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BMP187  作者: ST
第四章『境界の勇者』
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月夜

「ふぅ……」

自室の窓から見える満月を眺めながら、剣麗華は深く息を吐いた。


剣財閥の令嬢が住むだけあって、窓からの眺めは絶景である。

度重なる幻影獣の侵攻にも耐え抜く都市が一望でき。

怪しいほどの魅力を放つ満月が、こんなにも近い。


別に満月が好きとか新月が嫌いとか、そういう情感を持っているわけではないのだが、こんな夜には『ある女性』を思い出して色々考えてしまうのである。


「……やはり間違いない。ナックルウエポンは悠斗君に個人的な好意を抱いている。それも、恋愛感情にも近い形で」

……例えば恋の話とか。


そもそも剣麗華は、ある事情により感情の発露に少々のトラブルを抱えているが、他人の感情が全く理解できない訳でも、まして頭が悪い訳でもない。

これまでの言動と、さきほどの澄空悠斗の話から、十分に推測できる話だった。


「……というより……」


澄空悠斗が鈍い。

頭は切れるタイプだと思っていたが、自分に向けられる好意には鈍感……というより、好意を向けられることを想定していないように見える。

控えめを通り越して、少し劣等感が強いのかもしれない。


「…………」

軽く小指の爪を噛む。


そう。

教えてあげれば済む話なのだ。

ナックルウエポンは確かに油断ならない女性だが、本気で好意を持っているとなれば、あれほど異性のパートナーとして理想的な人物もいない。

ただ……自分がそれを澄空悠斗に教えるのは、いささか筋が違うと思うし抵抗もある。


「…………」

今度は親指の爪を噛む。


となると別の問題が出てくるのだ。

あくまで……。


「あくまで、統計的かつ心理学的な客観判断なんだけど……」


おそらく、澄空悠斗は剣麗華に好意を持っている。


特に難しい推論ではない。

互いに憎からず思っている年頃の男女が、半年もの間、共に死線を潜り抜けながら共同生活をしてきたのだ。

おまけに、剣麗華は外見的にも恵まれている。

普通の思考回路を持つ少年なら、好意を持っても何もおかしいことはない。


おじい様がおじい様だから、澄空悠斗が直接的な行為に及ぶにはかなりの思い切りが必要だろうが、それでも求められれば拒まないつもりではいた。

一悶着はあるだろうが、自分が一緒に説得すれば、おじい様も命まで取るとは言わないだろう……、という予測も立てていた。


しかし、ナックルウエポンが澄空悠斗に好意を持っているとなると、話が途端にややこしくなる。


いくら何でも素直に譲ってあげる義理も理由もない。

しかし、仮に、取り合うとなると……。


「大きな問題がある」


言って月を見上げる。

今日の満月は、ひょっとしたら一年で一番綺麗なんじゃないのかと思う。


月を見上げる習慣がある訳でもないのに、なぜか毎年『一番綺麗な満月』を見ているような気がする。

そして、その度に思い出している。


あの月と同じように。

縋りたくなるほどに怪しい魅力を放っているのに。

実際、特に役に立ってくれたことのない。

こんな夜に相応しい名前を持つ女性のことを……。


「月夜……」


思わず声が漏れる。


そして。


その声に反応するかのように、彼女の携帯電話が音を発する。


「え?」

あまりのタイミングの良さに疑問符を浮かべながら携帯電話を取って、さらに首を傾げる。

「登録していない番号?」

がディスプレイに表示されている。


これは非常に珍しい。

そんなにたくさんの人に教えている番号でもなし。

だいたい、自分が知らない人間の中で、自分と話したいと思う物好きが居るとは基本的に思えない。


とはいえ、とりあえず電話は取ることにする。


「もしもし、剣です」

「もしもし、こちらも剣……。剣月夜です」

「!? 月夜っ?」

滅多に大きな声を出さない麗華が、完全に意表を突かれた声を上げる。


「うん。十年ぶりくらいかな。こんばんは麗華」

「こんばんは……。本当に月夜なの?」

「うん。私の名前を騙って得をする人間が居るとも思えない」

「でも、十年も連絡がなかったのに、何故突然?」

「近くには居た」

「私の近くに?」

「ううん。悠斗の近くに」

「!?」


剣麗華は沈着冷静……というより、感情の起伏が乏しい女性である。

これほどまでに連続して狼狽させられることは滅多になかった。


「悠斗君を知ってるの……?」

「知ってる」

「どうして?」

「言えないし、聞かない方がいい」

「でも知ってる?」

「うん知ってる」

「…………」

聞きながら考える。

物凄く気になる情報だが、剣月夜が『言わない』と言っている以上、聞くのは100パーセント無理だ。

そして、月夜が嘘を吐くとも思えない。

さらに問題なのは……。


「じゃあ、何の用なの?」

剣月夜は、用もないのに自分の娘に電話してきたりはしない。


「そろそろ、悠斗を好きになろうとしている頃じゃないかと思ったから」

「!?」

今日三度目の絶句。

だが、今までのものとは衝撃の度合いが違う。


「は……半年も経ってるから、そういう関係になってもおかしくないと思う時期なのは確か。でも、そんなに簡単な話じゃない……」

「止めた方がいい」

「え…………」

深い海を連想させるような冷たい声に、一瞬呼吸が止まる。


「悠斗を好きになるのは止めた方がいい。他に良さそうな子が居るならそちらに任せた方がいい。ナックルウエポンなら文句の付けようがないし、あの金髪の子も悪くないし、真理という選択肢もある」

「それは……確かに、私には未だ恋愛感情と呼べる感情がないけど……」

言った後で、胸が締め付けられたような気持ちになる。


【真理】という聞きなれない名前が突然出てきたことも気にならないほどに。


そう。

剣麗華が感情表現に乏しいのは、なにも施設での生活だけが原因ではない。

10年前、失敗した覚醒時衝動の後遺症で、大事な感情のいくつかが『そもそも認識できない』のだ。

……恋愛の話をしているのに、『好き』が分からないなど、笑い話にもならない。


だが。

「違う」

「え?」

月夜の声は、さらに深い。


「貴方は、悠斗にとても酷いことをしたの」

「え?」

「それは、誰にも許されないこと。……少なくとも私は許さないし、貴方も許さない」

嘘を疑うのが馬鹿馬鹿しいほどに、月夜の声は冷たく容赦がない。


『覚えてるけど、自覚してない』ことでは、おそらくない。

月夜は、麗華が『覚えてない』何かを糾弾している。


「……何を……したの?」

「言えない。……聞かない方がいい」

「でも……」

「知れば、貴方は自分を許さない。結ばれた後なら、なおさら」

「…………」

「でも、悠斗がちゃんと幸せになれたら、貴方も救われるはず。もちろん貴方以外の人と」

「…………」

分からない。

二重人格でも夢遊病でもないし、自分の覚えていないところで、そんな大層なことができるはずがない。

澄空悠斗が、自分相手にそんなことを隠し通せるとも思えないし。

そもそも、自分は彼と違って、記憶に空白など……。


「……」


空白など……。


「……」


いや。

ほんのわずかな期間だが。


「……」


もし。

そうだとしたら……。


「……」


しかし。

どんなことをしたと言うのだ?

できたと言うのだ?


「月夜……」

「私は嘘は言ってない。今さら貴方を糾弾しているわけでもない。忠告しているだけ。……貴方と悠斗のために」

「でも……」

「ん?」

母親の声を受話器の向こうに聞きながら、麗華は過去に思いを巡らす。


考えてみれば、月夜と口論などしたことがなかった。

まぁ、まともに会話した覚えもないから当たり前だが。


だから。


「万が一、それでも、好きになったら?」

これがおそらく初めての口答え。


「その時は」

対する月夜も淀みなく。


「もう一度。私と会うことになる」

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