迷宮の迷い子
デパート『新月』のトイレ前の空間。
小学生達が顔を寄せ合って、難しい顔をしていた。
なお、澄空悠斗達は「食器を買うから」という理由で別行動中である。
「どう思う?」
「やっぱり、恋人にしか見えませんね」
「ユウトと小野さんが?」
「んな訳あるか」
行き来するのは、こんな言葉。
だいたい分かるだろうが、上から明日香・ハカセ・エール・ガッツである。
「しかし、剣さんは澄空悠斗と恋仲かと思っていましたが……」
「そうじゃなくても、ユウトの方と剣さんのカップリングはさすがに無理があるだろ……。美女と野獣、じゃないな……。女神と一般人?」
ハカセとガッツが、嫉妬抜きで純粋に疑問を語り合う。
「やっぱり、ユウトが澄空悠斗なのかしら……?」
苦虫を噛み潰したような顔で吐き出す、鏡明日香。
「でも、姉御が違うって言ったんだよ?」
「……そうなのよね。状況証拠はユウトが澄空悠斗でなければ収まりがつかないくらい揃ってるんだけど、あのプレッシャーのなさはあり得ないし……」
「それは僕も思います。剣さんなんかを見てると良く分かるんですけど、プレッシャーが『ない』と『抑えてる』は全然違うんですよね……。地獄のマグマをレースのカーテンで覆い尽くしてるというか……」
「ハカセのたとえは分かりにくいけど、言いたいことは良く分かる。というか、あんな人に本気で凄まれたら、絶対漏らすよな……」
顔を青くしながら、ガッツがハカセの言葉に頷く。
「まぁ、それ以前に『アレ』が澄空悠斗とか、ないわぁ……。物事には限度があるのよ」
頬を膨らませながら明日香が主張する。
残念ながら、澄空悠斗本人が居れば、全力で同意するような主張である。
と。
「なかなか面白い話をしてるね?」
至近距離から、突然声を浴びせられる。
「! お……お、小野さん!?」
反射的に明日香を庇うような位置に立ちながら、ハカセが叫ぶ。
「いやぁ。悠斗君達のラブラブを邪魔しちゃいけないと思って泣く泣く抜けて来たんだけど……。こっちはこっちで面白そうだね?」
朗らかに笑いながら語りかけてくる美少年。
だが、澄空悠斗に対する笑顔とはどこか違う。
「君達は正しい」
「え?」
と、唐突な小野倉太のセリフにエールが疑問の声を返す。
「『アレ』は本物の澄空悠斗じゃないよ」
「じゃあ、何なんですか?」
「それは内緒。でも、もちろん重要人物だよ。僕の想い人でもあるし、ね」
質問する姉御に対し、本気か冗談か分からない口調で答える小野倉太。
しかし、少年少女達には分かる。
……この人、目が笑ってない。
想像でしかないが、おそらく、澄空悠斗が居ない全ての場面で、そうなのではないだろうか?
「私も聞きたいことがあるんですけど」
明日香が意を決したように口を開く。
「なんだい?」
「小野さん、ひょっとして幻影獣なんじゃないんですか?」
「……」
「……」
「……あ、姉御……」
「下がってろ、エール」
「う、うん……」
小野と睨み合う明日香に呼応し、警戒態勢を高める少年少女達。
が。
「うん、そうだよ」
小野倉太の返事は軽い。
「私達に……、私に何の用なんですか?」
「彼女からの伝言を伝えに来ただけだよ」
「っ! やっぱり、あの人の……!?」
明日香だけでなく、ハカセ達全員に緊張の色が浮かぶ。
「そのままでいい、ってさ」
警戒する明日香達を気にすることなく、小野が告げる。
「やっぱり、狙いはユウト達なのね……」
「まぁね」
「嫌だ。って言ったら?」
「別にいいよ。君達はせいぜい、重要な脇役程度の役どころだ。舞台から降りたって誰も咎めない」
澄空悠斗にしか興味がないと思われる幻影獣は、誰が聞いても真実としか聞こえない声音で言う。
「君達如きでどうにかなる幻影獣でも、澄空悠斗でもない。楽しみなよ。人間の一生は短いんだから」
◇◆
新月が誇る巨大プール施設、その名も『アクアグラディエーター』。
どこにグラディエーターな要素があるのかは不明だが、お子様が楽しめるレジャープールから、公式競技にも対応できる真面目なプールまで各種取り揃えた、巨大施設である。
行政が運営している割に収益率が高いのも、なかなか誇らしい特徴である。
それはともかく。
「水着で来いという話だったから……これでいいんだよな?」
「いいんだけど……。何というか、いい身体してますなぁ……」
「ありがとう。真行寺も、なかなか鍛えられたいい体をしてるぞ」
「……スクール水着褒めるなよ……」
人気のないこじんまりとしたプールで、水着に着替えた峰と真行寺が向かい合って話している。
「しかし、ひょっとして、このプール借り切ったのか?」
「ルーキーズマッチをするメインプールの方がいいんだけどね……。さすがの師匠でも、こっちのサブプールAが精いっぱいだったって」
「いや、こっちでも十分凄いと思うが……」
改めてプールを見渡しながら呟く峰。
師匠……十六夜朱鷺子氏の人望と権力が凄いのはもちろんだが……。
「なんで俺のためにここまでしてくれるんだ……?」
「別に、あたしが頼んだわけじゃないわよ。師匠が勝手にやったこと」
「十六夜さんが……?」
「師匠、茜嶋さんには若干ライバル意識があるから。あと……あ、来た」
「え?」
真行寺が指差した先に、峰が慌てて振り返る。
「うわ。これはびっくり」
入口から顔を見せる、ゆったりとしたトレーナーに身を包んだ重量感のある女性が声を発する。
「マリが大げさに言ってるのかと思ってたけど、これは本当に似てるわー」
「師匠、それ黙っててって言ったのに!」
既に現役を退いて久しいが、今でも遠距離攻撃系最強を話題にすると、必ず『天閃』と共に名前の挙がる超実力者。
「よろしく峰達也君。先代『魔弾』、十六夜朱鷺子よ」
『ぼっちゃりさんの星』とも呼ばれる彼女は、意外に人懐っこい笑顔で峰に手を差し出した。
「は……初めまして! 峰達也です!! 十六夜さんのお噂はかねがね……。お会いできて光栄です!!」
「い、いやぁ。そんな大したものじゃないけどねぇ。ま、まぁ、よろしく」
差し出した手を情熱的に両手で握りしめてくる峰に、若干照れる十六夜朱鷺子。
「ま、ルーキーズマッチまで時間があるとは言わないけど、それまでは私が付きっきりで面倒見るから。焦らずに行きましょうか?」
「は……はい! 光栄……ええっ!!」
緊張した笑顔で頷こうとした峰の顔が、突如驚愕に変わる。
「つ……付きっきりって……? 十六夜さんって物凄く忙しいって聞いてましたけど……。い、いや、だいたい、明後日、結構大規模な講演会の予定が入ってたんじゃ……!?」
「キャンセルしたからね」
「キ……キャンセル?」
余りにもあっさりと告げる十六夜に、峰は一瞬立ち眩みを起こした。
「あ、いい加減な女と思わないでよ。ちゃんと穴埋めはしてきたから。結構大変だったのよ、スケジュール開けるの」
「そ……それはそうでしょう」
『結構』どころではないことくらい、峰にも分かる。
「ど……どうして俺のためにそこまで?」
「そりゃ、マリにあんな顔して頼まれちゃねぇ。『ひょっとしてヤラれちゃった後?』みたいな雰囲気だったし」
「だから、師匠、それは言わないでって……! って、ヤラれてないわ!!」
どなり合う二人の関係性が、峰にはまだ掴めない。
『後継』という言葉の響きから、もっと軍隊的なやつを想像していたのだが。
「マリは、年の離れた妹か娘みたいなものよ。あなたがただの女ったらしだったら、今日、撃ち殺すつもりだったからね」
「こ……光栄です!!」
『魔弾』の眼光に射すくめられながらも、大真面目に答える峰。
そんな峰を見て、十六夜朱鷺子は優しく笑う。
「あんまり喜んでばかりもいられないわよ。あなたは、この十六夜朱鷺子の四番目の直弟子なんだから。期間が短い分、きつめにいくから覚悟しなさい」
「そ、それこそ光栄です! どんな特訓にも耐えて見せます!!」
怠け癖のある人間には直視できないほど、とてもいい笑顔で返事をする峰。
しかし。
「その……。俺如きがこんなことを言っていいのかどうか分かりませんけど。いくら、真行寺の紹介とはいえ、俺なんかを直弟子にしていいんですか?」
「いいのよ。前の三人だって適当に弟子にしたんだし」
「そうだったの!?」
審判を受ける罪人のような顔で質問した峰に、今日のおやつを告げるような軽い口調で答える十六夜に、芸人のようにツッコむ真行寺。
「今まで聞かなかったけど、『何か光るものがあった』とかじゃないの!? じゃあ、あれだけたくさんの人に教えてるのに直弟子三人しか取らなかったのは、どういう理由?」
「初めて弟子にした子の一人が凄い面倒だったから」
「あぅ……」
痛いところを付かれた、という表情で真行寺が黙り込む。
「ま、ゆうとっちは、別だったけどね」
と。
「え?」
妙に親近感の湧く渾名に、峰の意識が集中する。
「ゆうとっちって……。ひょっとして、澄空悠斗ですか?」
「? そうだけど? ひょっとして、マリ、峰君に話してないの?」
「……師匠のおしゃべりぃ……」
頭を抱えてしまう真行寺。
「真行寺、どういうことだ? やっぱり君と澄空は知り合いだったのか?」
「そうよ……。ケンちゃんとゆうとっちと私が、十六夜朱鷺子の三人の直弟子」
「いや、しかし、澄空は……」
困惑する峰。
そんな峰を見て、十六夜が事情に気が付いたらしい。
「マリ。やっぱり、ゆうとっち、何らかの記憶障害なんじゃないかしら? ちょっと確かめたら簡単に分かるのに……」
「べ……別に忘れたいなら忘れたらいいのよ。あんなあり得ない美少女が傍にいるんだし。いまさら幼馴染もないでしょ」
「ツンデレって、ほんと面倒……」
「ツンデレなんてしてない!」
溜息を付く十六夜に、くってかかる真行寺。
それを見ながら、ようやく峰は気が付く。
確かにツキが最高過ぎるのは良くない。
たぶん、自分は、とんでもないことに巻き込まれてしまった。