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眩しいあの日々に、さよならを

作者: しろなす

 私は夏が嫌いだ。


 茹だるような暑さ、日の光を反射して輝く青い海。白い砂浜に、まるで太陽のような笑顔で私の手を引いてくれた君。それら全てがとても美しく、鮮烈で―


 そしてあの日々は二度と取り戻せないものだと私に鋭く突きつけてくる。







 






 まだ私が中学二年生の頃だった。毎年、両親に連れられて遠方の港町にある叔父の家を訪ねていた。


「鈴音様!もう出発されるそうですよ!」


「分かりました」



 侍女が私を呼んだ。私の父は大企業の社長であり、私はいわゆるご令嬢と呼ばれるような人間だった。だから私の家はとても広いし、侍女もいる。周囲との違いが気になる自分は、それを嬉しく思ったことはなかったのだけれど。


 螺旋状の階段を降りて玄関に向かう。白いサンダルを履いて外に出ると、父と母はもう既に車に乗っていた。


「遅いわよ、鈴音」


「早く乗りなさい」


「はい」


 そうして車に乗り込み、半日ほど経っただろうか。早朝に出発したが、港町の青い海が見えてくる頃には、昼過ぎになっていた。


「私たちは叔父様たちと大事な話をしてくるから、鈴音は一人で遊んでいてちょうだい」


「……はい」



 海が見える丘の上に建っている、叔父の家の前での母とのやり取りだった。その後、私はすることもなかったため、丘を降りて海辺へ向かうことにした。眩しいほどに輝く美しい景色は、ひとりぼっちの私をより惨めな気持ちにさせた。


 家族連れの観光客、仲睦まじく手を繋いで歩いている男女、海水を掛け合って大騒ぎしている若い女の子たち。砂浜には沢山の人がいたけれど、一人で歩いているのは自分くらいしか居なかった。


 砂と貝殻を眺めながら意味もなく砂浜を歩いていると、横から明るい少年の声が聞こえた。


「いらっしゃい!かき氷はいかが?」


 横を見ると、白い歯を見せて満面の笑みを浮かべている日に焼けた小麦色の肌の男の子。


 眩しい。それが初めて彼を見た時に思ったことだった。


 同じくらいの年に見える少年は海の家を指差しながら再びいかが? と聞いてくるので私は首を横に振った。


「……いえ、私はいいです。お金、持ってないので」


「じゃあ俺が払うから!今日はもう上がりなんだー」


 俺、海の家の手伝いしてんの、と言いながら私を手招きして歩き始める少年。こちらの言い分を全く聞き入れるつもりはないようだった。


「ま、待って……!」


「ん?どした?」


 知らない人に食べ物を奢ると言われて戸惑わないはずがない。私は戸惑ったし、警戒もした。彼の考えていることが分からなかったから。


「…………な、なんでそこまでしたいの」


「だって……ずっと下向いてるから。せっかく海に来たのに、いいことなかったらつまんないだろ?」


 悪戯っぽく笑って見せた彼の笑顔に、焦がされてしまいそうだった。それと同時に、警戒心が薄れていくのを感じた。そのまま私は彼に連れられて、海の家に向かった。


 シーズン中の海の家は大忙しで、お爺さんとお婆さんが忙しなく動いていた。少年はその横をするすると通り抜け、かき氷を作って持ってきてくれた。


「ほら、いちごかき氷。練乳いる?」


「……うん」


「っし。じゃあ増し増しにしとくわ」


「ありがとう」


 再び笑顔を浮かべた少年は、いつの間に作ったのか、いちごかき氷と一緒にブルーハワイのかき氷を持ってきていた。


 まるで海のような青いかき氷を頬張りながら、少年は話しかけてくる。


「君、どこから来たの?」


「……遠くから。だいたい半日くらい」


「そっか!来るだけで大変だなー。おつかれさん」


 誤魔化すかのようなぼんやりした私の返答も大して気にすることなく、にっこり笑った。


「俺はこの辺に住んでるんだけど、この時期はじいちゃんとばあちゃんの海の家の手伝いしてるんだ!」


「偉いね」


「そう?別に普通だよ。楽しいしね」


 親の力になることも出来ず、ただただ後ろをついて歩くだけの私と比べて、彼はとても立派に見えた。


「それでも、すごいことだよ」


「ふへへ、嬉しいな。ありがと」


 少年は目を丸くした後、照れ臭そうに頬を掻いて笑った。そしてこちらを見つめて、少し緊張した様子で言った。


「……君の名前、聞いてもいい?」


 私はあまり自分の名前を言うのが好きではなかった。父は大手企業の社長として有名だ。苗字を名乗ってその娘だと知れてしまったら、周りの人の態度は変わってしまうだろうから。


「…………あなたは?」


「あ、そういえば名乗ってなかったな。俺はナツキ。……名前、言いたくない?」


 やっぱ会っていきなりなんて怖いよな、と困ったように笑っているナツキくん。


 彼になら、言ってもいいと思った。


「…………スズネ」


「え?」


「……私の名前は、スズネ」


 ナツキくんは目を見開いたのち、だんだんと笑顔になっていく。そして、私の目の前に手を差し出した。


「よろしくな!スズネ」


「うん。よろしく。ナツキくん」


 その日から、私は両親と叔父の家にいる間、毎日海を訪れた。


 両親はいつも叔父とお金や会社の話をしているようだったけれど、全く興味は湧かなかった。両親も私の行動にそれほど興味がない様子だったから、海に行くのにちょうどよかった。多少遅く帰ってきても、滅多に文句は言われない。


 そして、海で毎日ナツキくんと会った。色々なことをして遊んだ。水鉄砲や競争にビーチバレー。海の家のお手伝いをさせてもらったこともある。全てが特別で、楽しかった。


 けれど、夏休みの間だけの滞在だったから、8月の半ばには帰らなくてはならなかった。


「ナツキくん」


「どした?」


「……私、明日帰らないといけない」


「……そっか。そうだよな、遠くから来てるって言ってたもんな」


「うん……」


「また来年! ここで会おうな、スズネ」


「うん!」


 そうして、私たちは別れた。


 次の夏を心待ちにして、胸が踊った。

 そして、次に会う時まで、頑張ろうと思えるようになった。


 楽しみなことがあると、人は少し明るくなれるのかもしれない。


 二学期が始まったころ、比較的仲の良かったクラスメイトと雑談していた時だった。


「鈴音ちゃん、なんだか明るくなった?」


「そうかな?」


「夏休みいいことあったのー?」


「うん、そうだね」


「ふぅん。そっちの方がかわいーよ!」


「ふふ、ありがとう」


 この会話をきっかけに、クラスメイトとは友達と言える関係を築けた。彼女の他にも数人の友人ができたが、社長の娘だからと私を特別に扱うことは少なくて、みんないい人だった。きっと、私の考えすぎだったのだろう。






 その後も夏の間、毎年私とナツキくんは海で会っていた。


 私たちの間に大きな変化があったのは、高校二年の頃だった。初めて会った時は変わらなかった背丈も、この頃にはナツキくんの方が高くなっていた。


 その年も、ナツキくんと会っていた。その日は朝から昼過ぎまで海の家の手伝いをしていた。


「スズネ、手伝ってくれてありがとな!じいちゃんとばあちゃんが喜んでた」


「ううん、大丈夫だよ」


「特にばあちゃんなんて『スズネさんみたいな子がお嫁に来てくれたら嬉しいわ』なんて言う、から俺も……」


 元気よく喋っていたナツキくんの声はだんだん小さくなっていく。それと同時に、頬が赤く染まっていった。私もつられて顔が赤くなる。


「……そう、だったんだ」


「あ、いや。別に!ちがっ……わなくないんだけど…………うん。本当に」


「ふふふ、どっちなの?」


「……えっと。俺、スズネのこと、初めて見た時からずっと、素敵だなって思ってた。今もそうだし、なんて言えばいいか分からないけど……スズネは、すごく大切だと思う」


「……私も、ナツキくんの笑顔に救われたんだよ。夏の間だけでも、会えて嬉しい」


 ナツキくんの隣だと、私は自然に笑えている気がする。君と出会って、君の明るさに触れてから、前向きに生きてみようと思えるようになった。


 だから、ナツキくんとの出会いは、私の一番の宝物だ。


「…………その顔は、反則だろ」


 ナツキくんはぼそりと呟いて、腕で顔を隠してしまった。


「え?」


「スズネ」


「な、に……」


 いきなり名前を呼ばれたと思ったら、勢いよく抱き寄せられた。ナツキくんの早鐘を打つ心臓の音が、直接伝わってくる。きっと私の心臓も、同じようになっているだろう。


「スズネ、好きだ」


「私も、好きだよ。ナツキくん」


 初めてのキスは、少し前に食べたかき氷の味がした。












 その年、ちょっとだけ関係が変わった私たちだけど、来年も変わらず海で会えると思っていた。


 高校二年の冬だった。テレビで十七歳の男の子が海で溺れて亡くなったというニュースが流れた。現地を取材しているリポーターの後ろに、見覚えのある海の家が映っていた。


 心臓が止まったようだった。


 話を聞いていると、大雨の日に海に近づいて溺れてしまった子供を助けたらしい。子供は助かったものの、男の子の救助は間に合わなかったそうだ。


 嫌な予感がした。


 ナツキくん以外の男の子かもしれない。そう思いたかった。けれどニュースは男の子の名前を伝えてはくれない。


 私はいてもたっても居られなくて、夏以外で初めてあの海に向かうことにした。両親には書き置きだけ残して、一人で電車を乗り継いで行った。


 冬の曇り空の下の海は、灰色で少しくすんでいるように見えた。私はぽつんと浜辺に立って海を眺めた。


 ナツキくんが後ろから声をかけてくれないかな、なんて思っていた。


「……スズネ、さん?」


 驚いて振り返ると、悲しそうな顔をしたお婆さんが立っていた。


 ナツキくんの、おばあちゃんだ。


「ナツキ、くんは……」


 ナツキくんのおばあちゃんは、ゆっくり首を横に振った。嫌な予感は、現実だった。


「夏樹はね……海に、連れて行かれてしまったの」


 信じたくないけれど、信じるしかなくて、私の目には涙が浮かんできた。それでも、夏樹くんのおばあちゃんの前では泣いてはいけない気がしたから、耐えた。


「……あの子は、あなたに会えて本当に幸せだったと思う。あの子は……幼い頃に事故で両親を亡くしているの。気にしていないように振る舞っていたけれど、きっと寂かっただろうし、辛かったと思うわ。それでも元々明るい子だったけど、スズネさんといる時は、特に楽しそうに笑ってた」


「そう、だったんですか」


「ええ。だから、来てくれてありがとう。スズネさん」


「……私こそ、夏樹くんに会えたから頑張ろうと思えたんです。下を向いてばかりじゃダメだって、思えた。だから、夏樹くんには、感謝の気持ちを伝えたくて……」


「そう。そうなのね。きっと、夏樹も喜ぶと思うわ」


 夏樹くんのおばあちゃんの声は、震えていた。私の声も、きっと震えていたと思う。


 夏樹くんのおばあちゃんに連れられて、私はお線香をあげに行った。写真の夏樹くんはいつものように、太陽みたいな笑顔だった。


 もう、二度とこの笑顔が見られないと思うと、胸がぎゅっと、締め付けられた。


 そのあと駅まで送ってもらい、自分の家に帰った。


 帰りの電車を待つ間、私はずっと泣いていたと思う。家に着く頃には、涙は枯れ果てていた。













 私の中の夏には、いつも夏樹くんの姿があって、だからこそ彼のいない夏はどうしても受け入れ難かった。


 でも、海やかき氷、夏の全てにもう居ないはずの彼の面影を感じる。そして、彼と過ごした時間を懐かしむことができるのだ。



 夏樹くんと過ごした夏の日々は、永遠に色褪せることのない思い出。きっと死ぬまでずっと夏を迎えるたびに、あの日々を思い出す。



 だから、夏は大嫌いで、大好きだ。

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