちゃってるけどね。迷宮なら問題ないわよ。ただ、ドラゴンだけはちょっと読めないから、いざという時は闘ってね」
「って、ドラゴンまでいるのか、あそこ!?」
思わず叫んでしまう。
ちなみに、ドラゴンというのは、ファンタジーに出てくるドラゴンに姿が似ている幻影獣のことである。
当然のようにBランク幻影獣なのだが……。
「最強のBランク幻影獣というだけはあるわ。あれとだけは関わり合いたくないわね」
「あんたAランクだろう?」
「人間とトラとどっちが強いか、みたいな話だとしたら分かる?」
「あー。凄い分かる」
存在として高等かもしれないが、単純な力比べだと分からない、みたいな感じか。
……というか。
「貴方、やっぱり、変よ」
「……唐突だな」
「戦意がないのは分かっていたとしても、普通、人間は幻影獣とは仲良く話なんかできないのよ?」
「仲良く話しているつもりはないんだが」
「そう?」
当たり前である。
「俺達のルーキーズマッチを散々かき回してくれた上に、みんなを危険な目にあわせて、俺自身もこんなことになってしまって……。どこに仲良くする義理がある?」
「少なくとも貴方自身に関しては、私達が居なくても時間の問題だったと思うわよ?」
「…………」
それはまあ否定しないが。
「明日香は……なんだったんだ?」
「見ての通り。質量が感じられる幻よ」
「幽霊とは違うのか?」
「幽霊の定義が分からないけど。死亡した人間の精神をそのまま流用しているのは確かね」
「…………」
想像もつかない。
本当にそれはBMP能力なのか?
「飴玉と言えば分かるかな?」
「は?」
「迷宮に捕えた魂は、時間をかけてゆっくりしゃぶるの。私の飴玉」
「しゃぶられるとどうなるんだ?」
「そのうち無念が消えて成仏する」
なに、その慈善事業。
「千年くらいかかるけどね」
「…………」
分からない。
小野もそうだが……。
幻影獣もAランクになると本当に分からない。
「あれは、はじまりの幻影獣殿の指示よ」
「?」
「そっちにも行ったでしょう? ザクヤ・アロンダイト」
「? なんであいつが?」
「利害が一致したからつるんでたのよ。別に仲間じゃないわ」
何の関心もない、といった調子で断言するミーシャ。
「私はてっきり、『副首都区の惨状や、あの子の身の上話を聞かせて、貴方にBMPハンターとしての覚悟を持たす』とか、その程度のことだと思ってたのよ」
「…………」
「まさか、千年かかる呪いを一か月で解いちゃうなんてね」
「……悪かったな」
「Aランク幻影獣とはいえ、しょせんは紛い物。本物にはかなわないかぁ……。ソータが惚れる訳だわ」
「……」
確かに俺は変かもしれない。
……なんで、幻影獣の表情の意味なんか分かってしまうんだ?
「……小野とはどういう関係なんだ?」
「別にどうという関係じゃないわよ。……ただ」
「ただ?」
「いくら同じ幻影獣とはいえ、Bランク以下の幻影獣とつるんでられると思う?」
「…………」
そりゃまぁ、無理だろうな。
同じ幻影獣とはいえ、Bランク以下の幻影獣はただの獣だ。
「…………」
簡単な話だ。
Aランク幻影獣がどれだけいるのかは知らないが、最近まで都市伝説と言われてたくらいだから決して多くはない。
あと、仲間づきあいが巧そうな連中にも見えない。
最悪、四聖獣……4人以外には仲間がいない訳だ。
いや、そのうちの2体はすでに……。
「あんたこそ……。俺を恨んでないのか?」
「こっちから突っかけてったからねぇ……。しかも、わざわざ自分に不利な条件で」
「世界を救うために?」
「……アホなゲームもあったものだわ……」
自嘲を込めて呟くミーシャ。
レオも小野も、そのゲームとやらに賭ける理由があったが(※ガルアは良く分からん)、こいつは、まったく乗り気じゃない。
当たり前だ。
4人しかいない仲間が消えていくゲームを、どうして楽しめる……。
「小野を……止めないのか?」
「もう手遅れよ」
「…………」
止めなかったのか、と聞くべきだっただろうか。
……などと、どうでもいいことを考えてしまった。
「ねぇ、悠斗君」
「……なんだよ?」
「私が言うのも、とっても非常に、どうかと思うけど……」
「…………」
「あのバカを……。ソータのことを、お願いね」




