先生たちは何故認めたか?
《男子部》全員から軽蔑の眼差しを受けた大熊は居た堪れなくなった。しかし、《男子部》を野放しにすれば失職は避けられない。彼は大人の体裁や面目をすべて捨て自分より年下の生徒達に綺麗な土下座を披露した。
「頼む、皆には黙っていてくれ! 俺は嫌がる生徒に手を出したことはない! 強要したり脅したりしたこともない! 合意の上だ! 関係した生徒にも聴いてくれてかまわん!」
「いや先生。これは明らかに児童健全育成条例に反した犯罪です。黙っている訳には――」
「何が望みだ!? 単位か!? 金か!? 欲しいものは何でもやる! だから頼む! 黙っていてくれ!」
「うわー……保身のために全てを捨てやがったよコイツ……」
「生徒会長といい……ウチの権力者は何でこんな奴ばかりなんだろう」
「名門学校が壊れる訳ですね」
警察や教育委員会に差しだすのは容易い。だがいざという時に味方に引き込める教師とパイプを作るのも悪くはなかった。本気で生徒を襲うような屑であれば通報ものだが、それはなかったというので一旦は目を瞑ることにした。
学校から逮捕者を出せば自分達が進学する際に足枷になるかもしれない。学校の評価を落とさないようにするという打算もあった。
正義感の強い真鞘は難色を示したが、《男子部》で大熊を見張ればいいという大雅の説得により渋々了承した。
そして協力者となることの条件として最初に提示したのは「全校生徒男の娘化の理由」について知っていることを洗いざらい吐くというものだった。
「俺も詳しいことは分からん。ホントだ! 俺は今年度で就職二年目だからな。最初は名門男子校そのものだったんだ。だが勤務半年くらいだったか? 次第に女装する生徒が増え始めた。注意する先生方もいたんだが……なぜか黙認されるようになった」
大熊は嘘はついていないようだ。彼が提示した指導記録にも当時の生徒の女装について注意する旨が記載されていた。
保身に走った彼は従順であり、生徒には隠される職員会議の議事録すらも持ちだしてくれた。そこにも『最近の風紀の乱れについて』や『生徒の女装への対策』が記されていた。
「当時は問題になったのか。そりゃそーだわな」
「ですが現状を鑑みるに教職員サイドが完全敗北したようですね」
「一般的な教職員を黙らせるとなると、校長か理事会等の上位組織が動いたのかもしれん」
「いや、決めつけるのは早いんじゃねェの? 今の大熊のようにセンコー共が何らかの脅しに屈したのなら黙認に繋がる。生徒会長を脅迫するような連中だぞ?」
大雅たちが話している間一人だけ会話に置いていかれる天満。頭がついていってないが《男子部》は気にすることもなく議論を続ける。
手掛かりとして目をつけたのは議事録の詳細だった。はじめは強硬反対派だった教職員たちが徐々に黙認派へと変わっていっていることがその内容から伺えた。
『カマヤロウに人権はない』『即刻退学処分とすべき』などと過激な発言をしていた教師もいたのに、それから数か月が経過し「女装問題」が議題に上がった最後の職員会議では反対派が誰もいなくなっている。これは一体どういうことなのか。職員室に戻り、詳しい話を聞いてみることにした。
――元反対派教師の証言① 【熱血体育教師の場合】
下半身はジャージに上半身はタンクトップ、おまけに髪型はパンチパーマといういつ時代錯誤の教職員に質問するとすさまじい眼光で睨み返してきた。
「俺だって認めたくはなかったんだ。名門男子校だぞ! 当たり前だろ!」
『ではなぜ今は黙認しているのですか?』
「俺は野球部の顧問をしてるんだが、〝部員達が大会で結果を出せたら認めてほしい。惨敗すれば頭を丸めて反省する〟と言いだしたんだ。その賭けに乗ったんだよ。結果はコールドゲーム。地方大会で圧勝しやがったんだ。男に二言はねぇ。何より優勝したアイツらの笑顔は眩しかったからな」
そう証言する体育教師の机には優勝トロフィーを掲げる男の娘部員達に囲まれてまんざらでもない表情を浮かべる彼の顔があった。
男子校という女性への免疫を弱くする環境で見た目美少女の男の娘達に囲まれて絆されていったのだろう。
(爽やかな正攻法で逆に好感持てるなっ!)
正攻法で顧問に「男の娘」を認めさせる野球部員達のスポーツマンシップとファインプレーの数々に天満は普通に感動してしまっていた。
――元反対派教師の証言② 【教職二十年昭和脳国語教師の場合】
眼鏡拭きで磨いた眼鏡を掛けなおす国語教師はため息交じりに話し始める。
「私も強硬に反対したさ。武刀に赴任する前から国語を馬鹿にするチンパンジーのような生徒を二十年相手にしてきたんだ。理論武装で私に勝てるはずもない」
『ではなぜ今は黙認したのか?』
「放課後、ある生徒が教えを請いに来たんだ。男の癖にスカートを履く奴に教えることはないとつっぱねたんだが、その生徒はあるものを差し出してきた」
『一体何を?』
「私が学生時代に書いて入選した詞だよ。恋い焦がれる少女の気持ちを現したものだが、その子は「この主人公の気持ちになりたくて女装をした」と言ったんだ。「こんな素晴らしい詩を書ける先生に教えてほしい」……と。そこにいたのは男子生徒ではない。彼、いや彼女の心に大和撫子を見た。今ではあの子との放課後の一時が日々の楽しみなんだ!」
引き出しには夥しい文通が全て保存されていた。
文学系の男の娘と並んで撮影したと思われる写真まで飾られていた。
手紙にほおずりする教師を光輝は死んだ魚のような目で見つめる。
(ヤロウ……落ちやがった……)
――元反対派教師の証言③ 【学年主任生真面目数学教師の場合】
尋ねるなりその教師はプルプルと震え始める。
そしてぐったりと肩を落とした。
「俺は嵌められたんだ」
『嵌められたとは?』
「女装生徒を生徒指導室に連行して説教したんだ。しかし向こうもヒートアップして最後は掴み合いの喧嘩だ。その際に彼の衣服は乱れ、その体に覆いかぶさる形になってしまった。後は分かるだろう? その瞬間が誰かに盗撮されて口封じされた」
『誰かに直接脅されたのでしょうか?』
「いや、脅迫は手紙だったよ。少なくとも揉めた生徒本人ではなかった。きっと揉める相手はどの生徒でも良かったのだろう。私が生徒の肌着を脱がそうとしている絵面を撮影できればな」
質問していた一樹の脳裏に生徒会長との一件が想起された。
手口が全く同じなのだ。男性と女性がトラブルになれば男が悪者になることが多い。漢と男の娘でもそれは同じである。要は可哀そうな絵面がとれればよいのだ。
(やはり同一犯の仕業ですかね)
学内に男の娘を広めたい謎の勢力がいるのは間違いない。
ただその正体は未だに不明である。
――元反対派教師の証言④ 【頑固一徹学校長の場合】
窓際から帰宅する生徒達を見下ろしながら校長先生はポツリとつぶやく。
「武刀高校を預かる者としてワシは反対だった。今でも反対しているつもりだ」
『その割には積極的な活動を感じないのですが?』
「知っとると思うが私立は政府の助成金と父兄の寄付金に支えられとる。その中でも多額の寄付をして下さるご家庭が息子の女装を認めなければ寄付を打ち切ると言ってきた。それでもワシは反対したんだが学校法人を運営する理事会の意向には逆らえるはずもない」
在校生の父兄まで協力している。
理事会の圧力もあったのかと推測していた自分の見解も強ち間違いではなさそうだちと真鞘は顎を摩る。
男子部は聞きこみの中でそれとなく尋ねたが、『女の子になりたかった生徒』や『男性恐怖症の生徒』『社会実験』などに教師達は心当たりがないようだ。教師の知らないところで生徒が独断で起こした可能性もあるが、少なくとも事前にそう言った類の相談は聞かなかったという。
話をまとめると、女装に反対した教師達は様々な手段で陥落させられていた。
教員より生徒数が圧倒的に多いのが学校の特徴である。教師の趣向に合わせて様々な人材を宛がえば攻略できないはずもない。
正攻法による交渉にはじまりハニートラップから脅迫、経済制裁までありとあらゆる手段で女装を認めさせていた。
部室に戻った男子部一同はその壮大さとバカバカしさに肩を落としていた。
「たかが女装に本気出し過ぎだろ……もっと精力的に活動すべきことがあるだろうに」
「圧倒的な執念を感じるな。さながら仇を前にした侍のようだ」
「チッ、益々分かんねー……」
「分かったことといえば、首謀者は幅広い人脈を持っているということですね」
「でも犯人は悪いことしてねーと思うぜ。俺が見つけた『学校への意見書』でもみんなの親は良いことばっか書いてたんだ。漢字が多くて全部読めなかったけどっ」
天満が何かの資料をぺらぺらとめくりながら呟く。
漢字が読めない馬鹿野郎に任せていても先に進めないので大雅は強引にその紙束をひったくった。
「馬鹿野郎! それを早く見せねーか!」
「私の調査でも父兄が協力的だという証言があった。案外根が深い問題なのかもしれんな」
天満が持ってきた『学校への意見書』のまとめを見てみると、確かに好意的な意見に溢れていた。
例を挙げれば、不登校だった息子が楽しそうに通うようになったというものや、虐めがなくなりクラスの輪に入れるようになったというもの、無気力だった息子がお洒落に目覚めてネイルアーティストを進路に考えるようになった等々枚挙に暇がない。
まるで情報統制されたかのような「息子が女装でこんなに変わりました。息子の将来諦めないで」という文字の羅列が並んでいる。
視覚から常識という概念を破壊しに来るのだ。男子部たちの動揺が体の所作にあらわれ、冷や汗を流す者、目を泳がせるもの、ガタガタと震える者もいた。
中でも深刻なダメージを受けたのは光輝であり彼は発狂寸前に陥った。
「オイオイ、どうなってやがる? やっぱり俺達が間違ってるのか!?」
「気をしっかりもて! 御手洗! 俺達が諦めれば武刀は名実ともに男の娘校になっちまうぞ!」
「目に見える情報に踊らされるな。長期的に見れば、生徒の将来に悪影響を与えかねない。何が生徒のためになるか心眼で見極めるんだ」
「そうです! きっと隠されているだけで不幸になっている生徒だっているはずです! 現にボク達は混乱しているじゃないですか!」
「コウキ、よく分からんが、がんばれっ!」
仲間達の激励に光輝は少し平静さを取り戻したらしく「悪かった」と青い顔で呟いた。完全に立ち直ってはいないのだろう。他の部員達も平静を装っているが表情からは疲労が見て取れた。
「みんな、初日から調査で随分疲れてるだろう? すまなかった。今日は帰ってゆっくり休んで英気を養ってほしい」
「それがいいだろう。私も道場で精神統一に励まなければ心が持たん」
「まァ、帰ったところで悪い夢を見ちまいそうだがなァ……」
「ボクたちは今まさに悪い夢を見ていますしね」
「なんだよ、もう終わりか? つまんねーの~」
天真爛漫の天満を除き、他のメンバーは解散に賛成していた。
生徒への聞き込み、生徒会長との相談、教職員への聞き込みと初日にしては中々重厚な活動となってしまった。首謀者の存在が明らかになったのは大きな収穫であるが、彼らの目的はまだ確定していない。そして一日使った調査で生徒達を自発的に元に戻すのは困難だということも分かってきた。男の娘発生源となった首謀者を特定しなければ男子校を元に戻すことはできない。
「明日からは先輩への聞き込みを中心に活動していくか。首謀者は何をもってこんなバカなことを始めたんだろう?」
一樹の指摘通り犯人は女の子になりたかったのか。または真鞘の言う男性恐怖症から強硬手段に出たのだろうか。もしくは光輝の社会実験の一環という主張が正しいのか。
今日の《男子部》の議論を反芻しながら大雅は家路についた。
先生たちもなんだかんだと陥落しています。
この学校の教師陣営は結構腐敗していますね……。名門校の影です。
討論から部活創設、聞き取り調査まで行いましたがまだ登校一日目です。
かなり濃厚な一日でした。
こんなにカロリーが重い入学初日を迎える高校生はタイガくん達以外いないでしょう。
次話は一夜明けて二日目。再び大きく物語が動きます。