おじい様の怒り
試着室から脱出し、後ろ手でカーテンを閉め。
……俺は、その場に蹲った。
「し……心臓止まる……」
冗談でなくそう思う。
麗華さんは正直綺麗過ぎるから、実はそんなに興奮しないのでは?
とか思ったこともあったが、明らかな間違いだったことが証明された。
もし麗華さんに本気で迫られるようなことが万が一にでもあったら、俺死ぬんじゃないか……?
といった心配ごとまで頭に浮かんでくる。
「ユウト?」
「ひぃっ!」
と、横合いから呼ばれて思わず悲鳴を上げてしまう。
「『ひぃっ!』って何よ?」
「あ……い、いや、何でも……!?」
振り向いた瞬間、思わず絶句する。
いや、姉御が水着を着ているだけなのだが……。
ぶっちゃけると、凄く可愛い。
「…………」
「……何よ?」
「い、いや……」
正直油断していた。
姉御+薄い青のワンピース-毒舌、な鏡明日香は、間違いなく美少女だった。
今俺は、ロリコンと言われても仕方がないくらい、だらしない顔をしていることだろう。
しかし、純粋に可愛いと思っただけで、性的興奮を得たわけではないからロリコンではないよな、と今度見舞いに行った時に三村に聞いてみよう。
「分かります分かりますよ、ユウト!」
と、フリルの付いた水着を着たエールが割り込んでくる。
「姉御は毒舌をマイナスすると普通にかつ超級に美少女ですからねぇ。ロリコンじゃなくても見惚れるのは分かります!」
というエールもかなり可愛くはあるのだが、俺はまだ姉御を見たダメージから抜け出ていなかった。
「ハカセ、俺は生きててよかったと思うよ」
「同感ですガッツ。姉御は外見だけなら、澄空悠斗周辺の美女軍団に引けを取らない逸材であると言えるでしょう!!」
と、すっかり俺が付けた渾名を受け入れてしまった感のある男の子二人組が、なぜか水着に着替えているのは元気がいいとは思うけど。
「ユウト。小学生に欲情するのは、人としてある部分終わってると思わない?」
溜息を吐きながら見下すように言ってくる姉御に、反論する言葉を持たない哀れな俺。
「ふ……まぁ、今日だけは許してあげるわ。年齢とかその他色々足りてないとはいえ、私はそこらの女の人になんか……!?」
寛大な心で俺を許してくれそうになった姉御が、何故か突然、変な方向を向いて絶句する。
視線の先には……。
「れ……!!」
俺も合わせて絶句する。
もちろん、ガッツもハカセもエールも。
女神が降臨するかのような神々しさで試着室のカーテンを開けて出てくるのは、もちろんソードウエポンこと剣麗華様。
麗華さんはお嬢様だからオーダーメイドの水着の方がいい、と思った俺が短絡的だった。
大量生産品であるはずの飾り気のない白のビキニは、まるで女神のために誂えられた伝説の装具のように見える。
「れ……麗華さん……綺麗だ……」
「? ありがとう」
抑えようもなく零れた俺の言葉に、きょとんとして答える麗華さん。
「大きさ合ってるよね?」
「お……おそらく完璧に……」
と、高速で首を振りながら答える俺。
「だから言ったのに。試着なんか必要ないって。サイズぐらい見れば分かるよ」
「そ……それは、素晴らしい眼力をお持ちで……」
と、両手で意味不明のブロックサインを形作りながら称賛する俺。
「…………悠斗君? 何故、そんなに挙動不審なの?」
「だから麗華さんは婉曲表現を……っ!! お、覚えてくださいな……」
ツッコミを入れようとしたところに、ずずいっと麗華さんが寄って来たものだから、合わせるように後ずさるヘタレな俺。
「悠斗君、ひょっとして照れているの?」
「じ……若干」
もちろん若干どころではないが。
「もう半年になろうとしているのに……。一体、いつになったら悠斗君は私に慣れるの?」
「だ……だいぶ慣れてきたとは思ってるんですが……」
と言いながら、露骨に後ずさる俺。
露出が少ないとは言わないが、そこまで過激なビキニではないんだが……。
この法規制が必要なレベルの色気は一体……?
「恐れることはないよ、悠斗君」
と。
どうでもいいことを考えていた隙に、何者かに後ろから羽交い絞めにされた。
「魅力的な異性の肉体に惹かれるのは、青少年としてごく自然な反応だ。個人的には、魅力的な同性の肉体に惹かれるのも悪くないと考える」
「いや、若干問題があるような気もするけど……。それより、小野?」
「ふ……。身体の感触だけで僕だと分かるとは、いけない悠斗君だ」
いや……声で分かったんだが……。
というか。
「お前……、ひょっとして、水着を着てないか?」
「……分かるかい?」
「は……放してくれまいか?」
できるだけ穏便に言ったつもりだが、小野はますます強く俺を拘束してくる。
……というか。
正直に言うと、露骨に抱きしめられている。
「お……小野?」
「プラトニックでいいかなと思ってたけど、時間が無くなってくるとやっぱり我慢できなくなってくるなぁ……」
「じょ……冗談だよな、もちろん?」
「うまい具合にBMP能力が使えないし、いっそのこと襲っちゃおうか?」
「ちょ……!」
と、悲鳴を上げようとした俺の前で、麗華さんがさっと腕を伸ばして、小野の(※俺の胸のあたりをこねくり回していた)腕を掴む。
「小野。私の目の前で、悠斗君を男色家にしてしまう訳にはいかない」
「どういうつもり、剣さん? いくらパートナーとはいえ、悠斗君の性的嗜好に、君が介入する権利はあるのかな?」
「それが生来の嗜好であるならば口出ししない。しかし、一時的な外的要因による性向変化であれば、黙って見過ごすと同居人として御両親に顔向けできない。ロリータ・コンプレックスも同様」
「いや、同様じゃないよ、麗華さん!!」
危機的な状況も忘れ、思わず突っ込む健気な俺。あと、どこに居るか分からない俺の御両親も一切関係ない。
と。
「じゃあ、女だったらいいんだね?」
「え?」
違和感。
これは……。
「なんてね、冗談。剣さんが居る以上、無理に悠斗君をこっちの世界に誘ったりはしないよ♪ たぶん」
「……」
……ええから、はよ離せ。
☆☆☆☆☆☆☆
所変わって、こちらは首相官邸、首相の執務室。
「入っていいぞ」
「失礼します」
控えめなノックのあと首相の了承を得て入室したのは、高望みをしない家庭的な女性なのに御結婚がまだの尾藤秘書。
「どうした、尾藤君? つい先ほど、『これで少しゆっくりできますね』と言って出て行ったばかりだと思ったが?」
「表向きの仕事の方はそうです。裏向きの仕事の方で、例の探偵から報告が」
「ああ、そっちか。すまんな、尾藤君」
「いえ……」
と、タブレットPCを首相の目の前に設置する尾藤秘書。
「動画か?」
「そのようです」
「確か麗華は水着を買いに行くと言っていたが……。ふ……。いくら孫煩悩なじじいでも、孫娘の水着姿を見て喜ぶとでも思ったのか、ヤツめ。私は監視を依頼したのであって、盗撮を依頼したのではないのだがな……」
「剣首相、そのお顔は、この部屋の外ではしないようにお願いします」
「す……すまん」
言われて、緩んでいた頬の筋肉を引き締める剣首相。
尾藤秘書がタブレットPCの電源を入れて。
映し出されたのは、水着売り場の試着室前で立っている澄空悠斗だった。
「……あの麗華が男に見せるために試着室で水着を着替えているとは……。つくづく何が起こるか分からんものだ……」
試着室に入っているのは剣麗華だと当たりを付け(※まぁ、それ以外に試着室のカーテンを撮影する意味がない)、口では渋いことを言いながらも孫娘の初めての水着姿が楽しみでしょうがない孫煩悩な剣首相。
もちろん、動画の中の澄空悠斗は剣首相以上に落ち着かない仕草で剣麗華の着替えを待っている。
その彼が不意に後ろを向いた。
恥ずかしくなったのだろう。
「分かるぞ、澄空君。あれは妙に恥ずかしいものだ。だが心配ない、いずれ慣れる」
勝手に若き日の自分に重ね合わせて親近感を感じる首相。
その首相の前で。
突然、澄空悠斗が背後から試着室に引っ張り込まれた!
「!!!???」
一国の首相にあるまじき感嘆符を並べて混乱する剣首相。
「落ち着いてください、剣首相」
「い、いやしかし。こ、こここ、これは、び、びび尾藤君?」
「大丈夫ですよ、すぐ出てきます」
と尾藤秘書の言うとおり、少しして澄空悠斗がカーテンを開けて出てくる。
「よほど特殊なテクニックがあれば別ですが、この時間では変なことはしてないでしょう。たぶん、内緒話でも……」
「尾藤君」
「はい?」
押し殺したような首相の声に、疑問符で答える秘書。
「仕事を……入れてくれ」
「? ついさっき『これで少しはゆっくりできるな。もう、しばらくは働かんぞ』とおっしゃっていたと思いますが?」
「いいから入れてくれ。なるべく緊急で重要なものがいい」
「?」
「時間ができてしまうと、わしは澄空君を殴りに行ってしまいそうだ」
握りこぶしを震わせながら宣言する首相に、秘書は溜息を吐く。
「我が国の至宝に、何をするつもりですか……?」
「どこの世界に、嫁入り前の孫娘の試着室に侵入する至宝がおるというのだ!?」
「駅前の、デパート『新月』のようですが」
「場所を聞いているのではない!!」
かなり派手な音を立てて机を殴りつけるアグレッシブな首相。
「剣首相は、澄空さんのことを認めていると思っていましたが……」
「み……認めていないことはないが……。孫娘の試着室に侵入するのなら、その前に通すべき筋があるだろう!?」
「はぁ」
筋がどうとかいう問題ではないと思うが、今言っても聞きそうにないので、とりあえず黙る優秀な尾藤秘書。
もちろん、侵入というより連れ込まれたようにしか見えないことは指摘しない。
「くそ……。あれの祖母は、わしが少しマニアックなプレイを提案しただけでグーで殴ってくるような女だったのに……」
「剣首相。この部屋に盗聴器が仕掛けられている可能性がゼロではないことを思い出してください」
聞きたくもない際どい個人情報を聞かされて、尾藤秘書が迷惑がる。
「ま、まぁいいだろう。この動画はわしが預かる。あの探偵には、データを消して、くれぐれも口外しないように言っておいてくれ」
「了解しました」
一礼して、執務室を後にする尾藤秘書。
「く、くくくく……。澄空君。確かに麗華に釣り合う男は君以外に居ないのかもしれんが、わしがそんなに物分かりのいいじじいだと思わんことだ。あれの祖母を落とすのに、どれだけ苦労したと思っている……!? 不公平ではないか……!!」
背後に不吉な首相の呟きを聞きながら。