パンドラの箱の中で
「エリカ、大丈夫か?」
「ハ……ハイ。大丈夫デス」
「峰は?」
「ああ、大丈夫だ。三村は?」
「まぁ……大丈夫だ。一応」
三村、エリカ、峰がお互いの無事を確認しあう。
3人とも、山の上の遊園地から逃げる途中に幻影獣に襲撃され、ここまで連れてこられたのだが……。
「本当に大丈夫か、エリカ? 鎖きつくないか?」
「私ハ本当に大丈夫デス。三村さん達コソ……」
「まぁ、確かにな……」
峰が諦めたように呟く。
3人が連れてこられたのは、悠斗の思い入れのある場所らしい、港に面したBMP管理局第37支局。
一部の建物は根こそぎ消滅させられているが、メインとなる『タワー』はほぼ無傷であり。
二つのタワーの間に設けられたロビーの真ん中あたりに、3人は鎖で縛りつけられていた。
ただ。
エリカは、磔にされた聖人よろしくオーソドックスな十字に縛られているのだが。
三村と峰は、なんというか、とても適当に縛られていた。
「頭に血が上ったりはしてないか?」
丸焼きにされる豚のような格好で吊るされている三村に、峰が声をかける。
「一応水平だからなー。……にしても、情けない。どうせなら、俺らもまともに縛ってくれよ……」
二重の意味で情けない声を漏らす三村。
それはともかく……。
「あれが、【絶望の幻影獣】か……」
峰が呟く。
こちらに背を向けたまま、妙に豪華な椅子に腰を下ろしている金髪の青年。
外見は大学生にしか見えないが、じっとしていても世界が歪んで見える程の違和感は、見間違えようもない。
「というか、あいつ、寝てるんじゃないのか?」
三村が言う。
「ひょっとシテ……。コノ鎖さえ何とかできレバ、逃げられマス?」
磔にされたエリカも続くが。
「駄目だ。両隣のタワーから、スカッド・アナザーが睨んでいる。しかも、容赦してくれそうな雰囲気がない」
多少なりとも狙撃手の心得がある峰が、即座に否定する。
「情けないが、おとなしく澄空達の助けを待つしかないな……」
「デスね……。麗華さんモ無事デスし、賢崎さんも居ますシ。キット大丈夫デスよね?」
本当に情けなさそうにする峰に、ヒロインそのものの表情でエリカが返す。
が。
「助けに来てくれるかな……」
三村が、ぽつりとこぼす。
「? 来てくれないとでも言うのか?」
「ソレデモ恨んだりはしまセンけど……。デモどうしてそう思うんデスか?」
峰とエリカが不思議そうに問い返す。
「いや、俺な。エリカ達が目を覚ますまでやることなかったんで、お気に入りのギャルゲーのシナリオを思い返してたんだ」
と、いきなり異次元の話題を振る三村。
「ギャルゲーデスカ?」
「別にどんなゲームをやろうと構わんが、今思い出す必要のあるシナリオなのか、それは?」
二人には偏見はないが、さすがにTPOというものはある。
峰の疑問も当然だと言えよう。
「俺もどうかとは思ったんだけど。やっぱ、普段から本を読んでないと駄目だな……。って、それはいいんだよ! そのシナリオで、気になることがあったんだって!」
丸焼き豚体勢ながらも、力説する三村。
「何デスか?」
「いや、パンドラの箱ってあるだろ?」
「? ああ。それは知っているが……?」
「あれって、『あらゆる災厄が箱から解き放たれたけど、最後に箱の中に希望が残った』ってことになってるだろ?」
「? 違うんデスか?」
「それが、『箱の中に最後に残ったのは、【これから起こることが分かってしまう災厄】である』という解釈もあるらしいんだよ」
「これから起こることが分かってしまう災厄……?」
「ああ。『これから起こることが分かってしまうと、人間は絶望して生きていけなくなる。あらゆる災厄は解き放たれたけど、これから起こることが分かってしまう災厄だけは閉じ込めたから、人は希望を持つことだけはできる』って解釈だ」
その説明をするのに、どうしてギャルゲーのシナリオを持ち出す必要があったのかは謎だが、とりあえず三村は大真面目に言った。
「ナルホド……。夢はないデスけど、理屈は分かりマス」
「筋は通っているが……。なんというか、世知辛い解釈のようにも感じるな……」
エリカと峰がそれぞれ感想を言う。
と。
「でも、賢崎さんって、そういう世界に生きてきたんだろ?」
「「!?」」
エリカと峰が、縛られた体を跳ねさせるほどに驚く。
「ミ、三村さん……」
「それは……」
「別に賢崎さんを悪く言うつもりはないんだ」
情けない格好で縛られたまま。
「でも……」
それでも昨日できたばかりの仲間に思いを馳せる三村。
「パンドラの箱の中で生きることを強いられた女の子は……。どんなことを考えるんだろうな……」
☆☆☆☆☆☆☆
賢崎さんの拳が俺の肩を捉える。
痛みを堪えながら、賢崎さんの攻撃の勢いを利用して、バックステップ。
BMP能力ではない、ただのバックステップ。
だが……。
「4メートル……」
いや、5メートルは開いた!
麗華さんの方は無理でも、春香さんの方のなら使える!
「っ! やりますね……」
「やりますよ!」
テンション高く返しながら。
EOFを切って、代わりに右腕に炎を纏う俺。
《待て、悠斗!》
待てるかい!
千載一遇のチャンスなんだ!
「劣化複写:右手から超爆裂!」
大怪我させないように細心の注意で。
俺は、紅蓮の炎を放つ。
麗華さんのレーヴァテインには及ばないが、強烈な炎が体育館を焦がし、賢崎さんを包み込む。
……包み込む。
……包み……。
包み込まない!?
渦を巻く炎が収束しない!
炎が、賢崎さんが居るところだけを避けるように……!
「な……!」
驚愕の声を挙げる俺を尻目に、炎は徐々に薄れていき。
最後、賢崎さんが右腕を振ると同時に。
炎はまるで賢崎さんが纏うドレスであるかのように、彼女をあやどり消えていく。
「5パーセントって……。言いませんでしたか?」
「え?」
賢崎さんの唐突なセリフに、思わず疑問符を返すが。
もちろん覚えている。
俺が賢崎さんに勝てる確率のことだ。
「敢えて言わなくても御承知だと思いますが、10パーセント未満の確率で必ず成功するのは物語の中だけですよ?」
「そ……」
そんなことは知ってるけど!
「なんで、自律機動で炎が防げるんだよ! どんな、とんでも物理だ!」
説明できるものなら、してみて欲しいぞ!
「他のBMP能力がない、なんて言ってません。……まぁ、あるとも言いませんでしたけど」
賢崎さんは、しれっと言い放ち。
俺に右の掌を見せつけながら、いつの間にか外していたオープンフィンガーグローブを装着する。
そういや、あのグローブ、脱衣所でも付けたままだったけど……。
何かあるのか?
「ハイブースト・アクセプト、とでも呼んでください」
「…………?」
ハイブースト・アクセプト?
なんだ、そりゃ?
《……強制同調だ》
? 強制同調?
《右の掌が、感応部位だ。手で触れられる攻撃はやめておけ。概念能力でもない限り、あの掌には逆らえねぇ……》
「な……」
なんだ、そりゃ!
じゃあ、レーヴァテインでも通じないってことか……!
でも、確か、賢崎さんは……。
……。
…………。
「……そうか……」
思い出した。
体育祭の時、確かに『範囲攻撃が使われるようなシチュエーションにならないから大丈夫』という言い方をしてはいたが……。
『使われるとまずい』なんて、一言も言ってない!
「いや……」
それどころか。
確かに、彼女は接近戦最強だが……。
遠距離なら勝てる、なんて誰も言ってないぞ……!?
「い……劣化複写:砲撃城塞!」
《バ……!》
と、俺が思わず放ってしまった遠距離攻撃の弾幕の中を。
「あらあら」
まるで踊るように軽やかに賢崎さんが近づいて来る。
撃った本人にすらどこに行くか分からないランダム射撃でさえ。
賢崎さんの前では、静止した障害物と変わらない!
「がはっ!」
術後硬直している俺の腹に、賢崎さんの左のボディブローがめり込む。
「駄目ですよ、私に飛び道具は」
脇腹から脳天まで突き抜ける衝撃を残し、賢崎さんが舞う。
「!」
両腕に強烈な衝撃。
上半身を跳ね飛ばされそうな賢崎さんの右の回し蹴りを、何とか受けきる。
が。
「が……!」
脇腹に再度の衝撃。
一発目と寸分変わらない場所を……!
「いじめられたいのなら、別ですけどね」
長身をかがめ、睨め上げるような視線で言う賢崎さん。
この距離はまずい!
「劣化複写:俊足!」
距離を取らないと!!
「待ってください」
「!」
あろうことか。
KTI前田先輩の俊足を発動した俺の右手を、賢崎さんの右手が掴む。
まるで青春映画のワンシーンのような格好で、賢崎さんの右手一つで俊足の慣性が完全に殺される!
「あ……」
唐突に力場が消失し、賢崎さんの元に引き戻される俺。
「おかえりなさい」
甘くすら聞こえる賢崎さんの囁きとともに。
「が……はっ!」
同じ場所に三度のボディブロー。
「ひょっとして、これ。結構痛いですか?」
「ぐ……」
あまりの痛みに飛びそうになる意識を押さえつける。
距離を……!
「劣化複写:捕食行動!」
四聖獣ガルア・テトラの大口を召喚する。
危険は大きいが、このくらいでないと、この人相手じゃ牽制にすらならない!
「ふむ……」
と、あまり緊迫感の感じられない声で呟く賢崎さんから、転がって距離を取る俺。
「た……」
助かった。
あとは、賢崎さんが喰われないうちに捕食行動を……。
「邪魔ですよ?」
と言う賢崎さんに。
「え?」
俺は目を疑う。
賢崎さんの裏拳……いや、裏拳とさえ言えないハエを払うかのような動作で。
捕食行動は、体育館の壁に激しく打ちつけられ、あっという間に四散した。
「な……」
《干渉攻撃倍率か……》
マジで!?
元が幻影獣のBMP能力だからか、幻影獣っぽいBMP能力だからかは分からないが、捕食行動は、干渉攻撃倍率の適用を受ける……?
「…………」
干渉攻撃倍率は、ウエポンクラスの固有スキル。
対幻影獣に関してだけ数倍の威力で攻撃できる能力。
つまりは、さっきのが、賢崎さんの……ナックルウエポンの本当の攻撃力!
「やばい……」
強えぇ。
分かっちゃいたけど、想像していた最悪の強さより、二回りは強い。
……どうしようもない。
「くっそ……」
せめて、俺のEOFがもう少しまともに使えれば……。
複写精度が悪すぎるんだ。
「俺の頭が悪いからか……」
もう少し勉強しておけば良かった……。
と。
「違いますよ、澄空さん」
「違う?」
「EOFに必要なのは、頭脳の明晰さではなく、従順さです」
賢崎さんが妙なことを言う。
「EOFはその運用が『勘』に似ていますが、本来『勘』とは経験と思考に裏付けされた高度な演算処理です」
「?」
「EOFがただ提示するだけの未来を鵜呑みにできるのはバカだからです」
「バカって……」
「澄空さんは鵜呑みにはしていません。だから、自律機動での反応がコンマ一秒遅れる……。澄空さんがEOFをうまく使えないのは、澄空さんが賢いからです」
「…………つまり、EOFを使いこなすには、EOFを信じて身を任せる度胸が必要になるってことか……?」
確かにそれは難しい。
つい最近複写したばかりの能力をそこまで信用するのは至難の業かもしれない。
「澄空さん、ちゃんと聞いてました?」
「……っ」
賢崎さんにしては珍しい、苛立ちすら感じられる強い口調に、俺は驚く。
「EOFに必要なのは、度胸でも信念でもありません。従順であることです。従順でバカであることです。……私のように」
「そんなことは……」
「『可能性が見えない』というだけの理由で、仲間を見捨てるような女ですよ、私は」
「!?」
それは……。
「澄空さん」
「なんだ……?」
「クール系はお嫌いでしたね?」
「別に嫌いじゃないよ」
クールで美人な人を見ると、何故だか気負って、緊張するだけだ。
「私のこと、少し気になってきたんじゃないですか?」
「いやいや……」
最初から、凄く気になる人ではあったよ?
麗華さんと同じくらい美人だし。
麗華さんと同じくらいお嬢様だし。
麗華さんと同じくらい強いし。
……麗華さんと同じくらい大変な女の子だって。
「私はきっとバカで従順ですよ?」
「とてもそうは見えないんだけど」
「ベッドの上では、子猫みたいになると思いますよ?」
「その情報を俺にどうしろと?」
「もちろん」
と。
「結婚しましょう。澄空さん」
……。
…………。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「……ふぇ?」
ケッコン?
血痕?
いやいやいやいや!
「な、なななななな、何言ってんの!?」
「冷静に考えれば、これが一番手っ取り早いんです」
「て、ててててて……」
手っ取り早いって何!?
「澄空さんと私の子供なら文句なしに最高ランクのBMP能力者になるでしょうし、財産や権力用の婿養子を迎えるより賢崎全体にとってもプラスです。私がその気になれば、本家に茶々を入れられることもありませんし。嫁リストで頭を悩ませる必要もなくなりますね」
「よ……嫁リスト……?」
どこを突っ込めばいいのか分からないので、とりあえず最後のセリフに突っ込んでみる。
「時子さんでも紬さんでも雪風でも。……まぁ、春香でも。選り取り見取りですよ?」
「いやいやいやいや!」
雪風君と春香さんの順番がおかしいような気もしたが、そういう次元の問題ではなく!
「私は便利な女ですよ」
「べ……便利?」
「容姿も才能もBMP能力も財産も。たいていの男性なら満足できるレベルで揃えていますし。……なにより、嫉妬のような面倒な感情とも無縁です」
「嫉妬もできない男と結婚するのか?」
「誰に対してもしませんよ、嫉妬なんて」
「?」
疑問符を浮かべる俺。
「高BMP能力者は心を病みます」
「え?」
「澄空さんが特別なんです。……私には、まともに人を好きになるような感情はもうないです」
「…………それは」
「貴方がいくら魅力的な男性でも愛されたいとは思わないし、貴方がいくら憎くても抱かれるくらいは抵抗ありません」
「…………」
「貴方が世界さえ救ってくれるのであれば、後は何でも構いません」
「…………」
世界……か。
『……私達、少し似てますね』
昨日の夜、俺の実家のダイニングで賢崎さんに言われた言葉が頭をよぎる。
「本当に……」
俺たち、似てるんだろうか?