その三十五、天使は腕に抱きしめて
バラクは俺を知っている。
俺の望むように豪速でホテルまで駆け抜け、ホテルエントランスでは雨で避難してきた他の逗留客に恐怖を与えながら蹴散らしもした。
そんな事をすれば俺の部下達が詰所から出てくるのも必然であり、俺は部下達にアルを手渡すことが想定よりも早く完了できた。
「バラク、では」
驚くばかりだ。
バラクこそ惚れた女を助ける騎士よろしく、自分の背中からアルの体重が消えた途端に方向転換して見せたのである。
「よし、良い子だ。最高の相棒だよ。お前は」
「提督!!雨除けにせめて毛布を!!」
外は完全なる豪雨となっている。
俺は部下から毛布を受け取ると、部下が望むように自分の肩にかけてではなく、己が腹に抱えて馬を走らせた。
これはミゼルカを包むものだ。
彼女に渡す前に濡らすわけには行かない。
雨足は衰えるどころか、さらに激しさを増していく。
視界は雨で真っ白だ。
だがこんな目隠し状態であろうが、俺の黒い弾丸は道を違える事など無い。
それだけが今の俺には拠り所であった。
俺には見えなくとも、馬には見えている。
ぬかるんだ道に馬脚を乱すことないバラクは、真っ直ぐにミゼルカに向かって行っているはずだ。
俺は自分に何度もそう言い聞かせて、不安でパニックになりそうな自分を押さえていた。
この俺が。
「安心第一で参りますから安心なさって」
きっとずぶぬれになりながらも、健気に俺の後を追っているはずのミゼルカ。
しかしいくら進めども、俺達はミゼルカとリュイに会えやしないのだ。
一本道でどうした事だ?
あと少しで俺達は俺達が別れた地点へと辿り着くじゃないか。
そこに彼女達がいなかった、ならば?
「くそ!!銃を渡すんじゃ無かった。あれで俺の頭を撃ち抜けないじゃないか」
別れた地点にさえ、ああ、俺の不安通りに、そこに彼女はいないとは!!
「ミゼルカ!!」
俺は馬を再び来た道へと引きかえさせる。
ミゼルカが消える事になった痕跡を探さねばならない。
そしてそれは俺ではなく、やはり、バラクこそが見つけた。
ブルル、とバルクが嘶く。
俺はバルクが首を伸ばした方角へと視線を動かし、道なき道の下草が踏みつけられた箇所があったと気が付いた。
野犬の痕跡かもしれないと考えたそこで、俺の思考は定まった。
野犬がいるような場所ならば、見つけた痕跡全てしらみつぶしにしてミゼルカを探索しなければ事だろう。
「追うぞ」
バルクは飛び跳ねるように林へと飛び込む。
雨だけでなく日も暮れかけ、ついでに木々で出来た影がある。
殆ど暗闇の世界を俺とバルクは進んでいく。
先に悲劇が待っていると歩を進める俺に俺の不安が囁き、新兵のように恐怖で胃の中のものがせり上がってくる。
「これでは軍に復帰など出来ないな。俺は完全に日和ってる。部下を送り出すたびに胃に穴が開きそうだ。ついでに、ああ、ついでに、ミゼルカに何かがあったら、胃に穴どころじゃない。ああ、ちくしょう。吐きそうだ」
ブルル。
「バラク?」
愛馬が歩を止めた。
馬が進みたくない何かを見つけたのかと、俺は打ち付ける雨の中目を凝らす。
「――かみさま」
俺は馬の首を撫でていた。
労わるようにして。
「わかるよ。俺も呆然だ。ホテルで雨足が弱まるのを待つべきだった」
ミゼルカはリュイとちゃんと避難していた。
林の中で一番雨を避けられそうな場所を見つけた上、脱いだオーバードレスを枝に掛けてテントを作っていたのだ。
上等なウールの外出着を惜しげもなく子供を濡らさないための屋根にしてしまえるとは、ミゼルカはどれだけ高潔な乙女であるのだろう。
そして彼らの姿に悲壮感が一つも無いのは、ミゼルカとリュイがテントの中で横並びできゅっとくっついている姿が、小鳥の雨宿りにしか見えないからだ。
「どこまでも天使だな」
彼女は俺達に気が付くと、にこっと嬉しさいっぱいという風に微笑んだ。
魂が抜ける、とはこのことか。
俺はバルクから飛びおりると、ミゼルカのもとへと駆け寄った。
そして自分が抱えていた毛布を広げ、アンダードレス姿の少女と幼子を纏めてその中に包み込む。
「大丈夫か?寒かっただろう。それで馬はどうした?君達に怪我は無いか?」
「馬はおやつを食べに行ってます。食べ過ぎて外した鞍が合わなくなっちゃったらどうしましょう」
ぷくくく。
俺がミゼルカの返答に戸惑ったそこで、毛布の中のリュイが笑いだした。
毛布をめくってリュイを覗くと、彼は緑の枝を棒飴のように握っていて、笑いながらそれを齧っている。
愛馬が必死にこの場所を目指した理由がわかったと、俺は愛馬へと振り返る。
愛馬の姿はしっかり消えていた。
「ソルガムか。腹を壊す前にあいつらを連れ帰らねば」
俺の腕の中の少女もくすくす笑い出す。
笑いを止めようとはにかんだ表情となったミゼルカはそれはもう可愛らしく、齧ると甘いソルガムに馬達が夢中になったのもわかる、と俺は認めた。
俺こそこの甘そうな乙女を齧りたい。
「カート、あの」
ミゼルカが急に戸惑った声をあげたのは俺のせいだ。
俺はミゼルカにキスをしていたのだ。
「俺にも雨宿りさせてくれ。ちょっと疲れた」
「ええと、そうですわね。あの、馬は。ええと、私が連れて来ましょうか?」
ミゼルカは毛布から飛び出し、リュイも母鳥を追いかけるように立ち上がる。
そこで俺は取り残された毛布を、小鳥を捕まえる網代わりにした。
「きゃっ」
「わあ!!」
二人を捕まえた俺は彼女達が座っていた鞍に座り、二人は俺の膝の上だ。
強引に物事を運べねば、荒くれ共しか乗っていない船の長など務まらない。
強引にしすぎて船を沈ませかけたこともあった、と、思い出すべきだったが。
雨の中を泳いでいたのは俺こそ、だったのである。
二人のお尻が俺の膝に当たった瞬間、軽やかな音どころか、濡れそぼった雑巾にぶつかった音と感触が起きた。
俺に無理矢理に俺の膝に座らせられたせいで、濡れていなかったミゼルカ達のお尻が濡れてしまったのである。
「この俺としたことが!!」
「あの」
「すまない。皆、すまないが耐えてくれ。俺が全て君達の責任を取る。必ず温かな毛布と床がある所に連れ帰ると約束しよう。だから、まずは俺を温めてくれ」
船の上どころか小さな婦人用の鞍に座った男の恰好のつかない口上のせいか、俺が抱く毛布にくるまれた宝物は、単なる笑い袋へと変化してしまった。
温かで幸せな気持ちにばかりなる、素敵な笑い袋に。




