帰宅困難
「がはっ!! がはがは!! がはっ!! がはっ!!」
猛烈な吐き気で目を覚まし、猛烈な勢いで咳き込みながら水を吐き出す俺。
塩素臭い水が喉を通る感触に、涙が出そうになる。
「がはっ! がっ! つ……!!」
水を吐き出した後は、強烈な頭痛がぶり返してくる。
そう。
集積筋力で峰達を水上に放り上げた直後、この頭痛で意識を失ったのだ。
ついでに水も結構飲んだ。
「がはっ! い……!! がはっ!!」
水を吐き出しながら頭痛に苛まれ、涙目になる俺。
そんな俺の背中を優しくさすってくれていた女性の存在に気付いたのは、完全に水を吐き切ってからだった。
「大丈夫、ユトユト?」
「あ……茜嶋さん……」
独特の渾名と前後の状況から、俺を助けてくれたのは茜島さんだと見当を付ける俺。
ちゃんとお礼を言おうと、涙を拭いて目を開け……。
「!!」
!!!!
こ……!!
「あ、茜嶋さん!! む、胸!!」
……が完全に露出していた。
思い出した。
この人、ビキニトップの紐が切れてたんだった……!!
「あ、これは失敗……」
と、慌てて手ブラで胸を隠す茜嶋さん。
や、やばい……モロに見てしまった。
胸を隠すのも忘れて俺を助けてくれた茜嶋さん相手に失礼かもしれないが、モロに見てしまった(※二回言った!)。
いや、モロに見てしまった、じゃなくて!!
「あ、茜嶋さん……。あ、あの、ありがとうございました!!」
顔を真っ赤にしながら、照れ隠しも兼ねて、思いっきり頭を下げる俺。
いや、俺だけじゃない。
茜嶋さんも、普段は眠そうな表情をうっすら赤く染めて、空いた方の手で口元を拭っている。
「……?」
……口元?
「あ、ユトユトにも付いてるかな?」
と、今度はその手で俺の唇をさっと拭う。
「…………」
その時、俺の脳裏に三村が降臨した気がした。
そして、脳内の三村が囁く。
①水吸って気を失った澄空悠斗。
②少し恥ずかしそうに口元を拭う茜嶋さん。
③口元に僅かに残る、プールの水とは明らかに違う粘りのある液体。
「じ……!」
じじじ、人工呼吸!!
マジで!!
「ソードウエポンより先だったら、怒られるかな」
「い、いえ!!」
一応後ですが!!
とか、そんな場合ではなく!!
「や……ばい……」
ここでようやく俺は、会場中の、歓喜と安堵と驚愕と嫉妬と怒りの入り混じった凄まじい空気に気が付く。
あと、この会場全てを合わせたより、さらに十倍くらい怖い麗華さんにバッチリ今のを見られていたことにも気が付く。
「ユトユト? 大丈夫? 顔真っ青」
「い、いえ、大丈夫です!!」
全然大丈夫ではないが、そう言って立ち上がる俺。
見ると、報道陣と思しき方々がこちらに向かって走って来ている。
まずいところを見られたとかそういう以前に、俺はそもそも顔バレ禁止の身分なのである。
「ユトユト? まだ急に動いちゃ……」
「いえ、大丈夫です!! ホントにありがとうございました!! お礼はまた改めて!!」
と、言い残し。
俺はプールから逃げ出した。
◇◆◇◆◇◆◇
その日の夜。
プールから逃げ出し、そのまま当てもなく街を動き回っていた俺は、ついに麗華さんのマンションに帰って来た。
正直、今日くらいは外泊することも考えたが。
「…………」
麗華さんから送られてきたメールを見て、もう一度決心する。
やっぱり、今日のうちに帰っておいた方がいい。このまま朝帰りは、色んな意味でハードルが高すぎる。
……。
一言断っておくと、別に連絡を取っていない訳ではない。
通話には出ていないが、一応メールには返信している。
そのメールのやり取りを見る限り、そんなに怒っている訳ではないようなのだが。
…………。
俺は通話よりメールの方が便利だと思う派である。
通話と違ってメールはいつ送ってもそんなに迷惑にならないし、いつでも返事できる。
ただ、文面ではどうしても読み取れないものがある。
……………………。
いや、別に怒っていると思っている訳じゃないんだ。
状況が状況だったし、どうしようもなかったし、実際、俺、結構頑張ったと思うし。
どちらかというと、気まずいというか。
いや、本当に怒っていると思っている訳じゃなく……。
「いい加減にしてください……」
「ひぇっ!!」
突然横から話しかけられて飛び上がる俺。
「は……ハカセ!?」
と、姉御達!?
「不審過ぎるぞ、ユウト」
「プールでのイケメン具合を完全に消し飛ばすくらい不審ですよ、ユウト」
ガッツとエールが続けてくる。
容赦のない事実の羅列だが、いつもに比べると全く物足りない。
なぜなら。
「姉御?」
「……なによ」
「いや……」
姉御の毒舌がない。
というか目に見えて元気がない。
いつもは先頭に立って三人組を引っ張っているのに、今は後ろで気まずそうにしている。
「みんな、なんでここに?」
「賢崎さんに言われたんですよ。『ユウトはきっと帰りづらくてマンション入口で不審な行動を続けるから、適当に回収してください』って」
「時間と携帯見る回数までぴったりだったのはちょっと怖かったですけど」
「あんなに綺麗なのに『魔女』って言われている理由が、ちょっとだけ分かったよな……」
ハカセ・エール・ガッツの説明で、だいたいの事情は分かった。
いやしかし。
「なんでまた、姉御達が俺の面倒を見てくれるんだ?」
そこが不思議である。
水着を買ってあげた恩かもしれないが、それだけのためにわざわざ病院に外出許可を取ったのも大げさだし、だいたい行方不明でも何でもなく、ただ入りづらいだけというチキンな理由なのに、そこまで面倒見てもらう理由がない。
と。
「私のせいだからね……」
姉御が言う。
「?」
「私が中途半端な言い方したのが悪かったのよ。もっとちゃんと訴えるか、いっそのこと無視すれば良かった……」
心底後悔しているような姉御のセリフ。
「まさか、責任を感じてるのか……?」
「な……なによ! 悪い!?」
よほど俺が驚愕に満ちた声を上げたからだろうか。
姉御が顔を赤くして怒る。
「ちょ……。姉御がデレそう……!?」
「いえ、まだです。『エンドレスデレナイデ』と言われた姉御がこの程度でデレるはずがない」
「ユウト、もう少し頑張ってください!!」
「うるさいのよ、あんたたちは!!」
姉御の一喝で三人組が黙る。
まぁ、とりあえず。
俺の帰宅に姉御達が付いてきてくれるらしい(※情けない)。




