箱の外の世界
「やっぱり、難しい……」
港に面したBMP管理局第37支局。
その二つのタワーの間に設けられたロビーの真ん中あたりに縛りつけられたエリカ達を見ながら。
物陰から剣麗華がつぶやく。
レオはエリカ達より低い場所で、エリカ達に背を向けたまま、妙に豪華な椅子で眠っているように見える。
それはいいのだが。
両隣のタワーから、計4体のスカッド・アナザーがエリカ達を睨んでいる。
容赦しそうな雰囲気が全くないうえに、おそらく彼らはレオに感覚を提供している。
どう計算しても、自分一人では、エリカ達を救出する手段がない。
「悠斗君か、ナックルウエポンがいれば……」
二人とも連絡が取れない状態なのである。
しかし、あの二人が揃って不覚を取るなど、まず考えられない。
可能性としては……。
「迂闊だった……」
そうとしか言いようがない。
この展開は、十分に予測できたはずなのだ。
ナックルウエポンを知っている者は皆、口を揃えて『全く考えが読み取れない』と言うが。
そんなことはない。
彼女は常に『最善の選択肢』を取る。
あれほど行動原理が分かりやすい人間は他にいない。
だから。
やはり、この展開は十分に予測できた。
あっさり、澄空悠斗と彼女の同乗を認めたのは、やはり剣麗華自身が冷静でなかったからと言わざるを得ない。
「…………」
賢崎藍華は強い。
彼女がパンドラの箱に籠城する限り、麗華でも倒せるかどうか分からない。
最悪の場合は、一人でレオと取り巻き共に立ち向かうしかない。
その場合、自分の生死はともかく、エリカ達を守るのがどう考えても非常に難しい。
エリカに指摘されるまでもなく、全て自分の責任である。
「……けど」
また、エリカに怒られるかもしれないが。
剣麗華には、確信に近い予感があった。
彼女がどれだけ箱の中に執着しても。
「私と同じで……」
澄空悠斗を相手にして、いつまでも籠城を続けられる訳がない。
これだけは、『偏った信頼』でも『幻想の希望』でもない。
今、澄空悠斗と賢崎藍華が対峙しているのなら……。
「きっと、外に出たくなる」
☆☆☆☆☆☆☆
「……っ。……っ!」
賢崎さんの表情から余裕が消えていく。
今の賢崎さんはEOFが使えない。
これまでに蓄積したデータによる自律機動で闘っているだけなので、時間がたつほど反応が鈍くなっていく。
一方俺の方には、アイズオブエメラルドがある。
闘い続ければ続けるほど、賢崎さんの闘い方が分かっていく。
知らない方がいいようなことまで知ってしまっているような気もするが、そういうことは終わった後で悩むことにしよう。
今は、このまま賢崎さんを……!
「仕方ありません……!」
と。
賢崎さんの右足が俺の左足を踏みつける。
同時に、背筋を駆け抜ける戦慄。
EXアーツ……!
「はぁっ!!」
下半身を固定された状態で、賢崎さんの裂帛の気合が飛んでくる。
「ぐっ!」
緋色先生を信じるまま、上半身を思い切って逸らす。
居合抜きを彷彿とさせる、抜き手も見えない超高速の手刀。
薄皮一枚残して、俺の服が大きく引き裂かれるが。
「なんとか……」
かわせた。
「『魔人斬り』が……」
呆然と言っていい表情で呟く賢崎さん。
今のは、本気で決めに来たんだろう。
ただ。
元々の仕様なのか、俺のせいなのかは分からないが、アイズオブエメラルドがさらに一段深いところに差し込まれている。
『運命の恋人』どころか、もうほとんどテレパシーの領域だったりする。
よって、さっきのEXアーツも、技の発動タイミングや性質はおろか、実は技の名前まで事前に分かっていたのだ。
この状態なら、例の『見えない左ジャブ』以外ならなんとかかわせる!
「負けるかもしれないと思ったのは、生まれて初めてです……」
足を引き抜き距離を取る俺に賢崎さんが迫る。
次はEXアーツ『鉄槌』!
「よっ!」
「っ!?」
天空から落ちてくるような強烈な右のロングフックを、一歩下がってかわす。
同時に、触れてもいない地面からハンマーを振り下ろされたかのような衝撃音が響くが。
「負けたくないと思ったのも、生まれて初めてです……!」
もちろん、ビビッている暇すらない。
次はEXアーツ『陽炎』!
って、例の『見えない左ジャブ』だ!
「くそっ」
この技だけはかわせない。
喰らうのは仕方がないので、その次の技の対処に全力を……。
が。
「あれっ……」
「嘘っ……」
俺と賢崎さんが同時に驚きの声を上げる。
俺の右腕で外に捌かれている賢崎さんの左手。
分かっていても絶対に防げないはずの『陽炎』が……。
「防げた……?」
「こんな……ことが……」
苦し紛れに振った俺の腕の軌道に、賢崎さんが自分から打ち込んできたような……。
理屈は良くわからないが、とりあえずマンモスラッキーでいいんだろうか?
と。
「こんなに……」
ギリっと。
賢崎さんの美しい唇から、あまりにも似つかわしくない音がする。
同時に走り抜ける悪寒。
「……!」
これは、ヤバい!
「こんなに思い通りにいかないのは! 世界で貴方だけです!」
「!?」
大きく踏み込んでの両手を使っての掌底攻撃。
EXアーツ『撃砕』!
完璧にガードしたのに。
あろうことか、俺の体が比喩でなく浮き上がる!
「ぎ……っくしょう!」
冗談じゃない。
5メートルは吹っ飛ばされただろうか。
まさか、壁に向かって受け身を取る日が来るとは思わなかった。
《愛されてんなぁ……》
どこがだ!
「殺されそうじゃないか! って!」
言ってる場合じゃない!
壁に張り付いた俺に向かって追撃してくる賢崎さんから、何とか転がって逃れる。
……そして、顔を起こして絶句する。
「壁……」
に、直径20センチくらいの穴が空いていた。
その前には、美しいサイドキックの姿勢のまま、止まっている賢崎さん。
「EXアーツ『真槍』……」
呆然と呟く俺。
一瞬でも有利になったと思ったのは、大間違いだった。
瞳のアドバンテージは完全に逆転したのに、EXアーツ解禁のせいで、戦力差がむしろ開いた。
《しかも、危険度がさっきまでの比じゃねぇ》
確かに。
あの人、確か、俺を傷つけられないって設定だったよな?
「いや」
それより何より。
なんであんなに身体に負担のかかるEXアーツが連発できる?
俺のアイズオブエメラルドで見る限り、どう考えても無理なんだが。
俺の運用がまずいのか?
それとも、まさか、また賢崎さんのトラップに嵌っているのか?
「澄空さん」
「ん?」
壁の方を向いたまま、サイドキックに使用した右脚を下ろしながら問いかけてくる賢崎さん。
「澄空さん語録によると『本気で応えるつもりがない人には、きっと誰も本気の想いを向けたりしない』んですよね?」
「? まぁ、そうなんじゃないかな……?」
そんな語録の存在は知らないけど。
「それって、裏を返せば、『本気の想いを向けてくる人には、可能な限り本気で応える』ってことですよね?」
「? まぁ、そうだろうね……」
そうしようとは思うだろうな。
「だったら……」
と、賢崎さんはこちらを振り返り。
「BMPヴァンガードともあろう方が、私だけ仲間外れにしたりはしませんよね?」
そう、言った。
「…………!」
澄空さん語録、とやらには心当たりはないけれど。
さっきまで賢崎さんと同じEOFを使っていて分かったことがある。
EOFは『できることと』と『できないこと』を明確に区別する。
『できること』は最小限の労力で行うようになり。
『できないこと』はやらなくなる。
それがいいことなのか悪いことなのかは置いておいて。
「全力……は出さなくなりますね」
「だろうね」
答える。
全力は、できるかできないか分からないから出すものだ。
できないことが分かっているなら、出しようがない。
『真剣』ではあっても、『全力』にはならない。
「できるかできないか分からないからこそ、全力を出す。……箱の外、意外と簡単に出れちゃいましたね」
「…………」
そういうことなんだろう。
「ねぇ。澄空さん」
俺のアイズオブエメラルドの運用が悪かった訳でも、賢崎さんが自分の心にまでトラップを仕掛けたわけでもない。
「こんな行き遅れの初めての全力でも……。ちゃんと相手をしてくれますか?」
賢崎さんは単純に。
全力を出した自分を……自分の上限を知らない。
「そんなんありか……」
思わず呟く俺。
自分で自分の限界を知らないとか、ほとんど漫画やアニメのキャラじゃないか。
アイズオブエメラルドの精度にも影響する。
賢崎さん自身ができるかできないか分かってないなら、読みようがない!
「これは……」
いったい、どうすれば……。
……。
…………。
と。
《いいか悠斗》
なんじゃい、アニキ(※誰か知らんけど)。
《あいつは基本、構ってちゃんだ》
誰が、あんなの構えるんだ?
《誰も構えねえよ》
え?
《誰も構えねえから負け方が分からねぇ。負け方が分からねえから勝ち方が分からねぇ。勝ち方が分からねぇから生き方が分からねぇ》
…………。
《俺と同じだな》
……そうなのか?
《あいつの問題だ。別に、おまえがまともに相手をすることはねぇよ。特に今は、そんな場合でもないだろ》
「とは言っても……」
と、言いながら気が付く。
体育館の扉が完全に無防備だ。
さっきまで、常に俺と扉の間の直線上に身体を挟むようにして闘ってたのに。
《なんだかんだ言って『全力』初心者だ。今のあいつは、ま、隙だらけだな》
……あるいは。
今さら俺が逃げるなんて、思ってもいないのか。
《保証してもいいぞ。あの扉を出てしまえば、絶対にあいつは追って来ねぇ。空気的にな》
確かに、今なら抜けられる。
その先が絶望だとしても、とりあえず前には進める。
けど。
「澄空さん……?」
呼びかけてくる賢崎さんは……。
確かにクール系には程遠い。
見つめられただけで凍りつきそうな視線も、本当の賢崎さんを知った後には意味を変える。
あの眼は。
完全無欠の女帝が見下すための視線ではなく。
初めて外の世界に出た女の子が、単純に遊び相手を探している眼だ……!
「く……」
ごめん、エリカ、峰……。
それから、ついでに三村。
ちょっとだけ遅れる。
「澄空さ……」
「上流階級ではどうか知らないけど」
「え?」
そう。
「俺の近所じゃ、真剣勝負は全部全力だよ」
「す……」
「俺もそうする」
「澄空さん……」
賢崎さんの初めてなら、遠慮なくいただこう。
「賢崎さんが相手だからって、手加減はしない」
「は…………はい!!」
《ヒーローはつらいな……》
別にヒーローじゃない。
「……けど」
これだけの激戦を繰り広げているというのに。
まるで、初めておもちゃを与えられた子供のように、元気いっぱいに嬉しそうな顔をしている賢崎さんを見ていると。
……その彼女が、一撃必殺の拳を持っているという事実と合わせて考えると。
「……まぁ」
つらいのは間違いない。