迷宮の牢獄3
◇◆~3号車:運転手・武田一高~
「失敗したなぁ……」
2号車とは違う場所。
下が崖のガードレールに背中を預けたまま、小野倉太は呟く。
目の前には、横転した3号車。
そして小野の足元には、気絶したまま仰向けで寝転ぶ、三村宗一と峰達哉。
「伊達に潜入捜査と銘打って学園生活を楽しんでたわけじゃないからね。達哉と宗一君に関しては、どのくらいの衝撃で傷つけずに意識を奪えるか把握済みだよ」
足元の二人を見た後、横転した車の方向に向かって話しかける。
「一高さんは予想外だったけど、殺しても死にそうにない人だからね。そんなに難しくなかった」
小野の視線の先、三村達からやや離れた位置で、武田一高もうつ伏せで気絶していた。
「でもやっぱり、女の子は難しいね。力加減が分からない」
車の方向に向かって、声を投げかける。
その車にもたれかかるようにして立ち上がるのは……。
「澄空様を騙していたのか……! 幻影獣!」
さきほどまでの天真爛漫さは完全に鳴りを潜め。
燃えるような瞳で小野を睨みつける、武田紬。
「騙してはいないよ。彼は僕のことを知っているはずだ」
「?」
「敵という訳でもない。どちらかと言うと味方に近いかな。片思いの恋人ってのが一番近いけどね」
「訳の分からないことを……!」
まるで、本当に片思いの恋人のことを語るような口調の小野に、紬は闘志を叩きつける。
「私の舞で!」
横転した車を足蹴にし。
「天国に召されろ!」
超重量の力場をまとった紬が、小野めがけて飛翔する!
例えるなら、それは軽やかな重装歩兵。
優雅なままで敵を押し潰す、破壊の舞。
が。
「天国には行かないよ。幻は消え去るまでさ」
と。
小野が指をパチンと鳴らす。
瞬間。
「がはっ!」
宙を舞う舞姫が、大地に叩きつけられる。
「あ……か……かはっ」
まるで磨り潰されるかのように。
道路にへばりついた紬の全身が、ミシミシと嫌な音を立てる。
「重力制御……でいいのかな。そういうBMP能力だよ」
「…………あ……あぁ!」
「ついでに引力斥力も操れる。あ、引斥自在という名前はもちろん適当だよ。幻影獣だからして、ウエポン特性もない。ミーシャが適当にでっち上げたんだ。ま、実効BMPが161というのは本当だけど」
警戒の欠片もない歩調で、小野が地面に倒れ伏す紬に近づいていく。
BMP能力値には二種類ある。
BMPと実効BMP。
人間の場合はよほどのことがなければ両者に差異はないが、幻影獣の場合は、物質化にBMP能力値200を使用しているとされる。
つまり、小野倉太の本来のBMPは361だが、実際に物質化した状態で戦闘するとなると、BMP161並みの力しか発揮できない。
「161……で……、どうして……こんなに……!」
BMP157で、パワークラス『防衛者』であるはずの武田紬が、疑問を絞り出す。
「BMP値は上限だからね。人間よりは僕らの方が力を引き出す術には長けているよ。物質化するより、よっぽど楽だ」
紬の前で、しゃがみ、視線を合わせる小野。
「BMP値自体を上げるには、まず今のBMP値での全力を引き出す必要がある。ガルアが手伝ったとはいえ、BMP187を使いきった悠斗君は本当に凄いよ。彼なら本当に境界に到達する資質がある。……ま、僕が一番初めに気が付いたんだけどね」
小野は笑っている。
人型とはいえ幻影獣に感情があるのかどうか分からないが。
それでも人間に当てはめて考えるなら。
その表情は……。
たしかに、恋人のそれに近い。
「境……界……?」
「だから君を殺す」
「……!!」
気になる単語に反応した紬に、容赦のない小野の言葉が被さる。
「僕はゲームが今日終わるとは思っていない。僕の正体を知られる訳にはいかない。悠斗君にとってのラスボスは、僕しかいないからね」
「おまえなんかが……澄空様に勝てるか……!」
「レオより僕の方が、悠斗君のことを想ってる」
と、小野が紬の頭に右手を当てる。
「君には悪いことをしたと思ってる。本来、余計な犠牲者を出さないための潜入だったからね。君に僕の正体を知られたのは、完全に僕のミスだ」
「……ぐ……」
「僕は不器用だから、君に選んで欲しい。一瞬で頭を潰されるのがいいか。かなり苦しくはなるけど、なるべく身体に損傷のない方がいいか。女の子だから、頭がない遺体はやっぱり良くないかな」
「…………!!」
脅す意図の一切ない口調に、さすがの紬も絶句する。
目の前の幻影獣は、本気で心配している。
今からできあがる紬の死体の形について。
十数年の紬の人生や想いよりも。
今からできあがる物体の形を気にしている。
命乞いがどうとかいうレベルではない。
もう、紬の死は決定事項なのだ。
その後には、確かに死体しか残らない。
……けれど。
「好きに……したらいい」
「え?」
死を前にしているのに、あまりにも静かな紬の声に、小野が少し驚く。
「この道を……選んだ時から、幻影獣の慰み者になる覚悟くらい……できている。今さら、苦痛なんか……恐れない」
「じゃあ、それこそ死体は綺麗な方がいいだろう?」
首をかしげる幻影獣。
人のことを想う獣の、純粋な疑問。
「それこそ……無用だ」
「え?」
「後に残るのは……死体じゃない。私の意思だ。母様にもらった……大事な私の意思。きっと……澄空様が汲んでくれる」
「……」
「……もう一度……言って……やる。おまえなんか澄空様に……勝てない。【絶望の幻影獣】だって……同じ。今は無理でも……。澄空様はきっと……勝つまで……強くなる」
重力による圧迫は続いている。
息をするのも苦しくなっているはずなのに、それでも紬の言葉は止まらない。
「第5次首都防衛戦の記録……見たから……。強いだけじゃなくて……。本当に……強いと思ったから。どうにもならない運命だって……きっとどうにかしてくれると思った……から」
「……」
「私にも……ちょっとだけ、強さ……分けて欲しかったなぁ」
意識が飛びかけている。
瞳には少しの涙。
獣は涙を流さないにしても……。
「僕も全くの同意見だよ、武田紬」
小野が告げる。
「僕もそれを望んでる」
朦朧とする意識の中、紬は小野の顔を目に焼き付ける。
錯覚かもしれないけど。
小野の眼には、『物体』ではなく、『武田紬』が映っているように見えた。
「じゃあ、さよな……ひでぶ!」
「え?」
場の空気をぶち壊しにするような、情けない小野の声と、間抜けな衝撃音。
「……?」
身動きが取れるほどではないが、紬の身体にかかる圧力が軽くなる。
「ミ……ミーシャ?」
「何やってんのよ、あんたは?」
小野倉太の頭をサッカーボールキックで蹴り飛ばしたのは、妙齢の美女。
黒いイブニングドレスの上に白衣という奇妙な服装を苦もなく着こなしている。
「このレベルのBMPハンターを殺すことが、どれだけバランスを崩すかくらい分かるでしょうに」
「僕のミスだということは承知してるよ。けど、ゲームは辞めない。彼女を殺すしかないだろ」
「別のゲームをすればいいじゃない」
「悠斗君の出ないゲームになんか興味ないよ」
二人は顔見知りらしく、言い合いをしている。
(というか……、あれ、澄空様の学園の養護教諭じゃ……?)
紬に心当たりがあった。
資料でしか見たことがないが、確かに、あれは新月学園の養護教諭、ミーシャ・ラインアウトのはず。
(管理局は一体なにしてるの……!)
新月学園にAランク幻影獣が2体。
澄空悠斗は、常に死と隣り合わせで学園生活を送っていることになる。
「オーケイ。分かった。要するにあれだ。ソータに関する記憶を消せばいいんでしょ、この子の」
「? ……そんなことができるの?」
「あんたが『悠斗君悠斗君』言っている間に、私も色々頑張ってるのよ」
そう言って、白と黒を纏う女が紬の目の前に立つ。
これだけの美貌に加えて、ここまで奇妙な出で立ちなのに。
なぜかとても地味な女に見えた。
安らぎを感じるほどに。
「ソータ。も少し口開けさせて」
「ん……。このくらい?」
ミーシャの声に答えて、小野が指を蠢かせる。
すると、紬の顎に力が加わる。
「……あ……か……?」
上顎は天に、下顎は地に。
まるで歯科検診をするかのように、紬の口は大きく開かされた。
「……は……はにほ……?」
「ごめんなさいね。記憶をいじるとなると、指先一つで、という訳にはいかないの。アイズオブブラックならともかくね」
ミーシャの顔が近づいてくる。
「ファーストキスだったら、ごめんなさいね」
言葉と共に。
武田紬の口は、ミーシャ・ラインアウトに塞がれる。
「ん……ん……んー……!」
小野倉太の力場は有効で、紬は身動きできない。
閉じられない口の中を、ミーシャの舌が好き勝手に蹂躙する。
それはまさに蹂躙。
口内ではなく、まるで脳みそを直接舐め上げられているかのような感覚。
「ん……んー!」
わずかな部分ではあるが。
唯一無二の記憶の一部が迷宮に囚われ。
永久に閉じられる。
「ん……あ……」
ミーシャの口が離れると同時に、紬は気を失った。
「若い女の子の唇はいいですわねぇ。精気が補充されましたわ」
妖艶な仕草で、ミーシャが自分の唇を舐める。
「そのキャラ辞めなって言ったよね」
「こういうの、ノリが大事だと思いませんこと?」
「程度によるよ」
と、小野はうつ伏せで気を失った紬の方を見る。
「助かったよ、ほんと。この子はできれば殺したくなかった」
「ふむ。気に入ったのなら、その辺の草むらにでもしけ込んでくれば? その子、2・3時間は目を覚まさないわよ?」
「幻影獣に性欲なんかないだろ。……相手が悠斗君ならともかく」
「……そんなに悠斗君好きなら、今からでも女性型で物質化したら?」
割と本気な小野に、かなり本気に返すミーシャ。
「いや、もう遅いよ。この僕じゃないと意味がないんだよ」
遠い目をして、小野が答える。
ミーシャも、それ以上は何も言わない。
「ま、何はともあれ、僕らの仕事はこれで終わり。後は観客として第2幕を見に行こうか?」
「あ、それなんだけどね」
と、年齢不詳の美女は年齢不詳のいたずらっぽい笑みを浮かべる。
「スタッフの特権というのかしらね」
獣は笑みをこぼさないのかもしれないが……。
「まず、1.5幕。見に行きましょう」
彼女は確かに楽しそうだった。