最高のコーチ(ただしS)
「よくぞ私に相談してくれました」
犬神さん達に会った翌日の学校での、賢崎さんの輝くような笑顔を、俺はたぶん三か月くらいは忘れない。
恐縮しながら特訓指導を依頼する三村に、賢崎さんは(※不気味なくらい)快く頷いた。
「ほ……本当にいいのか? 賢崎さん、凄い忙しいそうなのに……」
「私は、少し無理目の野心を持ったBMPハンターが大好きなんです。澄空さんクラスのスーパールーキーになると壊しちゃいけないので、ストレスも溜まりますが」
……ちょっと待った方が良くないか。
今のセリフ、『三村なら壊れるくらい厳しい特訓でも構わない』的な意味にも聞こえたんだが。
「ありがとう。本当に助かるよ」
「いいんですよ。『ティーチング・デストロイヤー』と呼ばれる私に教えを乞いに来てくれる人を、蔑ろになんかしません」
「いや、ちょっと待って!」
頭を下げる三村を優しく見つめる賢崎さんに、俺は思わず待ったをかけた。
「なんですか、澄空さん?」
「そんな二つ名、聞いたことないんだけど……」
「そうですか? 結構有名だと思ってたんですけど……」
「…………」
やっぱり、ヤバすぎる。
賢崎さんは、基本、凄く真面目な人だ。あとSだ。
三村の目標が『犬神さんに勝ちたい』というのであれば、本当にその水準まで高めてくれかねない。
が、現実は漫画のように甘くはない。
三村が短期間で犬神さんクラスにまで急成長するには、相当の無理をしなければならない。
「いや、いいんだ、澄空」
と、三村が俺の肩に手を置いてくる。
「三村?」
「別に、楽しようなんて最初から思ってない。『犬神さんに勝つ』と言った時点で、もしもの時の覚悟は最初からできてる」
「…………」
誰や、このイケメン?
◇◆
その日の放課後。
覚悟を決めた三村は間違いなくイケメンだったが、そうは言っても心配なので、俺も特訓を見に行くことにした。
『なら私も行く』ということで麗華さんも付いて来た。
峰は特訓、エリカ・小野は用事。
「では、まずランニングから始めましょうか」
トレーニングウェアに着替えた賢崎さんが宣言する。
もちろん、眼鏡は外していない。
前の眼鏡は俺との戦闘中に捨ててしまったので、新眼鏡だが、これも良く似合ってる。
伊達眼鏡らしいけど。
「どこを走るの、ナックルウエポン?」
「ここから、スーパー・トミタケの前を走るコースですね。10キロくらいですか」
「い、いきなり、10キロですか……」
最後のセリフは俺。
鍛えてたら走れない距離じゃないが、きつくない訳でもない。
と。
「一周じゃないですよ?」
「へ?」
優しく笑う般若、としか表現しようのない顔で賢崎さんが微笑む。
「『10キロのコース』を『私がいいと言うまで』走ります。スピードは私基準。私に抜かれそうになったら蹴ります」
「怖いよ!!」
思わず突っ込む俺。
精神的に怖いうえに、この人の蹴りは物理的にも怖い。
しかし。
「分かった。もう初めていいのか?」
入念にストレッチをしていた三村は、驚いた顔すら見せずに言う。
「どうぞ。最初はゆっくり走ってください。徐々にプレッシャーを掛けます」
「了解。よろしくお願いします」
と、軽く会釈をして走り出す三村。
「…………」
やばい、格好いい……。
「じゃ、私達も追いかけましょうか?」
という賢崎さんに続いて、俺と麗華さんも走り出した。
◇◆
10分経過。
スーパー・トミタケの前あたりで俺はうずくまってしまった。
「どうしました、澄空さん?」
「どうしたの、悠斗君?」
「…………」
どうしたもこうしたも……。
「脇腹が凄い痛いです……」
若干涙目になりながら、泣き言を言う俺。
一言で言おう。
速過ぎる!!
ゆっくりだったのは最初だけで、途中からは、ほとんど俺の全力疾走のスピードと変わらない。
三村にはとっくの昔に置いて行かれるし……。
麗華さんはともかく、指導役の賢崎さんまで俺に付いているのは、申し訳ないとしか……。
「ひょっとして、体調が悪かったんですか?」
「い、いや……。単純に体力不足です……」
賢崎さんに白状する俺。
壊されるどころか、付いていくこともできないなんて、情けないにも程がある。
「全く運動をしていない人よりはましですが……。スポーツマンとさえ言えない体力ですね……。ソードウエポン、どういうことですか?」
「トレーニングはちゃんと一緒にしてる。悠斗君が無理をしない範囲で」
「無理させなさ過ぎではないんですか?」
「…………悠斗君がつらそうにしているの見たくない」
「へ?」
思わず声が零れる。
それって……。
「ソードウエポン。過負荷は禁物ですが、少し苦しいくらいじゃないとトレーニングになりませんよ? まして、私達は、常在戦場のBMPハンターなんですから」
「…………反省している」
「三村さんのルーキーズマッチが終わったら、私がトレーニングに付き合いましょうか?」
「それは駄目。悠斗君が死んでしまう」
……ちょっと待てい。
「……まぁいいです。私は、三村さんのトレーニングに戻りますので、お二人はここで休んでいてください」
と賢崎さんは言い残し、残響が残りそうな速度で三村を追って行ってしまった。
少し心配だが、今の俺には心配する資格さえなさそうである……。
「仕方ない。休憩するか……」
脇腹の痛みはあんまり治まっていない。
俺はおあつらえ向きに設置されていたベンチに腰を下ろした。
道路を挟んで反対側に『スーパー・トミタケ』が見えるベンチだ。
「ごめんな麗華さん。俺、ちょっと休憩していくから」
「…………」
「麗華さんは、先に三村達を……」
と言いかけて気づく。
麗華さん一人であの二人に付いて行ったところで、あんまり意味がない。
俺が回復するまで、ぼーっと待っているしかない訳で。
……申し訳ないにも程がある。
「えっと、麗華さ……」
「悠斗君」
「はい?」
「怒ってる?」
「は?」
唐突な麗華さんのセリフに一瞬固まる。
怒る? 俺が? 麗華さんに?
「その……毎日のトレーニングを勝手に軽めにしてて」
「あ、ああ、その話か」
さすがに、この状態で怒るほど、俺はプライドを無くしていない。
ただ……。
「もちろん怒るなんてことはないけど……。お願いがあるんだ」
「なに?」
「これからは、できたら、もう少し厳しくして欲しい」
「…………」
無表情のまま『うん分かった』と言ってもらえると思っていたのだが、麗華さんはなぜか難しい顔をした。
「麗華さん?」
「私は人にものを教えるのがうまくない」
「?」
「限界を把握して、その上で無理をさせるナックルウエポンとは違う。私に任せると、無理をさせ過ぎる可能性が高い」
「いやいや。俺、そんなに根性ないから大丈夫。つらくなったら、つらいって言うし」
と自慢でもなんでもないことを堂々と俺が言うと。
「ほんとに?」
「え?」
「ほんとに『つらい』って言ってくれるの?」
「え、え?」
なんの話だ?
「悠斗君は、ちゃんと、死ぬこと、怖いよね?」
「は、はい」
「だったら、私にも、つらい時には教えて。難しくても、ちゃんと一緒に考えるから」
「…………」
「ね?」
「ああ。分かった」
麗華さんがどういう理由でそう考えたのかは分からないけど。
言いたいことはなんとなく分かる。
「ほんとに?」
「ああ」
「約束できる?」
「できる」
「ならいい……かな。明日から、少しだけ厳しくする」
「よろしくお願いします」
と、頭を下げる俺。
ほんとは『少しだけ』では駄目なんだが、今さら焦っても……。
「悠斗君、どうかした?」
わずかに曇った俺の表情を察知したのか、麗華さんが声をかけてくる。
今日の麗華さんは敏感すぎる……というか、やっぱり何か変だ。
「いや、ちょっと喉が渇いてて」
「待ってて。買ってくる」
「え? ちょ?」
と俺が制止するのも聞かずに、麗華さんは『スーパー・トミタケ』に入って行ってしまった。
……ベンチの右後方1メートルくらいの地点に、飲料水自動販売機があるんだが……。