理想の恋人
――翌朝、大雅は美味しそうな匂いで目が覚めた。
重い瞼を開いて目覚まし時計を確認してみる。登校時刻には充分余裕があった。
腰が重いのは入学三日目にも拘らず非常に濃い日々を過ごしてきたからだろう。
「《男子部》には寝る前にグループメッセージ送ったし、今日はアイツらと登校できそうだ」
集団登校すれば昨日と同じ轍は踏まない。例え少人数でも固まればあの疎外感を味わうことはない。一人でなければ登校中に発狂することもないはずだ。
寝覚めの精神統一を終えた大雅が制服に着替えているとノックの音が聞こえてきた。
扉が小さく開いてよく知るクラスメイトの顔が見える。
「おはよう、安河内君。ごはんできてるよ~」
「おう、悪いな山田――ってヤマダァ!? なんで俺ん家にいるんだよ!?」
不本意とはいえ昨日彼と恋人関係になったのは事実だ。だがこれが仮にノーマルカップルだとしても付き合った翌日に彼氏の家に潜入してくるのはドン引き案件である。第一住所をどうやって知ったのかが謎だ。独自に調査したのだろうか。大雅はただでさえ漢との交際は遠慮願いたい心境だったが、さらにヤンデレ属性持ちなら非常に厄介なことになる。
しかし、山田幸一郎の笑顔に悪意を感じなかった。彼は携帯電話をエプロンのポケットから取り出して画面を見せつけてくる。
「昨日寝る前に『明日一緒に登校しよう。俺の家前集合な』って住所つきで送ってきたじゃない? もしかして寝ぼけてる?」
「あっ……それは……」
なんと大雅が《男子部》に送ったと思われるメッセージは恋人の幸一郎に届いていた。就寝直前に《男子部》を登校に誘うことを思い出してメッセージを送信したつもりだったが間違えて彼に送信していたらしい。既に半分寝ぼけていたために既読がついた瞬間に安心して寝落ちしてしまっていた。
結果、大雅が幸一郎を登校に誘った形になっていたのだ。几帳面な文面の返信も残っている。これは確認を怠った大雅が完全に悪かった。今更間違いだったと否定はできない。
「ははは、お前の言う通り寝ぼけてたみたいだ」
「もう、しっかりしてよ~。先に顔洗ってきたら?」
一階に降りて洗面所に駆けこむとトイレから母親が出てきた。彼女は息子の顔を見ると挨拶さえ忘れてニヤニヤと意味ありげな含み笑いを見せてくる。
「聞いたわよぉ。クラスメイトの山田ちゃんと付き合ってるんだって? もう、入学二日で恋人作るなんて恋愛上級者と言われたお母さんでもそこまで手が早くなかったわよ」
「っせーなぁ! 俺にも事情があるんだよ! それより何で家に入れたんだ!?」
「今朝新聞取りに行ったら家の前で待ってる可愛い子と目が合ってねぇ。アンタの恋人だっていうから家に上げたんだよ! 朝ごはんまだだから一緒に食べてく? って誘ったら私に作らせてくださいっ! ってお願いしてきたのよぉ。できた娘さんじゃない?」
(外堀から埋められてきてやがる……)
母親は肝心なことを見落としていた。息子が通っているのは男子校なのだ。
キッチンを覗くと鼻歌交じりに上機嫌で食器を用意する幸一郎の姿が見える。
大雅は彼に聞こえないように小声で母親に耳打ちした。
「知ってんだろ? ウチは共学じゃなくて男子校なんだよ! つまりアイツは男なの! ああ見えてY染色体持ちなわけ! Understand?」
「あら、そうなの? お母さん、彼女さんがツイてる子でも気にしないから。BLは大好物だしねぇ!」
「この熟女腐ってやがる! 少しは気にしろよ! 将来孫の顔見れねーぞ!」
今日ばかりは母の包容力が憎らしかった。
洗顔を終えて席につくと、既に料理が食卓に並んでいた。
焼き上げたばかりの塩焼き秋刀魚には大根おろしが添えられている。大雅が席についたタイミングで空だったお椀に熱々の白米が盛りつけられた。炊き立てを提供するために配慮していたのだろう。サラダも綺麗に盛りつけられており、健康と美醜に気を使ったラインナップが机に並んでいた。
「さぁ冷めないうちに召し上がれ☆」
食指が刺激された大雅は唾をごくりと飲み込んだ。
箸に手を伸ばした彼の心に悪魔が囁いた。
(待てよ、ここで山田の手料理を糞味噌に酷評すればアイツは俺を嫌うんじゃねーか?)
男女の破局原因として挙げられる理由の一つは恋人の横暴である。付き合う前の友人関係では礼儀を重んじて相手を尊重する態度なのだが、恋人になった瞬間、乱暴になり相手を奴隷のように従わせたり、罵倒したり、暴力を振るうようになるのはざらにある。
早く別れたい大雅は敢えてクソ野郎として振舞い、恋人が腕によりをかけて作った料理を貶すことで彼からの愛情を枯れさせる作戦に出た。
脳内イメージは以下の通りである。
◆破局シミュレーション①【横暴なカレ】
「ヤマダァ、舐めてんのか! こんな塩辛い味噌汁が飲めるか! こんなモンはゲロだ! 泥水だ! 人間の食いもんじゃねーんだよ!」
味噌汁を器ごとぶっかけられたことで失意に膝をつく幸一郎。落ち込む彼に見せつけるように大雅は他の料理も床に捨てていく。
「ひどいっ! 安河内君がこんなDV野郎だとは思わなかった。私達もう終わりよ!」
完璧な破局シミュレーションである。
自分の努力の結晶を侮辱されて怒らない人間はいない。山田の涙を妄想して心が痛んだが、今は悪魔に魂を売ってでも嫌われなければならない。だがこの手段では破局は可能だが、のちの交友関係に悪影響が出かねない。校内で悪評を広められて孤立はしたくなかった。そこで次の手段が模索される。
◆破局シミュレーション②【馬鹿舌のカレ】
「山田、重要なものを忘れてるぞ。ちゃんと用意してくれなきゃ俺の恋人失格だ」
「え? え? 調味料もあるし、お茶もデザートもあるけど……」
「馬鹿野郎! マヨネーズがなきゃ始まらねーだろ!」
冷蔵庫からマヨネーズを取りだした大雅は魚やサラダだけでなく、味噌汁やヨーグルトにもマヨネーズをドバドバとかけ始める。終いには「マヨネーズフラペチーノだ」とお茶にまでマヨネーズの蜷局を巻かせたところで幸一郎は限界に達した。
「味覚の合わない人とはやっていけません。実家に帰らせてもらいます」
今度こそ完璧だ。これなら馬鹿舌の悪名は免れないが人物評価まで下げることはない。その後のことも考えた円満離縁といえる。
現実世界に回帰した大雅は箸を強く握った。料理を貶すか馬鹿舌を披露すれば山田幸一郎は愛想を尽かして自ら離れて行くだろう。作戦は決まった。後は実行するだけである。
「安河内君の口に合えばいいんだけど……」
幸一郎は上目遣いに大雅の評価を待つ。
人でなしになる覚悟を決めた大雅は味噌汁の器を持った。ゆっくりと口に器を持って行き、角度を傾けて口の中に汁を注ぎこんでいく。
その一滴が舌に付着した瞬間、彼の味覚に電撃が走った。
「うっ……うめぇ……」
味噌の調合は完璧と言っていい。加えて豆腐とワカメの味も十分に引き立てている。スーパーに売ってあった安物から作られたとは思えない自然な旨味を感じさせる。いつも母が作る味噌汁も不味くはないのだがそれと比較するとまろやかで優しい味わいだった。
「隠し味にみりんを使ったんだ。気に入ってもらえたかな?」
「ああ。こいつはいける!」
「ホント、料理上手ねぇ。お嫁さんに欲しいくらいよぉ」
「えへへ~」
大雅は思わず箸を進めて料理を平らげていくが、途中で自分のミスに気づいた。料理を酷評しなければならないはずだったのに美味しいと褒めてしまったのだ。
(くっ、今更マズいなんていえねぇ。魚の焼き加減といい、非の打ちどころがねぇ)
まだ終わってはいない。馬鹿舌を披露すべくマヨネーズに手を伸ばす。
ところが伸ばした手は大雅の意思に反してひっこめられた。彼の身体は幸一郎の料理を冒涜するマヨネーズ投入を拒否していたのだ。既に大雅の胃袋は完全に掴まれていた。涙ながらに「旨い、美味いよ」と呟く恋人に幸一郎は満足そうだった。
朝食を済ませて仲良く登校する二人。幸一郎に腕を組まれて登校する大雅は客観的に見てリア充カップルにしかみえない。すれ違う他校生達から嫉妬と羨望の視線が向けられる。
「チッ、見せつけやがって」
「朝から目の毒なんだよ!」
(クソッ! 男同士で登校してるだけなのに周囲から敵意を感じる……)
幸一郎は大雅の方しか見ていないため気づいていないらしい。
彼に纏わりつかれているため走ることもできず、ただ通行人がすれ違うのを待つしかなかった。すれ違いざまに幸一郎を一瞥する男達は顔が紅くなっているようだ。
(正直、山田のルックスは悪くねぇよな。コイツ、変な男に絡まれたりしないだろうか?)
昨日の自分の行動を棚に上げた思考回路である。無自覚にも恋人に対する心配の感情が溢れてきた。男が嫉妬の視線を向ける程に山田幸一郎は可愛いのだ。ストーカーや性犯罪被害に巻き込まれないか不安にもなってくる。
「なぁ、山田。変な男に付き纏われてるとかってないよな?」
「心配してくれてるの? ありがと。でも大丈夫! お父さんがコレを持たせてくれてるから」
そう言って鞄から取り出したのは携帯型ハンディータイプのスタンガンだった。電圧で暴漢の動きを封じる高度な防犯グッズである。女装した息子に持たせていることから彼の父親は相当な親馬鹿なのだろう。
(危っねぇ……。下手したら昨日俺がコレをくらってたんだよな……)
大雅は改めて幸一郎の優しさに感謝した。
山田君は理想の恋人です。ついていることを除けば。




