背徳の福音
「背徳福音ですね」
状況を確認するなり、賢崎さんがそう告げた。
というか、まず、俺が状況を確認しよう。
三村達と気持ちよく温泉に入り特訓の疲れを癒している最中に、いきなり雪風君が女性化した(※のだと思われる)。
三村と俺で大慌てで雪風君を連れ出し、服を着せ、食堂まで連れて来て座らせた。
さらに大慌てで賢崎さんを食堂に連れて来て、なぜか付いて来た春香さんと共に、雪風君の前に座ってもらった。
俺と三村が雪風君の両脇に座った。
以上である。
あまりの出来事に頭が真っ白になっていたが、こうやって思い返してみると、なかなか理にかなった行動ではないか。
……それはともかく。
「背徳福音……?」
「式のセカンドスキルで……。まぁ、一言で言うと、性別を変更するスキルです」
平然と説明する賢崎さん。
まぁ、伝説上の魔剣を召喚するようなBMP能力があることだし、性別を変更するくらいはありえるのかもしれないが……。
…………いやいや、あり得ん。
「いくらなんでも……」
と、隣に座る雪風君を見ると。
「……(にこにこと)」
全く状況を理解していない(※はずはないのだが)ような朗らかな顔で、こちらを見上げて来る雪風君。
わずかに膨らみ始めた胸を誇らしそうに反らせているようにも見える。
「条件が厳しいので、私も実際に発動しているのを見るのは初めてなんですが……。雪風は、初めて本気で恋をしたのかもしれませんね……」
真剣な顔で言う賢崎さん。何言ってんだ、この人?
「あらびっくりです。弟が妹になってしまいました」
そして、春香さん。あらびっくり、じゃないですよ。
「あの、これって、治らないのか……?」
おっかなびっくり聞く俺。
「いえ、まだ効果が浅いですから。一晩寝れば治ると思います。背徳福音前奏曲といったところでしょうか」
「前奏曲っすか……」
賢崎さんの説明を聞きながら思う。是非、前奏曲で止めて欲しいと。
「雪風の好感度が上がる度にスキルが進行していきます。身体の負担も大きいですし、そもそも性別変更はおおごとですから。その気がないのでしたら、安易に好感度を上げるのは控えていただければと思います」
「りょ、了解です」
上げた覚えが全くないのだが、とりあえず了解する俺。
「まぁ、妊娠すれば性別は固定されますし、最悪の状況にはなりませんけどね」
「……いや、なってないかな、それ?」
真顔で考察する賢崎さんに、背筋が寒くなる俺。
「……(もじもじと)」
いや、雪風君も、もじもじと、ではない。
と。
俺は、とても、恐ろしい想像に突き当たった。
「ど、どうした、澄空!? 顔、真っ青だぞ?」
三村が心配して聞いて来る。
いや。
何と言うか。
「……このスキル。複写できてたらどうしよう……」
「!?」
三村が絶句する。
そして。
「い、いざという時は、俺が責任を取る……」
「いや、落ち着け三村」
俺以上にテンパってしまった三村を宥める。というか、こいつに責任取られたら、もっとヤバい。
「大丈夫ですよ、悠斗様」
と、春香さんがとても優しい笑顔で言って来た。俺はとても嫌な予感がした。
「いざとなったら、姉が兄になるだけですから」
「…………!」
そのセリフで俺は気付く。
賢崎さんは、『式の』セカンドスキル、と言っていた。
俺は決心した。
やっぱり、早いとこ引退しよう。
◇◆
背徳福音騒動を何とか片づけ(※いや、全然片付いていないが)、男部屋に帰って布団も敷かずに寝転がったところで、恐ろしいことに気が付いた。
「どうした、澄空?」
「身体が痛い……」
一緒に帰って来てテレビなど見ていた三村に答える。
ダメージの残響か、ただの筋肉痛かは分からないが、全身が痛い。バキバキいっている。
「筋肉痛だろ? 賢崎さんが、ちゃんとマッサージをしてから寝てください、って言ってただろう」
「ああ、そういえば……」
雪風君のことが心配で、あまり聞いてなかった。
ストレッチのやり方くらいは知っているが……。
「まだ早いし、ちょっと一眠りしてから……」
「やめとけ。確実に寝入るぞ。さきにマッサージをしておけ」
ナンパ系男のくせに、BMPハンターらしく体調管理には厳しい三村。
しかし、面倒くさい。
正直、今は、指一本たりとも動かしたくない気分だった。
そんな俺を見て、三村がため息を吐きながら口を開く。
「レクリエーションルームにマッサージチェアがあったぞ。それでも使って来い」
◇◆
三村に男部屋を追い出されてたどり着いたレクリエーションルームで、もっと恐ろしいことに気が付いた。
『故障中』
と、マッサージチェアに張り紙がされている。
「そりゃないよ……」
どっと疲れと眠気に襲われた俺は、レクリエーションルームの中央に寝転がった。
この部屋の構造について簡単に説明しておくと、部屋の隅にマッサージチェアを置き、その反対側の隅にテレビを置いた、十畳ほどの畳の部屋である。
布団に入らずに寝ると風邪をひくかもしれないが、今日はもう、体力的にも精神的にも色々と限界だった。
寝よう。マッサージチェアが動かんのが悪いんや。
「悠斗君?」
と。
聞き慣れた声が上から降って来た。
「麗華さん……」
「どうしたの、悠斗君? こんなところで寝ると風邪をひくよ?」
うつ伏せになったまま、頭だけ上げて答える俺に、麗華さんがきょとんとしている。
「疲れたんだ……」
「それは分かるけど」
「それに、マッサージチェアが壊れてる……」
「え?」
と、俺の言葉を受けて、麗華さんがチェアの張り紙を見る。
「ほんとだ……壊れてるね」
「ホントはストレッチくらいしておかないといけないんだろうけど、眠くて眠くて……」
麗華さんが居るのに、眠ってしまいそうなくらいである。
「私がマッサージしてあげられればいいんだけど……」
「へ?」
麗華さんが、マッサージを?
それはとても有難いけど。
「何か問題があるのか?」
「私は、筋肉が緊張しない体質だから。ストレッチとかマッサージとか、したことがないの」
「ああ、そういえば」
そんな話を聞いたことがあるような気がする。
麗華さんは最強のメインスキルを持っている上に、地味だが人間離れしたパッシブスキルも豊富なのである。
「知識はあるんだけど実践したことがないから、ちょっと加減が分からなくて……」
「ちょっと痛いくらいはいいよ」
「……骨とか折っちゃうかもしれない」
「いやいやいやいや!!」
それはさすがに適当過ぎると思うの!?
というか、俺の骨は、さすがにそこまで脆くない!
「か……考え過ぎじゃないかな?」
「ほんとに? そう思う?」
少し弱気な顔の麗華さんを見て思い出す。
新月学園体育祭で、集積筋力・河合渚先輩に腕相撲で完勝した時の勇姿を。
……ひょっとしたら、折れるかもしれない。
「どうしよう悠斗君。私のマッサージのせいで悠斗君が不戦敗したら、ハンマーウエポンにも悪いと思う……」
実に困ったような顔の麗華さん。
というか、俺が自分でとっととストレッチをして寝てしまえばいいだけの話である。
余計な心配を掛けてしまった。
「いや、ごめんな麗華さん。俺が自分で……」
「どうしたんだ、二人とも?」
と。
俺が麗華さんに話しかけようとしたところで、レクリエーションルームの入口から別の声がした。
「天竜院先輩?」
「ずいぶんと深刻なようだが……。何かあったのか?」
よほど俺達は情けない顔をしていたんだろう。
麗華さんと微妙な関係のはずの天竜院先輩が、若干困った顔をしながらも、声を掛けて来てくれた。
ついでに、その後ろに、五竜のリーダー格の赤っぽい人……火野さん(?)も居た。
「とーこ姉……。実は、マッサージチェアが壊れてて……」
と、こちらも深刻に悩んでくれていたらしい。
天竜院先輩と微妙な関係のはずの麗華さんも、隠さずに俺達の抱えている問題点(※ストレッチが面倒くさい)を説明した。
どう考えても、俺が無精しなければいいだけの話(※火野さんは天竜院先輩に見えないところで明らかにそんな顔をしている)だが、天竜院先輩は呆れたりはしなかった。
そして、一言。
「私で良ければ。代わりに、マッサージをしようか?」