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6. 仮面を被る者同士

 応接間のテーブルには、淹れ立ての二人分の紅茶と、花をかたどったクッキーが用意されていた。そして先ほど彼が言ったように、侍女や従者の影はない。護衛騎士は扉の前で待機している。

 つまり今、ここにいるのはクレアとジュリアンだけ。

 ジュリアンに勧められて二人がけのソファに腰かける。凝った意匠が施されたソファは座り心地も申し分ない。沈みすぎず、かといって硬すぎず、適度な柔らかさだ。長時間座っていても疲れないだろうなと思わせるほど、一流の職人が手間暇かけて作った家具だとわかる。

 対面の一人がけのソファに座ったジュリアンは、優雅な所作で紅茶で喉を潤していた。一連の動きも絵になるほど洗練されている。

 急に場違いな気がして、クレアは自然と肩に力が入る。

 付け焼き刃のマナーしか会得していない自分では、彼の伴侶になるなんて、おこがましいにも程がある。そもそも王太子妃という座も、聖女でなければ得られなかったものだ。


(ほとんど庶民のわたしでは所詮、彼とは見る世界が違うのだわ……)


 ジュリアンの――王太子の妃となる器は自分にはない。

 聖女らしさを保つのにも苦労しているというのに、加えて王太子妃まで演じなければならないなんて、クレアには荷が重すぎる。その事実に、今さらながら恐怖を覚えた。


「あの……王太子殿下」


 震える唇を懸命に動かすと、ジュリアンはティーカップをソーサーごと机に戻して、優しく話の続きを促した。


「はい。何でしょう? 質問や不安、罵倒など、心のままに遠慮なくおっしゃってください」

「…………」


 何か不穏な単語が紛れていた気がするが、聞き間違いだろうか。内心首を傾げるクレアに、ジュリアンは穏やかな微笑みだけを返す。

 だから、きっと気のせいだろう、とクレアは心の中で断じた。


「聖女は……その、必ず王家に嫁がなければならないのでしょうか?」

「いいえ。そんなことはありません。聖女は女神の次に尊ぶべきお方。神聖なる聖女を王国の古いしきたりで縛り、無理強いすることは絶対にあってはなりません。……もし、あなたが王太子妃を辞退したいとお望みなら、そのように取り計らいます」


 よどみなく、すらすらと告げられて戸惑う。

 だって、すべてクレアがそうだったらいいなと思っていた言葉ばかりだったから。


「ですが、その前にひとつ、伺いたいことがあります」

「……何でしょうか」

「もしも私が王太子でなかったら……いいえ、ただのリアンとして求婚していたら、あなたの心は今と違っていましたか?」

「…………」


 ずっと心の中でくすぶっていた質問の答えを耳にし、クレアは押し黙った。

 目の前の彼は、やはりリアンなのだ。その事実に安堵する一方で、彼を深刻そうな雰囲気にさせている原因は自分だと思うと胸が痛む。


「少し……考えるお時間をいただけませんか?」


 なんとか絞り出した答えに、ジュリアンは王太子らしく余裕のある笑みで頷いた。


「ええ、もちろん。もとより、結論を急かすつもりはありません。まだ私たちの関係は婚約者。私が未成年である以上、すぐに結婚式を挙げることもあり得ませんし、この話を白紙にすることは充分可能です。……ゆっくり考えて、その上であなたの答えをお聞かせください」


 ◆◆◆


 婚約者との顔合わせから早二週間、クレアが寝起きする場所は神殿のままだ。

 本来ならば顔合わせと同時に王宮に戻る手筈だったらしいが、王太子であるジュリアンの意向でその話は撤回された。以前、スケジュールを詰め込みすぎたことにより聖女が倒れたことを指摘し、王太子妃教育もしばらくお休みになった。王太子様々である。

 おかげで王宮に通う理由もなくなり、貴族たちの好奇な視線にさらされることなく過ごすことができている。女神像に祈りを捧げ、国の守りを願う。

 政務に追われているジュリアンは多忙を極めているようだが、毎朝欠かさず花を一輪、贈ってくれている。朝摘んだばかりと思われる花はどれも瑞々しく、花瓶に生ける花の色や種類が日ごと増えていく。

 白で統一された部屋に色鮮やかな花たちが加わり、その一角を見るたびに自然と口元がほころぶ。もし贈り物が高級なドレスや宝石だったなら気後れしていただろうが、生花であれば心置きなく受け取れる。

 最初は一輪挿しの花瓶を使っていた。

 だが日に日に本数が増えたため、花瓶も大きいものに変わった。

 今では大小の花瓶に分けて季節の花が生けられている。花の種類や色が入れ替わったものもあるが、比較的長く楽しめている。


(……さて、今日のメッセージは何かしら)


 サイドテーブルに置いていたミニサイズの封筒に手を伸ばす。

 花が毎日届くようになった三日後から、純白のメッセージカードが同封されるようになった。初めて見つけたときは緊張したが、そこには「おはよう」と簡素な一言が綴られていた。

 まるで友人のような気軽さに拍子抜けしたのをよく覚えている。

 王太子としてではなく、下町で会ったリアンとしての気遣いに心が温かくなった。

 悩んだ末、花のお礼を一言だけ書いたカードを送ってからというもの、ジュリアンとは毎日一言メッセージを交わすようになっている。彼からは「昨日はよく眠れた?」「今夜は満月だよ」「ハーブには安眠効果があるんだって」といったリアンらしい一言で、読み返すたびに小さく笑いがもれる。

 当初はお互い無難に相手を気遣う文面だったが、五日も経てば話題は尽きる。

 次第に美味しかったデザートの感想、きれいな鳥の歌声、雨上がりの虹の美しさなど、とりとめのないことを好きなように書くようになった。

 今では、毎朝起きるのがすっかり楽しみになっている。

 封筒からカードを出して文字を目で追う。そして瞬いた。いつものように一言だけ書かれているが、今朝の内容はいつもとは違う。見間違いかと何度も読み返すが、美しい文字は変わらずそこにあった。


 今日、君に会いに行くよ――と。

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