『お約束』の恐怖3 ~摂氏零度の女神~
「……25度か……」
居間に飾られた温度計を眺めながら呟く俺。
まぁ、摂氏25度だ。
夏の夜としては涼しい方で、クーラーは要らないだろう。
……というか、どちらかというと暖房が欲しい。
皆さんはご存じだろうか?
美人が怒ると本当に体感温度が下がることを。
それが超絶がつく美人ともなると……。そうだな、五度くらいは下がる。
「……ふぅ」
などと非生産的なことを考えながら、ソファーに腰を下ろす。
今、この場に居るのは賢崎さん以外の六人。
皆、お通夜のように押し黙っている。
いくらなんでも、もう賢崎さんは風呂出ていると思うのだが、それすら言い出せない。
理由は、もちろん剣麗華さんである。
表情はほとんど変わらないのに、ここまで場の支配力のある怒り方は、たぶん麗華さんにしかできない。
……いや、そんなこと言っている場合ではない。
何とか麗華さんに風呂に入ってもらわないと、俺達はいつまでたっても風呂に入れない(※まさか、男性陣の後に麗華さんを入れる訳にいくまい)。
今日は結構汗かいたんで早く入りたいし、あんまり遅くなると寝る時間にも支障が出るし。
それに……。
いつまでもこのままでいたら凍傷になりそうだ。
「れ、麗華さん?」
「なに、悠斗君?」
「う……」
温度がさらに2度ほど下がった気がする。
表情も声色も全然変わってないのに、なんでこんなに怖いんだ?
だが、ビビってばかりもいられない。
「そ、そろそろお風呂入った方がいいんじゃないかな? 次、麗華さんの番だろ?」
「まだナックルウエポンが出て来てない」
「い、いや、もう出てると思うよ?」
「出たのなら、言いに来るはず」
「ぐ……」
確かに、その通りなんだけど。
今の俺には、今日の賢崎さんは絶対に言いに来ない確信があった。
「い、いや、賢崎さん、ひょっとしてのぼせてるとか……?」
「ナックルウエポンがのぼせるなんて想像できないけど。気になるなら見に行くといい。悠斗君以外が」
「う……」
『悠斗君以外が』のところで、また五度ほど下がった。
その証拠に、エリカが青い顔でブルッと身体を震わせた。
そして、こういうときに意外に一番頼りになりそうな三村でさえ『よし。なら、俺が行ってくるよ。いやぁ、ハプニングイベント楽しみだなぁ』と言える雰囲気では、断じてない。
……やるしかないか。
「あ、あのな麗華さん。さっきのことなんだけど……」
「うん」
「き、基本的には誤解だと思うんだ」
と、微妙に外角から入る慎重な俺。
「大丈夫。心配しなくても、私は、悠斗君が反社会的行為に走るなんて思ってない」
「そ、そう?」
でも、完全に誤解してない訳ではないよね?
「ただ、悠斗君は私がだらしない格好していると怒るのに、ナックルウエポンの場合は扱いが違うのは、筋が通らないと思う」
「いやいやいや、通してるよ筋!」
しかも、かなり真ん中の方を!
そして、俺が注意するのは、だらしない格好じゃなくて、はしたない格好だ!
「ナックルウエポンと私は、それほど体型的に変わらないのに……」
……って、聞いてないよね、麗華さん?
「たぶん1センチくらいしか変わらないのに、そんなにナックルウエポンの方がいいの?」
「いやいやいやいや。誰も、そんなミクロな違いを問題にはしてないよ!!」
「じゃあ、何が違うの?」
「……っ」
氷柱のような視線と声が、斜め上から俺の心臓を串刺しにする。
き、今日の麗華さん、マジで怖ぇ……。
温度が10度くらい下がった。
「どうしたの悠斗君? 私は悪い意味で普通じゃないから、ちゃんと言ってくれないと分からないよ?」
「あぅ……」
こらアカン。
今日の麗華さん、割と本気で怒ってる。
温度も、また3度くらい下がった。
記憶力が良くて暇な人なら気が付いたかもしれないが、そろそろ氷点下である。
……いや、そんなことは本気でどうでもよくて。
なんでだ?
『怒らせると雷より怖いけど謝ればだいたい許してくれる』が、麗華さんの基本コンセプトのはずなのに。
……あ、そうか。
謝ってないからだ。
しかし、この状況で、謝っていいものなのだろうか?
と。
「トイレ行って来る」
三村が唐突に席を外す。
その時、くいくい、とジェスチャーをされた気がした。
なので。
「ご、ごめん、ちょっと俺も」
と付いて行くことにした。
◇◆
居間を出て。
もちろんトイレには入らずに、トイレの前で、俺と三村は話し始める。
「なんとかしてくれ澄空。寒い」
「いや、麗華さん、熱い怒り方する時もあるんだけど」
「冗談言ってる場合じゃないだろ」
まぁ、確かに。
「しかし、正直、今回みたいな怒り方されたのは初めてで……。どうすればいいんだ、こんな時?」
「……やれやれ」
と、三村が少し困ったような顔をした。
微妙に兄貴モードっぽい。
「仕方ない。ここは、『こんなシチュエーションには全く縁がないが、日々シミュレーションだけは欠かさない』俺がアドバイスしてやる」
脳内修羅場ですか……。
イマイチ信頼性には欠けるが、もう他に頼れるものがない。
「いいか、澄空」
「あ、ああ」
三村がぐっと顔を近づけてくる。
「謝っちまえ」
「……」
「……」
「……いや、それは俺も考えたけど。この場合、謝った方が怒らないか?」
「俺らでも分かるくらいだ。剣だってホントは分かってるって」
「…………」
ほんまかいな。
「大丈夫だ。俺は、この手の選択肢は外したことがないんだ」
「…………」
ゲームの話じゃないだろうな?
◇◆
「麗華さん。すみませんでした。もうしないので、許してください」
という訳で、トイレから帰った俺は、とりあえず頭を下げて謝ることにした。
前後の脈絡も何もないが、もう本当に、それしか思いつかなかった。
ただ、どう考えても、この後の展開に希望が持てる要素が何一つないんだが……。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「……別に」
と。
「べ、別に怒っているわけじゃない。ちょっと気になっただけだから。……お風呂行って来る」
言い残して。
ごくごく自然な動作で、麗華さんは居間から出て行った。
「……」
「……」
「…………」
「…………」
「……………………」
「……マジで?」
思わず呟く、俺。
「ほ、ほらな。うまくいったろ?」
と言う三村だが。
顔が明らかに、『意外にゲームの展開も侮れないな』と言っているように見える。
いやまぁ、でも、実際助かった。
「ふぅ」
と、25度に気温が戻った居間のソファーに腰を下ろす。
「麗華さん、怖かったデス……」
エリカが呟く。
でも、微妙に顔を赤らめてるのは、何で?
「ったく、どうせ妬かせるんだったら、もう少し可愛く妬かせてくれよ。niyaniyaもできないじゃないか……」
三村がぶつくさ言う。
本当に妬かせたら、烈火の如く怒るくせに。
まぁ、それはともかく。
「僕ら、何もできなかったね……」
「少しは女性の気持ちも勉強するべきか……」
全く存在感も出番もなかった小野と峰が落ち込んでいる。
まぁなぁ。
俺も少し勉強しないとまずいかなぁ……。