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夜間大学

作者: カニ

 大学の売店の屋上で葉巻煙突をしていた。ベンチに腰掛け、左手のスマホに西日が反射して眼を逸らすと、誰かが自分に近づいてくることに気づいた。大学生協関係者であれば面倒だ。

 この屋上は、自分含め愛煙家御用達の喫煙スポットなのだ。周囲の街路樹で外から見えにくく、それでいて屋上からは大学のある山の麓の学園都市が見渡せた。そのため、学内での喫煙が原則禁止となった今尚、愛煙家たちは挙ってここに来ていた。しかし、生協には当然クレームが入るらしく、職員に喫煙しているのを発見されると、大学関係者であろうと厳しく注意されるのだ。

 しかし、よくよく目を凝らすと馴染みのある顔であるのが分かった。

「こんばんは正木先輩。やっぱりここにいましたね。」

 聞き馴染みのある声がする方から、去年留学して以来碌に連絡を取っていなかった友人が歩いてきた。数年前に流行ったベージュのトレンチコートに、焦げ茶色のハンチング帽を併せている。

「若林か。その様子から察するにニュルンベルクから帰国したみたいだな。」

 私が彼の左手に提げている紙袋を見ながらそう話すと、彼は「目敏いですね」と笑いながら、ラッピングされたコイーバ・シグロの木箱を渡してきた。

「どうです? 無難ですが、なかなか好いチョイスでしょう?」

「お前…。いいのかこんなに貰って。かなり値の張るものだぞ?」

「いいのですよ。私の研究をリモートで手伝ってくれたお礼です。今後ともピンチの時はお願いしますよ。先輩。」

 そう言うと若林は、「早速ですが三号館大講義室に向かいましょうか」と端的に話し、両名は今日の要件に向かった。


 山際を滑りゆく夕日に照らされて、三号館の窓ガラスの隊列はきらりきらりと橙白色に煌めいていた。正木がエントランスに学生証を翳して入ると、三号館二階の大講義室前に、十人ばかりの人だかりがあった。工学部の学長に数理学科の学科長、外国人留学生達に加え、企業のオブザーバーらしき人物たちも数人見受けられた。

「なかなか盛況みたいだな。」

「そうでしょう。そうでしょう。何せ今日の講義は凄いですからね。『夜間大学』きっての名物講師陣ですから、正木先輩もきっと満足されますよ。」

 講義室の受付を済ませ、教壇の最前列から五列目の席に腰掛けた。

「あなたたちも小磯教授の講義を受講しに来たんデスか?」

 隣の席からカタコトで尋ねられた。見覚えがあると思ったら、中田研のベトナム人留学生グエンさんだ。今思い出した。

「お久しぶりです、グエンさん。中田研には馴染めましたか?」

「こちらこそ、お久しぶりデス。はい、馴染めてると思いマス。でもちょっとまだ日本語難しいデスね。」

 簡単な挨拶を交わしていると、大講義室の眩しすぎる照明が落された。辺りの聴衆たちがひそひそと呟き始めて、徐々にその声が鬱陶しく思えた頃、眼鏡を掛けた小柄な男性が登壇した。


「皆様本日は当イベントに参加いただきありがとうございます。本講義では我が国の持続的かつ自立した社会を形成するべく、国家を支える若き研究者、産業界を牽引する壮年世代の技術者が一堂に会し交流することを目的としています。つきましては、本日の講義の内容でございますが…」

 司会役の丁寧な挨拶の後、小磯教授とそのティーチング・アシスタント(TA)二人が壇上へ昇って行った。TAがパソコンを脇に挟み、両手に大量の配布資料を抱えて慌ただしく動き回っているのとは対照的に、白眉の教授はゆったりと卓上マイクまで歩み始め、用意されていた来賓用パイプ椅子に深く腰掛けた。パンフレットをめくる彼の指先は小刻みに震え、遠くからでも一つ一つの所作に老いを感じ取れる。

「ずいぶんと年を取られたようですね…。」

 若林は学部時代、小磯研に所属していた。身近で小磯教授を見ていた彼にとって、かつての恩師の老い曝えた様子を見ると自ずと感じざるものがある。かくいう私も教授の体調が芳しくないと風の噂で聞いて以来、久しぶりに会ったときは驚いたものだ。かなりの高齢であったとはいえ、病気を患うと人間此処まで衰弱するものなのだなあ、と少し怖く感じた。

「教授。準備が整い次第お願いします。」

 司会の男が丁寧な口調で話すと、教授はのそりと胴を前のめりにし、マイクに手を掛けた。

「では始めさせていただきます…。」


 弱弱しい立ち姿とは対照的だった。教授は自身の研究領域である、未来の輸送機械について話し始めた。その内容は示唆に溢れた魅力的なものであった。教授の乾いた顔立ちからは想像もつかないような若々しく、未来への展望に満ちた言葉の数々。

「…日本を含め世界有数の産油国たるアメリカですら、石油価格の不安定化は看過しがたい社会不安を引き起こしておりました。ですので、この核融合炉の小型化に伴う航空輸送機の大型化は、月面でのヘリウム3採掘の安定供給に支えられるべきであります。そのためには、今後政府の掲げているムーンショット計画に則り、月面へ一万人規模の移民を開始することが経済的合理性を持っていると言えます。今現在月面への移民は二千四百人を超えており、これは移民開始から最も多く…」


 教授の言葉の洪水に思わず気圧されそうになった。

「凄みのある講義だ…。若く勢いのある政治家の演説のようにも思えるな。」

「やはりまだまだ現役ですね。実にお若い。見てくださいあのキラキラした目!」

 迫真の講義をする教授は、さながら気力の溢れる学生のようにも見える。言葉を繰り出す速度はやや遅いが、頭の回転は衰えていないようで止めどなく情報を提示する。様々な案を推敲しては、メリットとデメリットをそれぞれ挙げ、「ああでもないこうでもない、ではどういったアプローチが今後求められるか」といった具合に、ひたすら議場の人となった。


 夜間大学という講義が終わり、私はそそくさと退室した。中ではまだ教授と大きな受講生たちが質疑と反駁、それの応酬が行われていたが、私は寧ろこういう体が熱くなるような講義を聴講した後は自身の研究室でグルグルと思案に耽りたい方だ。

「先輩。コンビニ寄りませんか?」

 若林がそう言ったので、私もコーヒーを買いにコンビニへ寄った。

「随分とコーヒーの値段が上がったなあ。」

「仕方ないですよ。輸送コスト、海峡封鎖、貿易戦争、…値段が高くなる要因が多すぎますね。今の社会は。」

「だからこその大型航空機なのだろうな。陸上輸送と海上輸送の良いとこどりをした大型航空機輸送という構想は、今や現実のものとなっている…。既存の空港にも容易に導入できるという点が素晴らしいよ、まったく。」

「空飛ぶコンテナ船ですね。」

 コンビニを出て、真横のベンチスペースで寛いで夜空を眺めていると、冬の大気が揺れているような気がした。

「あ! 先輩あれですよ。今日話に出てた飛行機。」

 若林の指差す方向には、まるで宇宙船のように重厚で、軽快に空を押しのけて進む未来の航空機の姿があった。

「福岡空港に向かうやつだな。方向的に。」

手が届きそうなくらい低空なのに、ジェット音も無く静かで気が付かなかった。

真冬の空の冷たさと熱いコンビニコーヒーの熱を肌身で感じながら、その宇宙船が建物の陰で見えなくなるまで目で追った。次の便は三十分後に来るらしいから、研究室から眺めようとその場を離れた。


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