回答『ヒーローの作法』
新月テーマパーク南東にある林。
あまり整備されていないその林の中を全力疾走する二人の人影があった。
「あ、姉御。大丈夫ですか?」
「ま、まだ何とか大丈夫」
ハカセが明日香の手を引きながら、走っていた。
「……というか、なんであんたがこっちにいるのよ? バラバラに逃げなさい、って言ったでしょ!?」
「細かいことはいいですから」
「細かくない!」
言い合いながらも、普段より強引で力強いハカセを振りほどけない明日香。
と。
「き、来ました!」
木々が倒れる轟音を聞いてハカセが叫ぶ。
林の中はハカセ達にとって逃げやすいはずだが、ハエ型幻影獣……ベルゼブブは、全く意に介さず、木々を薙ぎ倒しながら迫ってくる。
「姉御っ!」
「きゃっ!」
突進してくるベルゼブブを見て、明日香を引っ張りながら横っ飛びするハカセ。
明日香を庇うように抱きしめながら、転がって逃げる。
「姉御、立てますか!?」
「た、立てない……」
「足、くじきましたか!?」
「くじくわけないでしょ!? でも、もう動けない……」
ひょっとしてベルゼブブの攻撃が当たっていたのかもしれない。
「私のことはもういいから、逃げなさい」
「逃げられる訳ないじゃないですか。あんなのに喰われたら、いくら姉御でも死にますよ」
「そんなことは分かってるから、逃げなさいって言って……きゃ!!」
姉御を強引に背負うハカセ。
「もっと木が密集しているところを逃げます。少し痛い思いをするかもしれませんが、いいですね?」
「良かないわよ! 放せって言ってるのよ!!」
「行きます!」
明日香の命令を無視し、背後にベルゼブブの獰猛な息遣いを感じながら、ハカセは再び逃げ出した。
◇◆
茂みで足を傷つけ、木に身体をぶつけながら、ハカセは明日香を背負って全力疾走で逃げる。
ひとまずベルゼブブの姿は見えなくなった。
どうやら、アレはあまり目も頭も良くないらしい。
が……。
「この……いい加減に放しなさい、ハカセ!」
「駄目ですよ。あいつはまた追って来ます」
「だから放せって言ってるのよ! あいつは私を追ってきてるの!!」
じたばたもがく姉御を背負ったまま、まったくスピードを緩めずに走るハカセ。
「分かってるでしょ? 逃げ切るなんて無理よ。あの人が私に、今死ねって言ってるのよ……」
「死なせませんよ、僕が」
「バカなこと言わないで! あの人に逆らえるわけないでしょ……。放しなさい、この……!!」
だが、やはりハカセは放さない。
「は、ハカセのくせに……、いつの間にこんなに……」
「一生懸命、鍛えましたから。もう、二度とあんなことがないように……」
「だったら、とっとと逃げなさい!! 何のために私が……!!」
「でも、僕、思ったんですよね」
「……え」
「明日香以外の人のために死ぬのは嫌だな、って」
「こ……この、アホ!」
とうとう明日香がハカセの後頭部を殴る。
が、やはりハカセは動じない。
「ねぇ……。分かってるんでしょ。もう遅いんだって……。もう私を助けるなんてできないんだって……」
「分かってますよ」
「じゃあ、放してよ! もう先のない私のために、あんたまで死んでどうするのよ!?」
「姉御のいない何十年より、この一分一秒の方が、僕にとっては大事です」
「バカなこと、言ってるんじゃないわよ!!」
「ユウトを見てると、そう思えるんです」
「そんなはずないじゃない!!」
全力で、ハカセから離れようともがく明日香。
しかし、この体ではびくともしない。
「お願い……。放してよ、ハカセ……。私、こんなことのために帰って来たんじゃないのよ……」
抵抗を諦め、しかし訴えかける明日香。
「ヒーローの作法……。僕は知ってますよ」
「え?」
命からがらの逃避行の最中とは思えない発言に、明日香がきょとんとする。
「強くて賢いなんて当たり前。イケメンで人気者なんて当然。クレバーでパワフルで何事にも動じないなんて論じるまでもない」
「……ハカセ?」
「本当のヒーローっていうのは、きっと、どんな時でも、どんな場所でも、どんな状況でも……。困っている女の子が居たら、絶対に助けに来る。そんな、わざとらしいくらい格好いい人のことを言うと思うんです」
「…………」
「今度こそ、きっと来てくれますよ。だから、脇役の僕は、命を賭けて時間を稼ぐんです」
「……来ないこともあるって、まだ学習できてなかったの……?」
むしろ悲しげに呟く明日香。
ヒーローでも、できないこともある。
ヒーローでも、来れない時がある。
そんなことは誰でも知っているし、他ならぬ自分達は、痛いほど知っているのに。
「姉御!!」
ハカセが叫ぶ。
上空から急降下して来たベルゼブブが、周囲の木々を巻き込みながら、ハカセ達の至近距離に墜落する。
土煙を上げながら出現する、ハエの王。
至近距離で見上げれば、捕食者であることを否が応にも実感できる。
「ハカセ……。もう、もういいから……!」
「良くないですよ!!」
方向転換し、走り始めるハカセ。
今度は、ベルゼブブも付いて来る。
3メートルほどの巨体で木々を薙ぎ倒しながら、確実に距離を詰めてくる。
今度こそ、逃げられない。
だが、決してハカセは、明日香を放そうとしなかった。
と。
「ユウト……」
なぜか。
当たり前のように、明日香の脳裏にその姿が現れる。
「助けて……」
他のどんな凄腕ハンターでもなく。
「このバカと、私を……」
強くなくてもいいから。
「助けて……」
賢くなくてもいいから。
「お願い……」
格好良くなくてもいいから。
「助けて……!!」
『澄空悠斗』じゃなくてもいいから!!
「助けてよ!! ユウトーー!!」
叫ぶのと、追い付いて来たベルゼブブが大口を開けて噛み付こうとするのが同時で。
そのベルゼブブが、見えない空気の塊に頭を吹っ飛ばされるのが同時だった。
「え?」
「え?」
明日香を抱えたハカセが、足を止める。
そして、知る。
ヒーローの作法は、確かに夢物語かもしれないが。
「ゆ、ユウト……?」
「嘘……」
木々の合間を駆け抜けて来て、空気弾で蠅王を撃墜した少年は。
「間に合ったぞ、ユウト!」
「凄い、ユウト!!」
共に駆け抜けて来たガッツとエールの賞賛を背に受けて。
『わざとらしいくらい格好いいヒーロー』が、ここに確かに存在する。
ただし。
「……ど、どうも……」
ヒーローは、決め台詞が苦手だった。