その二十三、今夜は僕と楽しもうか?
ポール・コンラート伯爵様は、柔らかい顔立ちだからか幼く見える方である。
だがしかし今は違う。
倒れかけた私を支え、私の驚くさまを嬉しそうにして目を細めたそのお顔は、笑い皺が目元にできたことで完全に大人の男の顔になっている。
ポール様の水色の瞳は、なんてとってもきれいな色!!
きっとポール様の心そのものを映しているからに違いないわ。
「僕を称賛してくれるのは君だけだな」
「ま、まあ!口に出しておりましたか?」
「もっと口に出していいよ。あまりにも甘い賞賛に、僕が食べてみたいと君の唇を閉じさせてしまいたくなるくらいに」
はっ、これは社交界風な甘いセリフだけど、実は遠回しに失礼なことを言うなってけん制なのかしら?
私はハッとしたそのまま、ポールの腕から離れようとした。
あれ?
意外にしっかりとポール様が私を捕まえているから、離れられないわ!!
「え?えと」
「ハハハ。あいつが小鳥だって君を可愛がるわけだ。まだ食べないよ?可愛い君」
「はうっ」
何が起きたの?
ポールは、ええと、なんという事でしょう。
私が彼の言葉に驚き、彼からさらに離れようと動いたはずなのよ。
ぐるんとダンスのターンみたいにポールに回転させられ、気が付いたら、次にはなぜか私がポールの左腕にぶら下っている状態になっていたの。
「え?」
「今夜は僕がエスコートしよう。僕は今夜こそ自分が伯爵で良かったと思うよ」
「どうしてですの?」
「君は本当に無邪気だね。伯爵ならば、そこらの騎士風情に引けを取ることは無いってことだよ。君を誘いたいのに、恐ろしき男の眼力に脅えてさっさと方向転換をしてしまった青二才と僕は違う」
「え?」
ポールは私に軽く左目を閉じて見せてから、愛嬌のある眼つきで私の母へと目線をくりっと動かした。
母は相変わらず若き紳士達に囲まれていたが、四人の紳士はなんだか不機嫌そうな眼つきを私と伯爵に向けている?
「君のお陰で僕は優越感の中にあるな。そして、自分の行為が完全なる失敗だったと知って悔しがる男には勝利感だ」
「え?」
ポールは彼自身の後ろを見ろ、という風に今度は背後へと流し目を向けた。
私は首を伸ばし、ポールの肩越しに後ろの風景を眺めてみた。
壁の花、どころか、悪魔像のようなモノが堂々とホールのど真ん中にいる。
ただし、その男の眼力は四人組の青年ではなく、私とポールを射抜いている。
「コンラートさま。あの恐ろしい男に何かなさったの?睨んでるわ」
「ポールと。ハハハ。僕は何もしていない。あれが勝手に墓穴を掘っただけだな。ただし、今夜は本当にいい気分だ。地味で伯爵位だけの男だった僕に、ひとかどの気分を味合わせてくれた君。今夜は僕にエスコートさせてくれ」
「ポール様。あなた様からのエスコートは光栄ですわ。ただ、あなたはご自分を謙遜しすぎです。そこが良識のある素晴らしい人物であるという証なのかもしれませんが、過ぎたるは嫌味になります。いいえ。自分を卑下されるから私程度で良いと思われたのならば、私は悲しいです」
「ハハハ。君こそ自分を謙遜し過ぎだよ。君は今季最高の乙女であるのに」
「あら?私は売れ残りそうだから早めに出荷されたのですわよ?殿方は若い女子こそお好きだからと。でも、私が今季最高の乙女であるならば、やっぱり殿方は若い女の子の方がお好きってことですか?」
ぶふっとポールは吹き出して、右手で自分の口元を塞いだ。
そして、笑いを収めようと体に力を込めたのか、彼の左腕に掛けていた私の右手は彼がきゅっと締めた腕にしっかりと挟まった。
その結果、私の体はさらにポールにくっつくという結果である。
ポールからふわっと彼の香りが漂った。
その香りは父が愛用している香水によく似ていて、甘いけれどスパイシーな香りである。けれどなぜだかカートの香りを嗅いだ時のような、安心感が私には生まれなかった。
あ、カートの香りは自白剤が入っている危険なものだった。
「どうしたの?嫌かな?」
「い、いいえ!よ、良き香りがしたなって」
「ハハハ。君は!それは」
「それは?え?」
ポールは私に顔を近づけて来て、軽くくんっと鼻を鳴らした。
私は彼の行為が自分が臭かったらに違いないと思い、慌てながら自分の左手首を鼻に当てて嗅いでしまった。
軽やかな笑い声が私の頭上で起きる。
ポールが笑いながら目元の涙を拭っている?
「く、臭かったのかしら?」
「君は!!臭くないって。ここは僕が君の香りを褒めて、それで君は僕が近すぎると思いながらも褒められた事に恥じらって見せるという場面だ」
私はポールをまじまじと見返してしまった。
とっても純情そうで真面目この上ない安全な人だと思っていたのに、ポールがとっても遊び慣れている危険な男の人だと気が付いたからだ。
でも、考えるまでも無いのだわ。
前夜祭で癒しの君となって場を上手に盛り上げる事が出来たのは、それは、彼はもう何年も社交界の海を泳いでいた人で、その場その場で上手に振舞えるからなのだから。
「どうしたの?可愛い子?」
「いえ、あの、うわ!!」
私はいつの間にか今夜の催しのメイン会場、オペラッタを鑑賞するため席に案内されているではありませんか。
でも、ポールが私を連れてきたのは舞台正面となる桟敷席というロイヤル席ではなく、舞台の側面で舞台に一番近いというボックス席であった。
「さあ、僕達は今夜を大いに楽しもうか?」
「舞台正面の桟敷席ではございませんのね。あの、いつも思うのですけれど、舞台の側面は舞台が見えにくいのでは?」
「確認してみようか?」
ポールは私が中に入るように右手を差し伸べ、私の右手を絡ませていた左腕を私が歩きだせるように伸ばした。
私はそこで二歩ほど動く事になったが、そこで完全に足が止まった。
彼が見て見ろと言うボックス席の手すりにまで歩いて行くべきなのに、なんだか怖くなって足が竦んでしまったのである。
「どうしたの?ミゼルカ?」
「あの、お、お母様が桟敷席で待っているかもしれないわ。そ、そこで、い、一緒にご覧になるのは如何ですか?」
ポールは柔和な笑みを私に見せながら一歩前に踏み出し、パタンとボックス席の扉を閉めた。
私はなぜか怖いばかりとなって、喘ぐようにして息を吸い込んでいた。




