新居を探そう
俺は、今までの人生で死を覚悟したことが、三度ある。
一度目は、5年前、当時住んでいた町が幻影獣に襲われた時。
二度目は、こども先生に、『先生って、ちっこくて可愛いっすね』と言った時(なんで、あんなこと言ったんだか)。
そして、三度目が今。
正直、今が断トツで、一番怖い。マジ怖い。
「あのー、麗華さん……」
テーブルの向い側に座っている麗華さんに声をかける。
「なに。悠斗君」
そして、いつものように感情の薄い表情で、普通に返事もしてくれる。
でも、明らかに怒っている。
怒っているのを隠そうとしているのか、そもそも今まで怒ったことがないから怒り方が分からないのかは分からないが、確かに怒っている。
しかし、俺には心当たりがない。
が、3か月一緒に暮らしているが、ただ機嫌が悪いだけで麗華さんがここまで怒っているのは記憶にない。
何かやらかしたのだろう。
なんとか、思い出してみることにしよう。
◇◆
えーと、今日は、朝、起きてきて……。
「おはよう、麗華さん」
「おはよう、悠斗君。そろそろ起きてくるころだと思って、トーストを焼いておいた。2分前に焼きあがったから、いいタイミングだと思う」
「え、えらくピンポイントな起床予想だな。さすが、麗華さん。ありがたくいただくよ」
「ん? 悠斗君、何を読んでるの?」
「ああ。賃貸情報誌だよ。新しいアパート探してて」
◇◆◇◆◇◆◇
要約すると、以上のような状況だった。
……分からん。先の会話のどこに問題があったというんだ!?
「悠斗君」
「は、はい!」
なんでしょうか?
「私に気に入らないことがあるなら、言ってほしい。大抵のことは、直す用意がある」
いえ、どこからどう見ても、いつも通りの完璧美少女ですが。
「……と、特にないけど」
「だったら」
と、言葉を区切る。
言葉では伝えにくいが、無茶苦茶怖い。
目の前にいる俺にはもちろんだが、高BMP能力者である麗華さんの感情の高ぶりは、プレッシャーという形で周囲の人にも影響を与える(普段は抑えているらしい)。
以前は、そのせいで、あるホテルが一週間、営業停止になったこともある。
……このマンションの下の階じゃ、今頃、大騒ぎだろうなぁ。すみません。
「だったら、なぜ、新しい転居先を探しているのか理解できない」
「? だって、この間の闘いでBMP能力が覚醒したろ? 覚醒時衝動とやらもなかったし。もともと、俺の覚醒時衝動対策で、俺と麗華さんは一緒に暮らしてたんだし」
と、俺が言うと。
ぽん、と、やたらと可愛い仕草で麗華さんは手を打った。
「うっかりしてた。そういえば、そうだった」
さきほどまでの怒気が、嘘のように消えていく。
なんだったんだ、一体?
「そういうことであれば、私も協力させてもらう。悠斗君に、きっと、最高の部屋を見つけて見せる」
と、燃える完璧美少女。
いや、普通の部屋でいいっすよ。
◇◆◇◆◇◆◇
ところで、俺は、今までの人生で『贅沢な悩み』というものをしたことがない。
だが、今、初めてそれをしている。
「金には余裕があるんだよなー」
思わず、顔がほころぶ。
手元で開いているのは、賃貸情報誌。
今までの人生では、入居部屋に求めるのは、屋根と壁だけだった。
バストイレ共同どころか、それ自体がないような場所も多かったし、治安の悪い場所も多かった。
住み込みのバイトなんかは最高だったが、あまり長くは雇ってくれなかった(別に俺の素行が悪かったせいではない。一言で言うと、城守というイケメン眼鏡役人のせいだ)
だが、今回は違う。
高校生の身分でありながら、BMPハンターとしての収入がかなりのものなのだ(まだ、一回しか戦闘してないのに)。
おまけに前回の第五次首都防衛戦でBランク幻影獣を倒した時の一時金が、これまた凄い額だった。
という訳で、俺は身の程知らずにも、部屋の良し悪しなんかをいい気分で判定していた。
「これなんか良さそうだな。豪華なテラス付きの高層マンションかー」
「そこはだめ。隣にもっと大きなマンションができて、日当たりが悪い」
突然割り込んでくる完璧美少女。
びっくりした。
「じゃ、じゃあ、ここは? 超高速インターネット使い放題、電話かけ放題、最新ハイテクマンション、近日公開」
「あのあたりは、干渉系の幻影獣の出現率が高い。電気・通信系統は正常に動作しないことがある。マンションなんか作らないほうがいい」
「じゃ、これ。ターミナルステーションまで徒歩一分。アクセス抜群、環境最高」
「あのステーション、この間、幻影獣に、根こそぎやられた。呪い汚染のせいで、あと10年間は建物が建てられない。線路の引き直しをしないと」
「これ」
「建設会社が談合で捕まった。このマンションは完成しない」
……だそうです。
選択肢があるならあるで、結構、難しいな。
「引越し、やめようかな」
「それがいい」
「へ?」
思わず、麗華さんを見る。
「い、いや、やはり良くない。理由もなく、若い男女が同居するのは良くないと、緋色先生も言っていた」
「そ、そうすか」
こども先生らしい正論だ。
「ちなみに、麗華さんはオススメとかあるの?」
「なくもない。いくつかピックアップしておいた。案内できる」
「じゃあ、お願いしようか」
そういうことになりました。
◇◆◇◆◇◆◇
「あ、あの、ここは……?」
俺は、どもりまくりながら、麗華さんに尋ねていた。
「部屋探しをする前に寄りたいところがある。悠斗君も迷惑じゃなければ付き合ってほしい」「いいよ。じゃあ、そっちから、先、行こうか」と安請け合いしたのを、俺は今、激しく後悔している。
なぜなら、この建物は、どう見ても……。
「首相官邸。テレビとかで見たことない?」
ありますよ。
あるから、ビビってるんですよ。
「な、なんで、こんなところに……」
「おじい様に呼ばれた。少し時間ができたから、顔が見たいって」
今、とんでもなく不吉なセリフを聞いた気がする。
『おじい様に呼ばれた』と言ったな?
つまり、麗華さんのおじいさんは、この建物に縁のある人で……。
俺は、物凄い勢いで、麗華さんの名字『剣』が付いている政治家をピックアップする。
財務大臣、厚生労働大臣、幻影獣対策大臣……。
その他、色々。
でも、『剣』という名字には覚えがない。
じゃあ、そんなに有名な人ではないかな?
と、俺が、少し(ほんの少し)だけ、安心していると。
「剣源蔵って言う」
「首相じゃないですかー!」
思わず叫ぶ。
一番最初に思い出さなければならない人が抜けていた。
「で、では、いってらっしゃい」
精神的に完全にビビってしまった俺は、ぎこちない笑顔で麗華さんに手を振る。
「悠斗君も来るといい」
「い、いや、俺は、ここで待ってるから!」
「でも、こんなところで立っていると、不審者と間違われる」
麗華さんの鋭い一言。
確かに、さっきから、門のところのガードマンが(俺ばっかりを)物凄い目で見ている。
「お、俺は、庶民だから……」
「私だって庶民」
いや、絶対に違う。
「大丈夫。お付きの人たちは胃に穴が開いて、時々、交代するけど、私には普通」
いや、俺には普通じゃないと思います。絶対。
胃に穴が開く方の人種です。
なんと言われても、俺はここに入る気はなかった。
大して役に立たない第六感が、今日ばかりはビンビンに警戒音を発しまくっていた。
たとえ、今現在、後ろから幻影獣に襲われても、絶対に、ここには……!
「一緒に来てくれないかな……?」
「行きます」
ちょっと、上目遣いの麗華さんに、俺は即答した。
泣く子と、完璧美少女には勝てん。