ルーキーズマッチ『峰達哉vs茜嶋光』6
俺達が座っていた席とは反対側。
姉御が指摘したプールの隅が良く見える、観客席の最前列に俺は移動していた。
そして、身を乗り出すようにして、プールの隅を覗き込む。
「…………何もないよな」
当たり前だが、何もない。
それが当たり前なのだが……。
「…………」
《…………》
何故か、俺の胸騒ぎはどんどん激しくなっていった。
第六感とか虫の知らせとかじゃない。
さっき見た姉御の青い顔が、俺の脳裏から離れないのだ。
けど、もちろん試合を止める程の証拠もない。
というより、賢崎さんが何も言わない時点で、何も起きない可能性の方が高い。
だから、もちろん試合は止められない。
けど、万が一の時は……。
「俺が……やるのか……?」
天竜院先輩から預かった、腕時計型のディテクトアイテムを確認する。
試作型だけあって、使い方は『これを付けた方の手で殴るだけ』だそうだ。
……つまり、プールの中でコトが起こるのなら、俺もプールに飛び込むしかない。
……。
……正直。
何か起こる前に早く負けてくれ峰、と一瞬思ってしまったのは内緒だ。
☆☆☆☆☆☆☆
「…………っ!!」
動く方の左手で必死に水を操りながら逃げる峰。
茜島光の天井から落ちてくる爆撃は、適当に見えてその実、全く隙がない。
詰め将棋のように、一手ずつ確実に追い詰めてくる。
プールの隅に追い詰められたところでチェックメイトだろう。
そして、それが分かっていてもどうしようもない。
「……」
爆撃領域で制御が奪えるのは一発まで。
澄空悠斗並みの実戦チートが起きれば二発同時に奪えるかもしれないが、この状況ではどのみち全く意味がない。
ならば……。
「……仕方ないか」
隅に追い込まれると同時に、砲撃城塞を全力斉射するという作戦。
無様で露骨な相打ち狙いだが……。
他に全く打ち手がない以上。
「これも立派な戦術だ!!」
プールの隅に追い込まれると同時に、左手を水から出す。
魂の最後の一滴まで絞り出すような深い呼吸と共に。
「砲撃……」
が。
砲撃は、されなかった。
(?)
胸の辺りに、小さく深い痛み。
鱗の生えた緑色の手が後ろから回され、その指が胸に喰い込んでいる。
(!? 馬鹿な!! ダメージ無効化結界は!? いや、それ以前に、大会の主催はBMP管理局だぞ……幻影獣がどうやって入り込んだ!?)
吐き切った息が、さらに吐き出され。
峰達哉は、プールの底に引きずり込まれる。
☆☆☆☆☆☆☆
峰がプールに引きずり込まれた瞬間。
一瞬だけ麗華さんの顔が思い浮かんで躊躇した。
俺が急いで助けなくても大丈夫、とか。
むしろBMP能力が使えない俺が飛び込んだら邪魔になる、とか。
ただ。
俺は。
むかし、こういう、とても悲しいことがあったような気がした。
「峰ー!!」
観客席からプールサイドにジャンプする。
そこそこの高さがあり、着地時にそれなりの衝撃があったが、もちろん無視。
プール目掛けて走り始める。
《悠斗!! 一撃で決めろ!!》
「分かってる!!」
峰を水中に引きずり込んだ者の手には、鱗が生えていた。
イメージはまさしく半魚人。
どうやって紛れ込んでいたのかは不明だが、水中に適応した幻影獣だろう。
もちろん、俺は水中戦闘なんて習ったこともない。
長く闘えるはずがない。
走りながら着水点を見定める。
やはりというべきか、そこは明日香が指摘したプールの隅。
「やっぱり、賢崎さんに言っときゃよかった……」
後悔の言葉を口にしながら。
飛び込む。
水中で失われる視界の中で、手首に装着したディテクトアイテムが光を発する。
標的の胸に爪を抉りこませている半魚人は、峰と距離が近いが。
(緑色で分かりやすいんだよ!!)
緑色の物体の中央目掛けて、全力で拳を叩き付ける。
と。
「………っっっっ!!」
ごぼっと峰の口から泡が噴き出る。
っ!!
俺の攻撃は半魚人に効いている。
だが、峰から引き離すほどではない。
しかも、俺の攻撃のせいで、余計に奴の爪が峰の胸に喰い込む。
《駄目だ、悠斗!! 峰がもたねぇ!!》
そんなこと言っても、どうするんだよ!!
《こいつらまとめて、水上に打ち上げろ!! 光が仕留める!!》
無理だ!!
このディテクトアイテムの攻撃は、本当に『殴るだけ』。
水上に弾き飛ばすなんて不可能だ!!
身体能力強化系のBMP能力なら、これくらいの重量、簡単に投げ飛ばせるけど!!
……っ!
そうか……!!
《悠斗!?》
使えば……いいんだ!!
《悠斗、待て!!》
身体能力強化系のレパートリーは意外と少ない。
思い出すのは、体育祭の時の情けない記憶。
けど……役に立ったな。
劣化複写……。
《悠斗!!》
集積筋力!!
☆☆☆☆☆☆☆
突然の事件に反射的に水に飛び込みそうになった茜島光だが、自制する。
水中では彼女の行動は大幅に制限されるし、なにより……。
(ユトユトが、何の考えもなしに飛び込むはずがない!)
本人が聞けば、『あまり買い被らないでください』と言いそうなセリフだが、とりあえず今回は間違っていなかった。
盛大な水しぶきを上げながら、一塊になった二つの物体が水上に打ち上げられる。
「峰君と……幻影獣……!」
メインプールの高い天井にまで届きそうなほどの高さ。
澄空悠斗が上がってこないのは気になるが、まずは幻影獣を倒して峰達哉を救わねばならない。
だが……。
(撃ちにくい……)
どういう手段を使ったのかは分からないが、すでにダメージ無効化結界が解除されているのは間違いない。
峰に当てずに幻影獣だけを攻撃しなければならないのだが。
……半魚人型幻影獣が後ろから峰に抱きつくように密着しているうえに、光の位置からは完全に死角になっているのだ。
もちろん天閃の軌道を曲げて攻撃することくらいはできるが、たとえ抑えていても彼女の攻撃は威力が大き過ぎる。
一歩間違うと峰に大怪我をさせてしまう。
しかし……
「迷っている暇はないか……」
澄空悠斗は浮かんでくる気配がない。
もう一度峰達が着水すれば、今度は本当にチャンスがないかもしれない。
(威力は必要ない……)
繊細に能力を練り上げる。
針の穴を通すような集中力で、攻撃を……。
「っ!?」
しようとしたところで固まった。
突然、観客席から飛んできた一発の光弾が、峰の胸に喰い込んでいる幻影獣の手首に直撃する。
幻影獣に、ではない。幻影獣の手首に、直撃し、手首から先を消し飛ばした。
「!?」
同じ方向から飛んできた次の光弾は、密着している峰の背中と幻影獣の胸の隙間に潜り込む。
比喩ではない。サッカーボール大の光弾が、にゅるりと、本当に峰と幻影獣の隙間に『潜り込んだ』。
ぱん、という音を立てて光弾が破裂し、空中で峰と幻影獣の距離が離れる。
これで完全に幻影獣を狙い放題になったが、観客席からの攻撃の主はまだ止まらない。
間髪入れずに、十数発の光弾が空中で身動きできない半魚人型幻影獣に殺到する。
一撃目や二撃目のような繊細な攻撃ではない。
速さ威力共に申し分のない暴風のような砲撃が、あっという間に幻影獣の身体を粉々にする。
遠距離攻撃最強の茜島光が目を丸くするほどのスピード。
幻影獣は完全に消滅し、光弾で弾き飛ばされた峰が落下を始める。
が、落下予想地点が悪い。
弾き飛ばされたせいで、プールサイドに落下しそうなのである。
「誰か! 峰君を助けろ!!」
と誰かが叫ぶが、それすら不要だった。
またも飛来した光弾が、今度は峰の下側で破裂する。
すると、落下速度が急激に緩まる。
同じようにもう一発。
……三発目で、ほんのわずかな衝撃だけを残して、峰の身体はプールサイドに横たえられた。
「………………」
峰達が打ち上げられてから決着が付くまで、ほんの数秒。
数秒の間に、観客席の誰かは、攻撃・救助合わせて、6回の超難度砲撃を完璧にこなして見せた。
威力では並ぶもののいない遠距離攻撃系BMP能力者最強の茜嶋光だが。
認める。
あれは自分には無理だ、と。
というか、あんなことができる人間には、一人しか心当たりがない。
ただ、その人間……十六夜朱鷺子は、今日の試合は観戦できないと言っていたはずなのだが……。
「いや、そんな場合じゃない」
澄空悠斗がまだ浮かんでこない。
度肝を抜かれた観客が、ようやく騒ぎ始めたのを尻目に、茜嶋光は水に飛び込んだ。
◇◆
澄空悠斗がプールサイドに向かう直前まで座っていた観客席。
そこから、プールを挟んでちょうど対角線上にあたる観客席最上部の通路スペースで、真行寺真理は『舞い終えた』ところだった。
高速・高難度射撃は、十六夜朱鷺子の十八番。
『難しければ難しいほど簡単なのよねー。なんでかしら?』とかいう異次元のセリフを吐く師匠の感性は全く理解できないが、弟子の真行寺真理も、この程度の射撃は技術的には問題ない。
……技術的には問題ないが。
「うまくいって良かった……」
心から呟く。
一瞬……ほんの一瞬だけだが、間健一を失った時のことを思い出し、身体が硬直したのだ。
彼のことを忘れた澄空悠斗が同じ気持ちだったのかどうかは不明だが。
「BMP能力……使えないはずなんだよね……」
この局面で、その枷をあっさり外す無敵ぶりも。
その確証がなくても飛び込む、お人よしなところも。
クールを気取っているくせに、結局一番に駆けつける熱血なところも。
なにひとつ変わっていない。
「記憶をなくしても、ゆうとっちはゆうとっちかぁ……」
周りの観客からの驚愕と称賛の声には一切関心を払わず、呟く。
「ふん。……ばか」
◇◆『ルーキーズマッチ峰達哉vs茜嶋光』結果報告
・勝者:茜嶋光
・試合時間:7分15秒
・フィニッシュ:試合経過から判定(幻影獣乱入のため)