迷宮の牢獄
◇◆~1号車:運転手・式雪風~
「雪風、次を右です。それからはしばらく適当に流してくれて大丈夫です」
山の上の遊園地から降りる道の途中。
賢崎さんが指示を出す。
ただ、指示とは言っても、目的地がある訳でなく、ただただ24時間逃げるだけの逃避行の最中。
なぜ、『右』に曲がらなければならないのか?
と。
轟音が響く。
「……っ!!」
慌てて悲鳴をかみ殺す俺。
海岸線から来るスカッドの直線攻撃が、山肌を大きく抉っている。
さっき『左』に曲がっていたら……!
「ホントに撃ってきましたねぇ、お嬢様? 相手さん、悠斗様が死んじゃったらどうする気なんでしょう?」
「ほぼ間違いのない推測ですが、敵は澄空さんを積極的に殺すつもりはないかもしれませんが、死んでも構わないとは思っているはずです」
そのとばっちりで死にかけたとは思えない春香さんと賢崎さんの会話。
「狙いも適当です。恐らく、本当に『適当に撃て』と指示されているんでしょう。あの、大型幻影獣は。私が居れば全く問題ないので、安心してください。澄空さん」
「ど、ども……です」
賢崎さんが頼りになりすぎて、逆に不安になるレベルである。
いや、賢崎さんだけじゃない。
「大丈夫ですって、悠斗様♪ お嬢様がいれば、まぐれあたりなんてないですからw」
と、助手席で、むしろ楽しそうですらある春香さんや。
「…………(コクコク)」
と、バックミラー越しに無言で『大丈夫ですから、安心してください』と語りかけてくれている雪風君も。
取り乱した様子が一切ない。
分かってはいたけど、根本的に俺とは経験値が違う。
賢崎さんのことを信頼していない訳じゃない。
けど、万が一にでも、あの攻撃に当たったらと思うと……。
と。
「澄空さん」
賢崎さんの手が俺の手に重ねられる。
「…………」
こうやって固定されると嫌でも自覚する。
俺の手が震えている。
「……」
「…………」
……情けない。
BMP管理局籠城戦前夜と何も変わっていない。
いや、その前からずっと。
たとえ『BMP187』だろうと、俺は別に正義のヒーローでも歴戦の勇者でもない。
「……ごめん、賢崎さん」
「何がですか?」
「遊園地で……変に格好つけて。賢崎さんが間違っているみたいな言い方してしまって……」
あの時は本当にそう思ったけど。
オープンフィンガーグローブに包まれた賢崎さんの右手に包まれたまま震える自分の右手を見れば、やっぱり嘘のようにしか思えない。
「ソードウエポンに格好悪いところは見せたくないですか?」
「…………」
微かに頷く。
もう充分見せてるけど。
できたら、これ以上見せたくない。
と。
「け……賢崎さん?」
賢崎さんが、ふわりと俺を抱きしめる。
「あ……」
そして、強く胸を押しつけてくる。
形のいい胸の感触とともに、心臓の鼓動が伝わってくる。
早鐘を打つような俺の心臓の鼓動とは違い。
静かで、規則正しく、しかし力強い音。
……すげぇ。
「賢崎さんは……凄いな」
「こんなものは、ただの技術と慣れですよ」
と、耳元で囁く賢崎さん。
「私だけでなく、澄空さんの仲間はみんな分かってます。誰も澄空さんを責めたりしませんよ」
「……そんなことは疑ってないよ」
けど。
それでも見せたくないんだ。
「……私はいいんですよ」
「え?」
「私は、医者のようなものです。患者の病気を笑う医者はいないでしょう?」
「……」
「そして、医者に病気を見せるのを恥ずかしがる患者さんもいません」
「……賢崎さんは、本当に凄いな」
もう感心するしかない。
「惚れそうですか?」
「ちょっとだけ」
と、俺が言うと。
賢崎さんは、微かに笑いながら身体を放す。
「少しは、元気が出ました?」
「……たぶん」
手の震えが止まっている。
「と言う訳なので、脱がなくていいですよ、春香」
「何故ですか、お嬢様! 今なら、確実に犯れるのに!!」
「24時間生き延びれば、思う存分犯ってくれると思うので、今はこれ以上話をややこしくしないでください」
肩を半分以上露出させた状態の春香さんに、クールに告げる賢崎さん。
思う存分犯りはしないが、幻影獣より春香さんの方が怖いことだけは分かった。
「大丈夫そうですね。基本的に、澄空さんは勇気のある人ですよ」
言われて自覚する。
俺、もう笑ってた。
運転席でコクコクする雪風君の姿が妙に印象に残る。
……若干恥ずかしい。
「まぁ、先は長いですし。とりあえず、一息入れましょう」
と、いきなり賢崎さんが足元から小型のクーラーボックスを取り出す。
中からは、色とりどりの6個のタンブラー。
「お好きなモノをどうぞ。毒が入っているかもしれませんが」
「なんでやねん」
真顔でジョークを言う賢崎さんに突っ込みを入れてから、青いタンブラーを手に取る。
いくらお医者様とはいえ、同い年の女子高生にこれ以上気を使わせるのはいくらなんでも情けない。
なんとか頑張ろう。
と、心に決め。
俺は、タンブラーの中身を口にした。
◇◆
◇◆~2号車:運転手・上杉幻夜~
2号車の空気は沈んでいた。
確かに、逃避行の最中で、しかもメンバー的にあまり騒がしいタイプも居ないが。
そういうことではなく。
ずっと押し黙ったままの、一人の少女のせいである。
「その……エリカ?」
「ハイ……」
剣麗華が、元凶の少女・エリカに声をかける。
「ナックルウエポンも付いているし、悠斗君なら大丈夫だと思う」
さすがに会ったばかりの上杉親子にこの役を任せる訳にはいかない。
慣れないながらも、なんとか励まそうとする麗華。
「根拠ハ……なんデスか?」
少し険のあるエリカの言葉。
耐性のない声色に、麗華は少し混乱する。
「その……悠斗君は強いし。直接、【絶望の幻影獣】と闘ったりしなければ、大丈夫だと思う」
「悠斗さんハ……強いデスか?」
「強いよ……? スカッドもクラブも、Aランク幻影獣のガルア・テトラだって、悠斗君が倒したから」
何を言われているのか分からない、という感じの麗華。
「悠斗さんノ、カラドボルグの訓練。今、何分デできるんデスか?」
「え……」
予想外のセリフに面喰う麗華。
ちなみに『カラドボルグの訓練』とは、四聖獣ガルア・テトラと闘う前、ロイヤルエッジを対象物に見立てて行った、カラドボルグの制御訓練である。
あの後も、麗華は専門の施設に悠斗を連れて行き、同じような訓練をさせていた。
「調子のいい時は、7分くらいでできるようになった」
「麗華さんハ、どれくらいデできマス?」
「……10秒もあれば……」
ようやく、エリカの言いたいことが分かり、困ったような顔をする麗華。
「で、でも……。悠斗君はまだ覚醒したばかりだし……。BMP能力が使えるようになって半年も経っていないし。十分すぎるほどの成長速度だと思う」
「そうデス……。半年シカ経ってないんデス、麗華さん」
「え……」
「体育祭ノ時、同じ高校生ニモ負けるようナ悠斗さんガ、ドウシテ、Aランク幻影獣相手ニ大丈夫と言えるんデスカ?」
「最後には勝ったよ……?」
「他の人にハ負けマシタ……」
「それは、悠斗君が……!」
『本気じゃなかったから』、と言おうとして、麗華は思いとどまった。
それは言えない。
その言葉は、悠斗とKTI双方に対する侮辱である。
「悠斗君はいつも手を抜いたりしないけど……。最後にはちゃんと勝つ。技術だけで勝負が決まる訳じゃない」
「…………」
「約束したから。私が見ていないところで死なないって」
「……デモそれは。麗華さんガ出来る限り、ソバに居るカラじゃないんデスカ?」
「でも、エリカだって放っておけない。悠斗君は強いから、私が居ない時でも大丈夫」
「ソレ、ちゃんと悠斗さんニ確認しまシタ?」
「え?」
今まで聞いたこともない声色に驚く。
実は、麗華は、エリカと一番仲がいいのは、悠斗より自分だと思っていた。
そのエリカが。
いつも明るく優しいエリカが。
これほど冷徹で容赦のない声色を使えるなんて、想像もしてなかった。
「悠斗さん、本当ハ凄く怖かったんジャないんデスカ?」
「悠斗君が怖がるなんて……」
『ない』と言おうとして、再度思いとどまる。
ない訳じゃない。
BMP管理局籠城戦前夜。
缶コーヒーのプルタブを開けられなかった姿が蘇る。
あの時、彼の手は確かに震えていた。
いや。
そもそも。
澄空悠斗は、怖がっていなかったことなどあったのか?
「エリカ……」
「麗華さん。確認デス」
「え……」
エリカが深く息を吸い込む。
その顔は、まるで、自らも傷つける刃で斬りかかろうとしているようで……。
「悠斗さんハ強くナイト駄目デスカ?」
「それは……」
「どんな困難な状況デモ、逃げ出したら駄目デスカ?」
「…………」
「麗華さんガそばに居ないト、死ぬのヲ怖がるヨウナ悠斗さんハ、幻滅デスカ?」
「違う……」
「負けちゃいけナイ闘いデ、負けるカモしれない悠斗さんハ、好きニなれまセンカ?」
「そんなことない!」
思わず叫ぶ麗華。
上杉親子も、あまりの展開に声も出せない。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「……………………」
しばらくの、息の詰まるような沈黙の後。
麗華が口を開く。
「……私は……間違ったことをしてたの?」
「そんなことないデスヨ。女の子ナラ当然の権利デス」
「?」
予想外の答えに、疑問符を浮かべる麗華。
「デモ……」
と、エリカが息を吐く。
「今の悠斗さんモ見てあげてクダサイ」
「今の……」
「悠斗さんガ凄いのハ、私モ激しく同意デス。悠斗さんナラ、イツカ、麗華さんノ理想の男の子になってクレマス」
「理想……」
「ダカラ、今は、幻想じゃなくて現実ノ悠斗さんヲ。手遅れにならないウチニ」
「……」
「…………」
「……ん」
小さく頷く麗華。
「上杉幻夜さん」
「はい。なんでしょう、剣様」
「ナックルウエポンに連絡を取って欲しい。話したいことがある」
「了解です」
少し笑みを浮かべ、しかし何も聞かずに依頼を実行する、男前な幻夜。
まぁ、連絡と言っても、ナックルウエポンの乗った車はすぐ前を走っている。
クラクションの一つでも鳴らせば……。
鳴らせば……。
「…………」
「……父様? どうかしましたか?」
急に固まってしまった父親に対して、上杉時子が声をかける。
「……居ない」
「え?」
聞き返す時子に。
「お嬢様の乗った車が……居ない」
「何を言ってるんですか? 私達、ずっと後ろを走って……!」
時子も気が付く。
眼前に車がない。
ほんの数秒前まで居た1号車がどこにもいない。
「ア、アノ……! 後ろモ! 3号車も居マセン!」
エリカの叫び。
「おかしい。ついさっきまで、どちらも確かに見えていたのに……」
麗華すら首を捻る。
「まさか、これは……」
幻夜の問いかけに答えるように。
誰からともなく、言う。
「迷宮……」