王子様の本命の代わりに婚約者になったので適度な距離を保っていたら溺愛されていた件
【注意】BL作品です!
ご都合主義です!
おにショタです。
以上を踏まえたうえでお読みください。
「アドルフィーネ・ブークリエ公爵令息。本日をもって君との婚約を解消する。今までご苦労だった」
月に三度のお茶会の最中、婚約者である第二王子から唐突に告げられた言葉にアドルフィーネことアデルは、飲んでいた紅茶を飲み下してからたった今告げられた言葉を反芻した。
「婚約解消…」
おうむ返しに呟かれた言葉に第二王子がしっかりと頷く。
「反第二王子派の排斥がほぼ終了した。もうほとんど危険はない。私にも、ブランシュにもだ」
第二王子の話に全てを理解したアデルは「なるほど」と頷いた。
「それはようございました。ではわたくしの役目もこれにて終了ということですね」
にっこりと、その美しいかんばせに満面の笑みを乗せ荒れ狂う心の内を隠し通す。
「ああ、今までよく務めてくれた」
「もったいなきお言葉にございます。それでは、父への報告がありますゆえ、わたくしは失礼いたします」
あと少し、もう少しだけ我慢するのだ、と自分を叱咤しながら椅子から立ち上がり目の前に座る第二王子に流れるように礼をする。
「王国の太陽フェリックス第二王子殿下と麗しき精霊神子ブランシュ様のご多幸をお祈りしております」
澄み切った声でそう言い切るとアデルはくるりと身を翻し、場を後にした。
感情を抑えるために嚙み締めた唇は第二王子殿下からは見えないだろう。思えば自分は第二王子の婚約者として本当によくやったと思う。数年前に第二王子の婚約者に据えられてからこの日まで厳しい王子妃教育にも耐え、自分に見向きもしない第二王子の態度にも耐え、目の前で堂々と愛を交わす第二王子と妖精神子の姿にも耐え、立派に第二王子の婚約者の務めを果たしたのだ。
並々ならぬ辛抱と努力の結果、今日という日を迎えた。アデルの感情が嵐のように荒れ狂うのも無理はないだろう。
そうして、感情を抑えながら王城の外へ出るとようやくアデルは抑えていた感情を解放した。
「やっっっっっったあああああああああ!!!!!」
そう、喜びという感情を。
「長かった!!本当に長かった!!これで僕は自由だ!!!」
そうして喜びの感情のまま走り出したところで、アデルの意識はブラックアウトした…いや、正確には覚醒した。
「………」
パチッと目を開けたアデルの目に映ったのは自室の天井…ではなく、王城に用意されたアデル専用の部屋。
しばしぼんやりとした頭でアデルは考える。なぜ、自分はここにいるのかと。王子との婚約は解消されたはず。
数十秒経って徐々に目が覚めてきたアデルはようやく現状を理解した。
「夢…」
ぽつりと呟くとがっくりと肩を落し深い溜め息を吐き出す。王子との婚約を解消して自由になったのは全て夢だったのだ。そして自分が何故ここにいるのかも思い出してきた。
自分は昨日、毒入りの紅茶を飲み意識を失ったのだと。
「身代わりで毒飲んだんだからご褒美で婚約解消してくれないかなぁ…」
叶わぬ願いを口にすると、
「お目覚めですか、坊ちゃん」
と、抑揚のない声で話しかけられた。鉄仮面を備えたアデルの専属メイド、アンナだ。
「どのくらい寝てた?」
「丸一日です」
「犯人は?」
「先日新しく入ったばかりの侍女です。今は地下牢に」
「そう」
いくつかのやり取りをすると、アデルは考え込むように黙り込んだ。
アデルに毒は効かない。
これは、アデルが第二王子の婚約者になった理由の一つだ。
アデルの育ったブークリエ公爵家は、王家の盾と呼ばれている。そのブークリエ家の中でも末子のアデルは特別な子供だった。
持って生まれた魔法の才、知識の吸収力は通常の人間の10倍、身体能力の高さ、そしてこれはアデルに限ったことではないが…ブークリエ家の特徴である美貌。どれをとってもアデルは一流であり、ブークリエ家の神童であった。
特にアデルの美貌に関しては生まれたその瞬間から、家族はおろか使用人たちでさえも魅了した。くりくりと大きなアメジストの瞳は宝石のように煌めき。ブークリエ家特有の黒髪はほんの少し癖があるもののさらさらと指通りが良く。髪と同じ色のまつ毛は長く、形の良い鼻と小さな口はまるで精巧に作られた人形のようであった。
アデルは幼い頃からたくさんの訓練を積まされた。その中には毒への耐性を付ける訓練も入っている。幼い頃はよく毒のせいで数週間寝込んでいた。そのたびにアデルに甘い家族はアデルの身辺の世話をこぞってするのだ。そういった訓練を繰り返し、アデルはいつしか余計な魔力消費を抑えるために数週間寝込むことはあるものの、魔力循環で致死量の毒さえも分解できるようになった。
今回は一日寝込んだだけなので恐らく通常の人間であれば数日高熱を出す程度の毒だったようだ。
「後ほど第二王子殿下がいらっしゃるそうです」
淡々と告げられた言葉にアデルは「げっ」と顔をしかめる。
「婚約者ですので」
とどめの一言にアデルは二度目の深い溜め息を吐くのであった。
アデルと第二王子の婚約が決まったのは今から三年前。アデルが九歳のころだった。
その日、父親と五歳年上の兄ゼファーに父の執務室に呼び出されたアデルは第二王子との婚約の打診をされた。
『僕に婚約の打診ですか?』
全く予想していなかった話にアデルは聞き間違いかと思い、首を傾げた。
それというのも、第二王子であるフェリックスには幼い頃から愛する人がいるのは有名な話だったからだ。
相手は精霊王の加護を受けているといわれる精霊神子、ブランシュ・リュンヌ。月明かりに輝く銀色の髪と、整った顔立ちは誰もが感嘆の声を上げるほど。その儚げな雰囲気は精霊そのものではないかと噂されている人物だ。生まれた時から女神を信仰する神殿に所属し、神官として修行を積んできた彼が女神の血を引く精霊王の加護を受けていると判明すると精霊神子として祀り上げられた。そんなブランシュが祈りを捧げればたちまち精霊たちの祝福が降り注ぐ。
幼い頃から週に何度か王城の祈りの間で、精霊王の加護を受けた彼はこの世界を創造した女神に祈りを捧げるお役目を務めていた。その祈りの間に通う際に第二王子殿下と出会ったらしい。
そうして二人は愛を育み、いずれは婚姻を結ぶのだろうと誰もが思っていた。当然、第二王子の側近であり親友である兄のゼファーを通してアデルにもその話は届いている。
そのため、アデルにってはこの婚約の話は青天の霹靂だった。
『まあ、驚くよな』
ゼファーの言葉に戸惑ったような視線を向ける。
『ひとまず話を聞いてから判断してほしいんだが…』
そう言いながら父がアデルに座るように促した。メイドに茶の用意を指示したことで、この話は長くなりそうだなとアデルはソファーの背もたれに身を預ける。
『まず、フェリックス殿下にはご幼少のみぎりから想い人がいるのは知っているな?』
『はい、フェリックス殿下は幼馴染である精霊神子様を大層溺愛されている、と』
『そうだ。しかし先日、その精霊神子様の命が脅かされる事件が起こった。幸い、直前でゼファーが対処したため大事には至らなかったが…』
神妙な面持ちで父が告げる。
しかしその横でさすが兄上、とアデルに絶賛され得意げな顔をする兄によっていまいち緊張感がない。
『犯人は反第二王子派の一部に存在する過激な一派だった。しかし、フェリックス殿下には相当堪えたらしい』
『まぁ…そうでしょうね』
それはそうだ。愛する人の命が自分を陥れようとする人間に狙われたのだ。しかし、王子の立場上それは十分に考えられることである。今まで対策をしていなかったのは完全な王子の落ち度だと、アデルは厳しい見解を述べる。
『お前の言うとおりだ。フェリックス殿下は本来、たいそう頭の切れるお方だが、どうも精霊神子のことになると思考力が低下してしまうようだ』
恋は盲目ということだろうか?少し違うのか?人を愛したことのないアデルにはいまいち想像がつかない。
『今回の件で、怖気づいたようで…王位継承権を放棄すると言い出した』
『はぁ…』
父からの思わぬ情報にアデルは間の抜けた声を出す。
『そして焦ったのが国王陛下だ』
立派な髭の国王陛下が右往左往する姿がアデルの脳裏に浮かんで、噴き出しそうになるのをこらえた。
『そこで、お前に白羽の矢が立った』
『はい?』
父の話を要約するとこうだった。
まず、王位継承権を持つのは現在二人。十六歳の第一王子と、十四歳の第二王子。通常であれば第一王子が継承権一位であるが、第一王子は側妃の子。そうなれば王妃の子である第二王子が継承権一位となりそうなところであるが、現在の国王は実力主義である。
二人の王子の能力は拮抗しており、どちらを立太子するか…考えあぐねていたところに今回の事件である。
すっかり王位継承への意欲を失くしてしまった第二王子は継承権を兄に譲ると言い出した。しかし、兄王子の方も弟のほうがふさわしいと譲らない。第一王子も第二王子も半分しか血が繋がっていないとは思えないほど、頑固なところがそっくりであった。
困り果てた国王は、ふとブークリエ家の末子であり、そして男でありながらも王族の婚約者に相応しいアデルの存在を思い出した。
『はあ…それで僕をブランシュ様の身代わりとして第二王子殿下の婚約者に仕立て上げ、ブランシュ様に向けられる悪意を王家の盾として対処できるであろう僕の方へ向けようと…』
『やはり俺は反対です、父上!可愛いアデルにそんな危険なこと!』
『うむ…私もさすがに二つ返事はできずに持ち帰ったのだが…』
やはり断るか…と頭を悩ませる父にアデルは『確認したいのですが…』と前置きをする。
『もちろん、タダで…というわけではありませんよね?』
『ああ、それはもちろん…陛下はお前の望むものを何でも与えると言っているし、もちろん最大限危険の無いようにすると言っている』
『なんでも…』
アデルが食いついたのは褒美の内容であった。危険に関しては、アデルも幼いながらも王家の盾と呼ばれるブークリエ家の人間。しっかりと訓練は受けているし、そうやすやすと暗殺されることはない。何よりも王家のために命を懸けるのは当然のことである。
『ああ、陛下はお前に甘いからな。ねだれば領地の一つでももらえるんじゃないか』
父が悪い顔で笑う。
『まあ、陛下はお祖母様に瓜二つな僕のことが大好きですからね…』
アデルの母方の祖母は元は王女であり、国王陛下が幼い頃からの憧れの女性である。その祖母に生き写しのアデルのことを、生まれたときから実の息子たちよりも可愛がっていると言っても過言ではない。
恐らく今回の件も、アデルを危険に晒したくはないが苦渋の決断と言ったところだろう。なにせ、王位継承に関わる話だ。
『アイツに恩を売っておくのも有りかもしれんな』
仮にも国王陛下を「アイツ」呼ばわりしている父が更に悪い顔で笑う。父と国王陛下は主従関係である以前に幼い頃から親友であり悪友関係であるからこその態度である。
『まあ…フェリにも恩を売っておくのも有りかもな…アデルは俺が守ればいいし』
更には、第二王子の側近でありやはり親友であり悪友である兄すらも悪い顔をする。
『自分の身くらい自分で守れますよ…』
アデルは呆れたように二人を見やりながらため息を吐いた。そして、少しの間考え込んだあと父と兄を交互に見てから答えた。
『わかりました、引き受けます』
これがアデルが第二王子の婚約者になった経緯だった。
アデルがこの件を引き受けたのには理由がある。
アデルには夢があるのだ。
ブークリエ家の末子に生まれたアデルには、役割がない。上には兄が二人、姉が二人いるため、跡取りも政略結婚も必要がない。王家にも同年代の王子や王女がいないので王家の側近としても役目がない。そのため、幼い頃から旅に出たいと考えていた。大人になったら冒険者になって、世界を見るのがアデルの夢だ。だから、そのために資金が欲しかった。
国王には旅の資金を、ついでにこんな話を持ってきた父にも褒美として旅に出る許可をもらおう…この過保護な大人たちが応じてくれるかは疑問だが。
すべてが終わったら、世界を見るのだ。
王子の婚約者になってから三年。それを希望に、アデルは仮の婚約者とはいえ必要だからと言われた王子妃教育も頑張ったし、たまに命を狙われるのも、過激派の炙り出しも頑張っている。だから、婚約解消の夢を見るのも、それが夢であったことを残念に思うのも許してほしい。
過去を少々思い出していたアデルは傍に控えていたアンナに声を掛ける。
「アンナ、例の侍女だけど」
すかさずアンナが調査書を手渡した。
「ふーん…指示したのはブルーノ侯爵ね…反第二王子派筆頭だね。家族を人質に取られてる…あのおじさんのやりそうなことだよね」
「ええ。あのキモオヤジ、アデル様のことも気持ち悪い目で見ていますから」
アンナの言葉にアデルは(それは聞きたくなかったな…)と背中に怖気が走るのをなんとか堪える。
「その侍女の家族は」
「キリルが保護しました」
キリルはアデルの部下であり、表向きはアデルの専属執事をしている。しかし、それは表の顔であり本来の彼は元暗殺者だ。アデルの命を狙って来たところを懐柔した、今では頼りになるアデルの部下である。アンナが情報収集の役割を担うのなら、キリルはアデルの手足となって動く役割だ。最近では二人ともアデルの意図を先回りして汲んで動いてくれることが多い。
「さすが、二人とも仕事が早くて助かるよ」
優秀な部下にアデルはほっと胸をなでおろした。あとは例の侍女をこちらに引き込めばいいだけだ。情報ゲット、領民もゲット、一石二鳥である。こうしてアデルは細々と敵方の力を削っている。
「後で彼女に会いに行くよ。話をしないと」
アンナにそう告げると、ドアの方から不機嫌そうな声が聞こえた。
「処罰が甘いんじゃないか」
アデルが声のした方を見遣ると、金髪碧眼の美青年が仏頂面で立っている。アデルの婚約者(仮)である第二王子フェリックスだ。
(そう言えば来るって言ってたな…)
アデルは内心めんどくさいなーと思いつつも、ベッドの上からペコリと頭を下げる。
「フェリックス殿下、このような格好で申し訳ありません。わざわざお見舞いありがとうございます」
アデルの言葉にフェリックスが、透き通るような青い瞳を不機嫌そうにすっと細めた。
「一応婚約者だからな」
アデルは思った。
(さっさと終わらそう)
面倒くさいし正直、関わりたくない。あくまでアデルにとってはこの婚約は仕事であり、王子との関係は主従関係だ。彼のために命を懸ける覚悟はあるし、自分が仕えるべき相手だとも思っている。国を担う人物としても申し分ない。ブランシュさえ関わらなければ。
文武両道であり、国民から人気があり、歴代の王族の中でも五本指に入るほど優秀な第一王子に匹敵する優秀さ。しかし愛する精霊神子ブランシュが関わると途端にポンコツになる。
思えば、初対面も最悪であった。
『お前が俺の婚約者か』
第二王子フェリックスは初めて対面した日、その透き通るような青い瞳を冷ややかに細めアデルを見下ろしてきた。
『お初にお目にかかります、王国の若き太陽フェリックス第二王子殿下』
九歳とは思えないような仕草と落ち着き払った声音で跪きつつも、アデルは内心非常に腹を立てていた。一体誰のためにここに来たと思っているのだ。
『一つ言っておくが…』
『ああ、はい、別に殿下の寵愛はいらないです。この婚約はあくまで身代わり、仮初、目くらましですので。ただの契約ですから』
ムカついたので言われる前に言ってやった。不敬とか知るか、ざまあ。
頭を下げていたので彼は知らないだろう、アデルがこっそりと舌を出していたのを。
『そ、そうか。分かってるなら、いい』
出鼻をくじかれた様子のフェリックスにアデルは小さく『ふん』と鼻を鳴らした。
別にブランシュに接するようにしろとは言わないが、少しくらい労いはないのかと。この瞬間、アデルは必要以上にフェリックスとブランシュには関わらないと決めた。
それからアデルは本当に、公的な場や必要な場面ではない限りはフェリックスに近寄ることはなかった。アデルは王子妃教育に、フェリックスは公務にと忙しかったのが幸いして月に三度のお茶会だけしていればそれ以外はフェリックスと関わらなくても何も思われなかったからだ。その間にも何度か、フェリックスとブランシュが庭の薔薇園で人目を忍ぶようにして逢瀬を重ねているのを見かけたことがある。
『絵になる二人だなぁ』
金髪碧眼の見目麗しい美丈夫と、それに対を成すような銀髪と赤い瞳の…この世の美をすべて集めたかのような人間離れした美しさの青年。
顔を寄せ合って、時折静かに微笑み合う。穏やかに愛を育む二人だ。そこには清廉で神聖な空気が漂っていた。
(あそこは人間の立ち入っていい場所じゃない、うん)
アデルはくるりと踵を返した。その後姿を赤い瞳が見つめていたのも知らずに。
『貴方がアドルフィーネ様ですね』
声をかけられたのはアデルが二人の逢瀬を見かけてから1週間後、王子妃教育のため王城を訪れていたときのことであった。
『麗しき精霊神子様、お初にお目にかかります。お声がけいただき光栄です』
『ブランシュでいいですよ』
眼の前の美青年がクスクスと笑いながら言う。
『はあ…では、ブランシュ様。その後、お体の具合は問題ないですか?危険な目にあったりは?』
『君、本当に九歳?』
怪訝そうな顔で問われる。失礼な精霊神子だ。さすがあの王子の恋人なだけある。似た者同士だ。まあ…同年代の子供達よりも自分のほうがずっと可愛げがないことは自覚している…家族や使用人には世界一可愛いと言われるが、それは身内贔屓なだけだ。
『ああ、すみません、あまりにも大人びていたので。体の方は大丈夫ですよ、ゼファー様が助けてくださいましたから。あれ以来危ない目にも合っていません』
すぐに取り繕ったような笑顔を浮かべる様子に、アデルは「この人は一見穏やかそうに見えるが食えない人物だ」という印象を持った。壁は作っておいても問題なさそうだが…バレそうだ。
『それならば良かったです。一日も早くフェリックス様とブランシュ様が安心して暮らせるよう尽力いたしますね』
アデルは、感情を見せない落ち着き払った声で告げた。そんなアデルをブランシュは意味ありげにじっと見つめてくる。アデルが訝しげな顔を見せるとやはりまた取り繕ったような顔で笑った。
『ああ、いえ、すみません。お会いできて良かったです。では、また』
そう言って去っていった。何だったんだ一体…。
(初対面最悪なの第二王子だけじゃなかった…)
アデルは思わず小さくため息を吐いた。
「お前が目を覚ましたと聞いて…様子を見に来た」
「それは、どうも」
ベッドサイドに近づいてくるフェリックスを見やりながら投げやりに答える。この国の王子に対して不敬だろうがなんでもいい。このくらいで斬りつけてくるような男ではないのを知っているし、斬りつけられたところで対処できる。
「先程も言ったが…処罰が甘いのではないか」
厳しい目を向けてくるフェリックスに対してアデルは毅然と答えた。
「殿下はご存知だと思いますが、僕に対する暗殺者の処罰は僕に一任されております。今回狙われたのはフェリックス様やブランシュ様ではありません。狙われたのがお二人であれば即刻処刑でしょうが」
「だが、お前の飲み物に毒を混ぜられたのだろう」
「僕に毒は効きません。彼女はそれを知らなかったし、雇われただけです。彼女が明確に僕個人に対して恨みや殺意があるのであれば話は別ですが、彼女は家族を人質に取られていました。僕は無益な殺生はするつもりはありませんし、彼女の家族を保護して彼女自身もうちの領地に引き込めば、恩も売れるし領地も潤うし一石二鳥ですね」
「またお前はそんな事を言って…お前の部下のキリルとかいう男だって元はお前を狙った暗殺者だと言っていただろう!」
あくまでも食い下がるフェリックスの表情にアデルは「おや?」と思う。その瞳には心配の色がありありと浮かんでいた。仮初の婚約者といえども、三年も一緒にいれば多少の情は生まれるのだろうか。
「あー…ええと、すみません…ご心配をおかけして……?」
「……一応、婚約者だからな」
最初に部屋に入ってきたときとは違った、若干柔らかくなった声音に調子が狂う。
フェリックスは本来心根の優しい人物だ。ブランシュ第一主義だが、かといって周りの人間達を蔑ろにするわけではない。警戒心は強いものの、一度懐に入れてしまえばその相手を大事にできるし、国民のことだって大事に思っているのだ。
アデルは最初こそ印象が悪かったものの三年間一緒に過ごす中でこの王子の為人を見極めていた。フェリックスの側近を務めるのは兄のゼファーであるが、今はアデルも彼に仕えていると言っても過言ではない。それも命を狙われる立場で。
ブークリエの使命は王家の盾となること。しかし、自分の命を預けるに値するか、それを見極める役割もある。ブークリエ家が命を預けると決めたのであれば、その王は国民からも認められる。
基本的にブークリエ家もといアデル自身は第一王子派でも第二王子派でもない中立だ。本人たちも別に対立しているわけではない。対立しているのは彼らを持ち上げている貴族たち、いわば代理戦争のようなものだ。今のところ二人の王子はどちらも優秀であり、どちらもブークリエ家が仕えている。だからこそ互いの支持派の争いが激化しているのだ。
ブランシュという弱点のあるフェリックスのほうが崩しやすいと、過激派に狙われるのは必然だろう。そのことをフェリックスも理解していた。理解しているうえで対処ができずにいた。そのためか、出会ったばかりの頃のフェリックスは非常に卑屈な性格であった。
婚約の挨拶を終えたひと月後、彼自身から言われたのだ。
『お前も俺を臆病だと思うか』
それは婚約が決まって三度目のお茶会のときだった。
『はい?』
言われた意味がわからず、アデルは聞き返していた。
『お前も、俺を臆病者だと笑うのだろう』
別に何も言っていないのに勝手に卑屈になって、こちらを睨みつけてくるフェリックスにアデルは呆れたようにため息を吐いた。ここのところ、ため息を吐いてばかりだ。幸せが逃げたらどうしてくれる。
『城の者が俺を臆病者だと影で笑いものにしているのは知っている』
被害妄想が過ぎないか。アデルはここに来て、フェリックスを臆病だと言っている人間はあまり見たことがない。まあ、何人かはそういう人間もいたがそういう人たちはアデルが『では、貴方たちは大切な人が傷つけられても平然としていられるのですね』と論破している。だが、それはほんの一部で殆どは『お可哀想に』と言っている人ばかりだった。
『他の人はどうか知りませんが…』
後で難癖つけられても面倒なので一応前置きしておく。
『僕は恋をしたことがないので、殿下が臆病なのかどうかは分かりません』
分かるわけがない。まだ九歳なので。
『でも、大切な人の命が脅かされれば、誰でも怖気づくのでは?』
僕は大切な家族が傷つけられたら、死んだほうがマシなくらいに追い詰めるけど…と思いながら話を続ける。
『それくらいブランシュ様を想っておられるのは純粋に凄いと思いますけど』
アデルの言葉に強張っていたフェリックスの顔が少し和らいだ。まるで迷子の子犬のような目でアデルを見てくる。
『誰かを大切に想う気持ちを笑うなんて僕にはできませんね』
真っ直ぐとフェリックスを見つめて言うと、彼の瞳が戸惑ったように揺らいだ。
『お城の人たちも同じです。殿下は自己評価が低いです。もう少し自分を慕う人たちに目を向けてください』
アデルの言葉にフェリックスがバツの悪そうな顔をしているので、アデルは思わず笑ってしまった。
『それから…』
『まだあるのか』
更に続く言葉にフェリックスが思わず声を上げる。
『これはお説教なので黙って聞いて下さい』
五つも年下の子供にピシャリと言われて複雑そうな顔をしたのを見て、アデルの中で少しだけフェリックスに対する悪印象は和らいだ。
『ブランシュ様を狙われて殿下が怯えるのは仕方ないです。けれど、貴方はこれからどうするか。それを考えるべきです。ブランシュ様を守れるだけの力を身に着ける強さは必要です。あと殿下とブランシュ様は僕とゼファー兄様が守るので、ブークリエ家を信じるくらいの心の強さを持ってください』
アデルの言葉に、フェリックスが驚いたように瞠目する。そして、ややあってから
『ああ…ありがとう、アドルフィーネ…いや、アディ』
『アディ?』
アドルフィーネの愛称はアデルだ。近しいものはアデルと呼ぶ。聞き慣れない愛称に怪訝そうな顔をフェリックスに向けた。
『ああ。お前の愛称はアデルだが、婚約者である俺だけの特別な呼び方だ』
出会ってから初めての屈託のない笑顔を向けられた。今まで不機嫌そうな顔しか見せられていなかったアデルは珍しく驚いてしまった。
なんだ、それは。急に態度が変わり過ぎではないか。調子が狂う。
『はあ…まあ、好きにお呼びください』
そう言ったアデルの頬はほんのり朱に染まっていた。
それから、フェリックスのアデルに対する態度は少し軟化した。
嫌々…という態度であったお茶会は穏やかに過ごしたし、王子妃養育で登城した際には挨拶くらいは交わすようになった。たまに贈り物もくれたり、勉強中の差し入れもしてくれた。アデルが甘いものが好きだと知れば、城のシェフにケーキを焼かせてくれたりもした。
『殿下は僕のこと…弟くらいには思ってくれてるんですかね』
ある日ポツリと漏らした言葉に、教育係であるジルオールが反応した。
『フェリックス第二王子殿下はアドルフィーネ様のことを可愛いと思っているようですよ』
その言葉に、アデルは怪訝そうな顔をする。
『僕、生意気なことしか言ってないと思うんですけど…』
『第二王子殿下には弟君はいらっしゃいませんから』
『そういうものですか』
『そういうものです』
先生がそう言うならそういうものなのだろう…と、まだ自分に向けられる感情には疎いアデルは納得した。とはいえ、アデルはあまりフェリックスに関わるつもりはない。必要なとき、必要な分だけ。アデルの仕事はブランシュに向けられる悪意を引き受け、あわよくば第一王子派と第二王子派の過激な貴族たちを炙り出し、フェリックスとブランシュがなんの弊害もなく愛し合えるように導くことだ。王子との仲を深めることではない。そして、報酬をもらって冒険者になる。
王子妃教育も当初はやる気はなかった。しかし、教育係であるジルオールがアデルの夢を知ってもなお笑うでもなく
『世界を見るなら知識をつけなさい。貴方がどの道に進もうとも王子妃教育で得た知識やマナーは決して無駄になるものではありません。知識が有るのと無いのとでは、世界も違って見えますよ。そして貴方のその目に映る世界がどのようなものであったか…私にも教えて下さい』
穏やかな笑顔でそう言われてから、アデルは勉強にやる気が出た。そしてジルオールのことを心から信頼するようになった。
フェリックスと打ち解けてから二ヶ月後のこと。その日はジルオールの都合で授業が午前中で終わってしまったので、アデルは王城の書庫に向かっていた。その途中、見目麗しい青年と目が合い会釈してそのまま通り過ぎようとしたが声をかけられてしまった。。
『アドルフィーネ』
『麗しき精霊神子様、こんにちは』
仕方なしにアデルが決まりの挨拶をし礼をとると彼はクスクスと上品に笑った。
『ブランシュでいいと言ったでしょう。貴方は第二王子殿下の婚約者なのですから…かしこまらないでください』
『いえ、僕と殿下は名目上婚約者ですが、実質は主従関係ですので』
かけられた言葉に、アデルはピシャリと返す。
『それを聞いたらフェリが落ち込みそうだね…』
ため息混じりに呟かれた言葉はアデルには届かなかった。
『僕は書庫に用があるので失礼いたします』
ペコリと小さな頭を下げて立ち去ろうとしたアデルを『ちょっと待ってください』と、ブランシュが呼び止める。アデルはブランシュにバレないように舌打ちした。
『少しお話しませんか』
国の重要人物であるブランシュにこう言われては、アデルには断る術はない。がっくりと肩を落としたアデルは、ブランシュに連れられて初めて王城の薔薇園に足を踏み入れた。
『綺麗な場所ですね』
『ええ、私とフェリックス殿下の逢引きの場所です』
知ってますけど…と思いつつも、アデルは初めて聞いたかのような反応を返す。
『そのようなところに僕が入っていいのですか?』
『構いませんよ。本来は城の者みなに開放されている場所です』
『はあ…』
この二人が逢引き場所にしてるから皆が入れないんじゃ…という言葉を飲み込んで、アデルは気のない返事を返した。
『ふふ…誰も来ないから、ここで会っていたんですよ』
考えてることがバレてた。
『貴方は真っ直ぐな方ですね』
『そうですか?』
ブランシュの穏やかな目がすっと細められる。
『ええ…正しいと思った道へ迷いなく進む、そんなふうに見えます』
『よく分かりませんが…自分が正しいと信じているなら迷う必要はないのでは?』
ブランシュという人間は、顔立ちが美しく線が細いためか今にも消え入りそうなほど儚く見える。今もそうだ。何を憂いているのかは分からないが、とても心から幸せそうには見えない。
『そうですね…本当なら、そうなのでしょう。ですが、私にはその一歩が踏み出せないのです。祈ることしかできない。私とフェリックス殿下の未来を祈ることしかできないのです』
ああ、なんだこれ、恋愛相談か。九歳の子どもに恋愛相談か。アデルは何故だかひどく脱力した。やっぱりろくなことにならなかった。
『ブランシュ様の頭は飾りですか?』
突然のアデルの失礼な物言いに、ブランシュは思わずポカンとした。
『女神様に祈って、助けを求めて。女神様は助けてくれるんですか?』
『それは…随分と不信心ですね』
ブランシュが眉をひそめる。常に微笑みを絶やさない精霊神子のこのような表情は、恐らく誰も見たことがないだろう。
『それは少し違います』
落ち着いた声音に、ブランシュは静かに耳を傾ける。
『僕は、女神様を軽んじるつもりも、否定するつもりもないです。ただ…』
『ただ…?』
『女神様が僕達に考える知恵を、自由に動く手足を与えたのはなぜだと思いますか?』
アデルの言葉にブランシュははっと息を呑む。
『自分で考え、自分で歩き、自分で掴み取るためです』
アデルの目に映るのは薔薇園に美しく咲く薔薇だ。アデルにしてみれば、ブランシュよりもこの薔薇のほうがよほど気の毒だ。逃げることも許されず、カップルのイチャつきを見せられているのだから。
『もちろん、すべての人に与えられているわけではありませんが、ブランシュ様には与えられてるじゃないですか』
ここで初めて、アデルは真っ直ぐとブランシュを見た。戸惑ったような…迷子の子犬のような顔をしている。アンタもか。似たものカップルか。なんでこの人たち、揃いも揃って卑屈なんだろう。もったいない。
『困難を乗り越える知恵も、どこへでも行ける足も、望みを掴み取る手も与えられてるのに。ましてや貴方は精霊王に愛されて、精霊王の加護もあり、精霊と対話できる力もお持ちなのに。自分は女神様に仕える神子だからと、女神様に祈るだけですか?』
麗しの精霊神子様のこんな表情を見たのは自分だけだろうな、ちょっと得したかな、なんて思いながらアデルは言葉を続ける。
『貴方は己の力で望みを叶えることができるのではないですか』
アデルがブランシュに抱いた第一印象は『食えない人物』だったが…案外人間臭い人なのかもしれない。それほどまでに、眼の前の人物は今の時間だけでくるくると表情を変えていた。今はなにか思案するように黙り込んでいる。
『では、僕は失礼いたします。お話できて光栄です』
今度こそ呼び止められる前に立ち去ることにした。後ろで『あ…』と聞こえたが、振り返らない。何度も言うが、アデルはフェリックスとブランシュには極力関わらないと決めている。それなのに…
なぜか、今度はブランシュにまで頻繁に絡まれるようになったのだ。
(どうしてこうなった)
顔を合わせたときに挨拶はまだいい。酷いときなど、フェリックスとブランシュの逢瀬現場に引きずり込まれる。最初はフェリックスに文句でも言われるのではないかと思っていたが、文句を言われるどころか膝の上に乗せられて茶菓子を食べさせられる。
いつしか、二人の逢瀬の時間にはアデルの分のお茶と茶菓子が用意されるようになった。
そして、そんな二人の逢瀬の時間に乱入しているアデルの紅茶に今回の毒が仕込まれた。
アデルに毒は効かない。
正確に言うならば、アデルは体内で魔力循環を行い毒を分解できる。しかし、その間アデルは深い眠りについてしまう。今回は一日で済んだが、致死量の毒を摂取すれば魔力循環の効率を上げるために仮死状態に陥る。
(殿下の前で倒れたのは初めてだったか…)
近頃のフェリックスの様子からすれば、心配くらいはするのかもしれない。
「あの…殿下のご心配はご尤もです…。ですが、僕は救える命は救いたい。今回の彼女も、キリルも根っからの悪人ではありません。身辺調査もしっかりしていますし…その…」
どう言えば納得してくれるだろうかと考えを巡らせていると、フェリックスのものであろう深いため息が聞こえてきた。
「まったく…お前は…。頼むから、あまり心配をかけないでくれ」
フェリックスの大きな手がするりとアデルの頬を撫でた。
「はあ…すみま…せん…?」
形ばかりの謝罪をしながら、いつもと違うフェリックスの行動にアデルの頭には疑問符が浮かんでいた。
「小さいな…」
感慨深げに、フェリックスが呟く。
「こんな小さな体でいつも俺達を守ってくれていたのか」
「それがお役目ですから…」
フェリックスの長い指に撫で回されながら、訝しげにフェリックスを見上げると気遣うような青い瞳と視線が合った。
「アディ…これからは、俺が守るから」
今まで聞いたこともないような優しい声で囁きながら、フェリックスの顔が近づいてくる。
ん……?
「いやいや、それじゃ意味がないですから…というか、顔が近いです、殿下」
慌てて制止しようとするも、フェリックスの顔はどんどん近づいてくる上にいつの間にか両手で頬を固定されていて動けない。
今にも唇が触れそうだったとき。
「アディ!!」
ドアを壊す勢いで入ってきたのは銀髪の麗しい青年、ブランシュだった。
驚いて反射的にフェリックスを突き飛ばしベッドから飛び降りたアデルは、ブランシュに駆け寄った。
「ブランシュ様、殿下の様子がおかしいです」
抱きつく勢いで飛び込んできたアデルを、ブランシュは線の細い見た目にそぐわないしっかりとした力で受け止めた。
「アディが目を覚ましたって聞いて、お祈りを済ませて急いでここに来たけど…アディから僕の腕の中に飛び込んできてくれるなんて嬉しいなぁ」
ブランシュを神秘的な精霊神子と呼んでいる人々が見たら唖然としそうなほど、ニコニコと笑いながらアデルを強く抱きしめてくる。
「ちょ…ブランシュ様…」
アデルが慌てて離れようとするものの、ブランシュの力は強い。
(この人、めちゃくちゃか弱そうなのに…)
抵抗しているうちに、ブランシュに抱き上げられてしまう。
「降ろしてください…っ」
「だめだよ、アディ。病み上がりでしょ」
ジタバタと暴れるアデルを、この細身の体のどこにそんな力があるのか…容易く抑え込みながらベッドへと運ぶブランシュにアデルはいよいよもって混乱していた。
フェリックスだけでなく、この人も様子がおかしい。
まるで壊れ物のようにそっとアデルをベッドに下ろすと、ブランシュはその白い頬を優しく撫でた。
「心配したんだよ」
はちみつの中に砂糖を溶かしたかのような甘い声に、アデルの頬に熱が集中する。
「ご心配をおかけして…すみません…でした…っ」
なんとか声を絞り出すもののブランシュの美麗な顔をまともに見れず、アデルは顔をそらした。しかし顔をそらした先でもまた、整った顔の美青年がアデルを慈愛に満ちた目で見つめてくる。
「お前に毒が効かないのは分かっているが、それでもこうして寝込むだろう。お前が眠ってる間、俺は生きた心地がしなかった」
この王子は自分にこんな事を言うような人間だっただろうか。綺麗に歪められた顔を見て、アデルの頬に再び熱が集中してくる。
「本当に…大丈夫なんで…」
耐えきれずにふいっと目をそらすと今度はブランシュによって手を取られ、その形の良い口元に引き寄せられた。
「え、ちょっと…ブランシュ様…」
先程から困惑に困惑を重ねていたアデルだが、さすがにフェリックスの前でこれはまずい、と手を引っ込めようとする。しかし、やはりびくともしない。
「前に君に言われたことが有るよね。自分の力で望みを掴み取れって」
アデルの手の甲に口づけながらブランシュの赤い瞳がアデルを真っ直ぐと見つめてくる。その瞳が妙に真剣で、アデルは目を逸らせなくなった。
「だからね、大精霊様に頼んだんだ。君を守れる力をくださいって」
「は…え…?」
ブランシュの言葉が頭に入ってこない。確かに前にそのようなことを言ったことがある。しかし、それはブランシュがフェリックスとの未来を憂いていたからだ。
「そしたらね、精霊たちが力を貸してくれることになって精霊魔法が使えるようになったよ」
さすが精霊神子。チートじゃないですか。それが出来るなら自分の守護は必要ないのではなかろうか…。いや、でもまだ過激派の調査終わってないしな…。考え込みそうになったアデルの意識を引き戻したのは続けられたブランシュの言葉と行動だった。
「だから、ね。アディ、もう君がこんな危ないことをする必要はないんだ。これからは僕らが守るから。精霊の加護を君のためだけに」
ちゅ、と音を立てて指先に口付けられる。
いやいやいやいや、なにしてんのこの人。恋人であるフェリックス第二王子殿下の前で。堂々と浮気?このくらいなら浮気にならないかな。
アデルが再び思考の海に沈みそうになった時、ぐいっと後ろから引っ張られ何か硬いものに身を預ける形になった。
「アディ」
アデルの腕を引いたのはフェリックスであり、アデルが身を預けることになった硬いものはフェリックスの胸板だった。先ほどまでと比べて低いフェリックスの声にアデルは頭を抱えたくなった。
「違います、殿下。ブランシュ様はおそらく、僕を弟のように思ってくださってるので…」
恋人が目の前で他の人間を口説くかのような真似をしていたらそれは怒る。とはいえ、その怒りを自分にぶつけられても困るのだ。しかし、
「アディ、俺は…大切なものを守れるようになった」
真剣味を帯びた声で告げられたのはアデルが予想していない言葉だった。
「出会ったばかりの頃、俺に大切なものを守るために強くなれと言ったのはお前だ」
確かに言った。大切なブランシュ様を守れるように強くなってくださいと。そうなれたことは大変素晴らしい。素晴らしいけれども、それをアデルの髪にキスをしながら告げることだろうか?恋人の目の前で。
「あの…」
「俺はもう、自分の力で守れる。だから、危ないことはしないでくれないか」
先ほどからの恋人同士であるはずの二人の青年からの理解しがたい行動に、アデルの思考は一周回って冴えてきた。
「あの、一ついいですか」
一通り混乱したおかげで冷静になったアデルは相変わらずアデルの指先を口元に当てているブランシュと、アデルの頭を抱え込むようにキスを落とすフェリックスを交互に見遣った。
「なんだ?アディ」
「どうしたの?アディ」
どこからそんな甘ったるい声が出るんだ…というくらい、甘い声で名前を呼ばれる。
「僕、まったく状況が掴めないんですけど…お二人は恋人同士ですよね?」
見目麗しい二人の青年の間に自分が入り込んでいる図が居た堪れなくて抜け出そうとするも、びくともしない。とりあえず、二人には自分たちの関係を思い出してもらおうとアデルは疑問を投げかけた。しかし、返ってきたのは予想外の言葉だった。
「いや、違うぞ」
「ちがうよ」
「はい?」
さも当たり前のように言われてアデルは唖然とする。
「いや、まあ、俺とブランが惹かれ合っていたのは事実だ」
今度はフェリックスがアデルの空いた方の手を取って口付けてくる。
「でも、恋人同士だったわけじゃないよ。お互い大切で、死ぬまで共にあろうとはしていたけど」
それは、恋人同士では?という疑問が顔に出ていたのだろう。感情を表に出さない訓練を受けているアデルだが、どうにもこの二人の前ではポーカーフェイスが保てなくなる。そんなアデルの表情を見て、フェリックスが優しく笑った。
「俺たちが惹かれ合っていたのは、元は同じ人間だからだ」
更に理解が出来なくてフェリックスの顔を見つめると、フェリックスの頬が赤くなった。
「あまり可愛い顔をしないでくれ」
「してませんけど…」
黙っていようと思ったのに思わずツッコんでしまった。
「アディは可愛いよ。可愛くて、いつも真っ直ぐだから、僕たちは君に惹かれたんだ」
それはそれは麗しい笑みを浮かべながら、精霊神子が告げてくる。
「精霊王様から聞いたんだよ。僕とフェリは初代の王様の魂が二つに別れた存在なんだって」
アデルはもう、難しいことを考えるのは辞めることにした。どうせ、理解できない。そういうものなんだ、受け入れよう。
これが、アデルの素直なところであった。
「だから、同じ人間に惹かれるのも当たり前のことだ」
ここでアデルはようやく事態に気がつく。
「もしかして…僕、口説かれてます?」
伺うように問いかけると、フェリックスとブランシュの二人は蕩けるような笑顔を見せた。
「鈍いところも可愛いね、アディは」
「ずいぶん前から口説いていたんだがな」
アデルは知らない。こんな風に笑って、こんな言葉を投げ掛けてくる二人は。アデルの知る二人は、お互いを大切に想い、穏やかに愛を育む姿だ。あの空間は誰にも侵せない、それこそ神聖な空気が流れていた。
それなのに、今、アデルを挟んでアデルを見つめてくるその瞳には熱がこもっている。【男】の顔をしている。間違いなく、人間の男だ。
「どうしてこうなった」
思わずげんなりとしながら呟いた。右にも左にも人間離れしたいい顔の青年がいて、しかも砂糖を煮詰めたかのような甘い声と表情で何故か口説いてくる。正直お腹いっぱいだ。胸焼けしそうだ。
アデルはただ、互いを大切に思うフェリックスとブランシュが何の心配もなく愛を育むことが出来る環境を作りたかっただけだ。そして、国王からの謝礼をもらって世界を見て回りたかった。そのために身代わりの婚約者になったし、過激派たちを潰すために暗躍してきた。
必要以上に関わらないようにしてきたはずなのに、いつからこの二人は。
(いやいやいやいや、冗談じゃない)
非常にまずい事態だ。婚約の解消はどうなる。アデルの最終目標は婚約解消後に世界を回ることだ。世界を見て回って、安住の地を見つけて、そこでスローライフを送ることだ。王子妃にも、ましてや王妃にもなるつもりはない。
「あの、この婚約は仮初のものだと思うのですが…この件が片付いたら解消されるもの、ですよね…?」
恐る恐る尋ねれば、フェリックスは当たり前のように「婚約は解消しないぞ」と宣った。思わずアデルは「はあ?」と声を上げてしまう。何度も言うが、不敬とか知ったことではない。
「ああ、アディは婚約が解消されたら冒険の旅に出る予定だったっけ?」
なんでブランシュ様がそれを知ってるんだ、とかそんなことはどうでもいい。アデルはコクコクと頷いた。
「悪いが諦めてくれ。視察で連れて行ってやるから」
フェリックスがアデルの頬を包み込み、額にキスを落としながら言う。ブランシュはブランシュで、アデルの小さな手を包み込むように指を絡めてきた。
アデルは再び困惑していた。色々と言いたいことはあるし、逃げ出したいものの今はこの色男二人を振り払う術もない。何より、恋を知らないアデルはこの甘い空気が耐えられない。助けを求めるようにアンナを探すも、いつの間にか姿が見えなかった。どうりで、さっきから静かだと思っていた。
(ア、アンナめ〜〜〜〜!!!)
面倒になって逃げたに違いない。
「あ、あの、お二人ともひとまず離れて…くださ…」
可哀想なくらい真っ赤になっているアデルを見てフェリックスもブランシュも妖艶に笑う。今のアデルには刺激が強すぎる。
やっぱり、この二人には関わりたくない。あれほど訓練して身につけたポーカーフェイスも、この二人の前では取り繕うことさえ出来ない。普段は冷静に回る思考もまったくまとまらない。これはブークリエ家としては失格だ。とはいえ、アデルがこういう色事に弱いのはひとえに兄のせいである。アデルの兄、ゼファーがアデルに色事の耐性を付けることが出来なかったからだ。
オーバーヒートしそうになって気が遠くなりそうになったアデルの耳に「アデル!!!」と騒々しい聞き慣れた声が届いた。続いてバタン!!と扉が開く大きな音。
「に、兄さま……」
ゼェハァと息を切らしながら立っていたのはアデルの兄、ゼファーだった。救世主だ。今のアデルにとっては。例え、この状況を見て鬼の形相をしていようとも。
「フェリ…うちの可愛いアデルに何をしてる?」
地を這う声とはこのことだろう。ゼファーのこのような声は聞いたことがない。いや、アデルに不埒な事をしようとした相手にはこんな声を出していたかもしれない。
「なんだ、ゼファーか。よく突破したな」
チッと舌打ちが聞こえたのは気のせいだろうか。ボロボロの兄の姿に、この王子が何をしたのか…想像したくなかった。
「お前…アデルに手を出すためか!俺がアデルの元へ行くのを妨害したのは!」
「婚約者なんだから問題ないだろう」
「一生責任取るからね」
しれっと言い放ちながらこめかみにキスをしてくるフェリックスと、兄の存在をまるっと無視しながらプロポーズまがいのセリフを宣うブランシュ。もう、何なんだ、この空気。僕も逃げたい。兄の乱入で冷静になってきた頭は現実逃避をはじめた。
「お前ら…アデルから離れろぉ!!!」
兄の怒声と、煽る王子と、それを見てニコニコと食えない笑みを浮かべる精霊神子に囲まれながらアデルは心に誓うのだった。
(全部片付いたら、夜逃げしよう)
読んでいただきありがとうございました!
誤字脱字などありましたらご報告いただけると幸いです!
こちらはいずれお話の展開が変わってきますが、連載版も書きたいなと思っております!