とても帰宅困難
マンション1階でエレベータを待つ間に、あの後の顛末を教えてもらった。
ハカセ達によると、BMP管理局の発表では、『プールから峰と幻影獣が打ち上がったのは、峰自身のBMP能力によるものである』ということになっているらしい。
つまり俺は、『何の力もないのに峰を助けようとプールに飛び込んで、逆に茜嶋さんに助けられ、あげく人工呼吸までしてもらった、勇敢だけどちょっと痛いラッキースケベな子』ということだ。
実際に命を賭けたにしてはあんまりな設定だが、おかげで顔バレしないですんだと考えればやむを得ない。テレビでは俺の顔にモザイクもかかっているらしいし。
ただ、これだけ一緒に居るのに、ハカセ達がBMP管理局捏造の『ユウトラッキースケベ説』を素直に信じ込んでしまっている辺りが若干寂しい。
俺はそんなに痛い子に見えるのだろうか?
……というか、こいつら、本当に俺が『澄空悠斗』だと気付いてないのか?
『ユウト』と剣麗華が同居しているのは、さすがにおかしいと思わないのか?
さすがに無理がある気がしてきてるんだが。
「……ゆ、ユウト……」
「ん?」
エールにズボンを引っ張られて振り返る。
「どうした、エール?」
「ど……どうしたというか……」
「何か……変じゃないですか?」
エールに続けて、周囲の空間を見回しながらハカセが聞いて来る。
当たり前だが、ここは豪華なだけのマンション一階エレベータホールであり、麗華さんのプレッシャーがここまでうっすらと漏れ出してきていることを除けばおかしいことは何もない。
…………。
……って、これか。
「麗華さんのプレッシャーだよ」
「ぷ……プレッシャーって、剣さんの部屋って最上階だろ!?」
ガッツの悲鳴のような声で、ようやく、俺もそれが正常な反応だと思いだすことができた。
「大丈夫だ。これくらいならちょっとイライラしてる程度だ。普通に謝ればいける」
「……ちょっとイライラって……」
「本気だったら、どうなるんでしょう……?」
「思い出しましたよ。一等地に立つ、設備完璧家賃リーズナブルなマンションなのに、何故か入居率が5割を超えない物件があるという都市伝説を……!?」
ガッツ・エール・ハカセの順で盛り上がる。
ついでに補足しておくと、ハカセの話には嘘がないどころか、むしろ5割近い入居率があるところに人間のたくましさと虚栄心を感じられる都市伝説なのである。……どうでもいいが。
「これくらいなら大丈夫そうだし、怖かったら、付いてこなくても大丈夫だぞ? もちろん、来てくれたらお茶くらい出すけど」
到着したエレベータの扉が開くのに合わせて、そう提案する俺。
もちろん『帰る』と言い出したら、タクシーを呼んであげるくらいの甲斐性は見せるつもりである。
「ユウト。ちょっと女の人、甘く見過ぎ」
と、姉御がエレベータに乗る。
「ま、何もなければそれに越したことはないけど。お茶飲んで帰りましょ」
そういう風に軽やかに姉御に言われてしまっては、三人組には拒否するという選択肢はないらしい。
ハカセ達は賢帝に諭された民衆のような爽やかな顔で、エレベータに乗り込む。
「……ケーキとか出るかな?」
「さすがにケーキを常備したりはしてないでしょう。気の利いたメイドさんとか雇っていれば、最高級のお茶菓子を堪能できたと思いますが」
「賢崎さん情報だと、『二人暮らしだけど最近お手伝いさんを雇うことを検討している』んだったよな。……もっと後で来れば良かったぜ」
「…………」
…………逞しい小学生達だ。
◇◆
実際のところ、お茶菓子はある。
高そうなコーヒーとか紅茶もある。
もちろん、麗華さんのおじい様が送ってくれたものだ。
そして、俺が淹れるせいで味が台無しになっていること間違いなしなので、いつかおじい様に謝らなければならないと思っている(※謝らなければならないことが増えすぎて困るな……)。
まぁ、モノは高級なんだし、姉御達もきっと喜んでくれるだろう。
と、麗華さんと俺のマンションのドアノブに触れたところで……。
「~~~~!!」
俺は右手を握りしめながら、声を殺して絶叫した。
「ど……どうしたんだ、ユウト!?」
「待て、うかつに触れるな、ガッツ!!」
慌ててドアから引き離す。
「な……何なのよ? 一体……」
「ユウト、顔がマジです……」
姉御とエールが心配げに俺を見つめて来る。
姉御の言うとおりだった。
どんな時でも、女の人を甘く見てはいけない。
そう。
「麗華さん、ムチャクチャ怒ってる……」
ちょっと見たことがないくらいに。
……実は、やばいとは思ってたんだ。
試合前に、あれだけ『安易な自己犠牲を選ぶな』と念を押されてたからな……。
「で……でも、このくらいのプレッシャーなら大丈夫、という話では?」
「それなんだがな、ハカセ……」
驚くべきことだが。
「プレッシャーの密度を上げて影響範囲を絞ってる」
「……はい?」
「つまり、この部屋内のプレッシャーだけが異様に高い。御近所迷惑対策を覚えたらしい」
「「「「……………………」」」」
黙り込む小学生ズ。
麗華さんが御近所迷惑という概念に理解を示してくれたのは、当該マンションの有効活用の面からも非常に有意義だが、そのせいで、このドアの向こうが魔界になっている。
「仕方ない……」
俺は携帯電話を取り出した。
「ど……どうするの?」
「タクシーを呼ぶ」
姉御に回答する俺。
「金は俺が払うから、それで病院まで帰れ」
「ユ、ユウトはどうするんですか!?」
「……俺の帰る家は、ここしかない」
エールの悲壮な叫びに絞り出すような声で答える俺。
知らない人から見たら茶番というかギャグをしているように見えるんだろうが、現在の俺の心境は幻影獣と闘っている時と大差ない。
……というか、『今からBランク幻影獣二体と闘うか、家に帰るか選べ』とか言われたら、大喜びで闘いに行く。マジで。
と。
「姉御……?」
が、俺の携帯電話の通話終了ボタンを押す。
「剣さんが怒った時のために来たんでしょうが」
「い……いやしかし」
「付いて行ってあげるわよ」
「…………」
ヤバい。
姉御ムチャクチャ頼りになる。
天竜院先輩の小さい頃は、きっとこんなだったに違いない。
「あんた達は待ってなさい。安全が確保できたら呼ぶから」
「そ……そんな、僕たちも付いて行きます!!」
姉御の言葉に、ハカセが反対する。
「別に無理しなくていいのよ?」
「む……無理なんかしてません。僕は姉御の行くところならどこへだって付いていきます!!」
「俺も!!」
「わ……私だって!!」
……この光景を麗華さんに見せたらもっと怒るだろうと思うが、小学生達も俺と同様大真面目だった。
特に、足を震わせて涙目になりながら胸を張るエールには、幼き日のエリカの面影を俺が勝手に見た。
「ユウト」
「……ああ、分かった」
ほんとに恩に着る。
「行こう」