その二、礼を言うべきは私を狙う殺人者へ?
殺人事件の目撃者になった私は、戦々恐々としていた。
あの男、殺人者を自室に連れ込む事だけは、私はなんとか避けられた。
あの男に拘束されながらホテルのロビーに入ったそこで、我が家の小間使いが私を見つけてくれたのだ。
そう。
私の部屋をあの男は知り得なかったが、私の名前はあの男にしっかりと記憶されていると言う事だ。
私は溜息を吐きながら昼下がりの出来事を反復した。
私の小間使いのキリアは私の母に近い年齢のせいか、私を幼い子ども扱いしかしない。あんな大声で私を探しては、私の醜聞が一日で出来上がるでは無いか。
「ミゼルカお嬢様!お一人でどちらにいらっしゃっていたのですか!!」
「ミゼルカ?」
低い声で問いかけてきた男は私を見下ろして、片眉をひょいとあげた。
私は何も見ていない振りをしなければと、必死に眼の焦点をぼやけさせる。
がんばれって男から聞こえた。
何を?
「ミゼルカ様!!叱られたくないからと言ってそんなお子さまみたいなそぶりを。ここはご自宅ではございませんのよ。全く、もうお子さまでは無いのですから、お一人で出歩かれてはいけません。悪い人に悪い所に連れ込まれたらどうするのでございますか?」
その通りよ。
悪い人に連れ込んだらいけない私の部屋に連れこまれそうなの。
そんな事は言えないけれど、どうやって助けを求めたらいいのだろう。
「ああ、ご家人でしたか。目が見えなくなってお困りと言う事でエスコートをさせていただきましたが。そうですか。ここでご家人にお会いできたのならば、ここでお別れですね。残念ながら」
残念ながら?
助けが来たから殺せなくて残念と見逃されたと喜ぶべきか、後で殺す面倒が出来て残念だけどと取ってさらに脅えるべきなのか?
「お嬢さま?お嬢様は侯爵家の猟犬よりも目が良いと旦那様が――」
「そう!!目が良すぎてくらっときたの。きっと目が良すぎて鳥目になっちゃう鷹か鷲みたいなものね!!一瞬真っ暗になりましたけれど、も、もうわたくしは大丈夫ですわ!!ご心配ありがとうございます」
「ははは。残念だな。ではここでお別れか。ああ、そうだ。君は鷹や鷲じゃない。赤イチゴ鳥だと俺は思いますよ」
赤イチゴ鳥って、ちっちゃくて狂暴な紅雀のことじゃないの!
悪かったわね、優雅さも無い小うるさい小鳥みたいなちんくしゃで!!
男は自分こそ鷲か鷹という風に優雅な仕草で私から手を外すと、その場から颯爽と去って行ったと思い出す。
私の花束を肩に乗せての後姿は、悔しいけれど、周囲の人が振り返るぐらいに様になっていた、とも。
「あの人殺しが。次に会ったら、殺す。私こそ正当防衛でやるわ」
「お嬢様」
「ひゃあ!!」
私が振り向くと、小間使いののキリアが肩を竦めて見せた。
そして、私の髪を整えに来たのだという風に、ヘアブラシを自分の手にピシャリと打ち付けて見せたのだ。
なんて怖い。
彼女は私を跳ねっかえりと長年叱りつけてきた実績があるからか、侯爵家のお嬢様なはずの私を近所の悪ガキ同然に扱うのである。
私は彼女をさらに怒らせまいと、彼女が願う様に化粧台の前に腰かけた。
「お嬢様は湯あみがお好きなのでは無くて、裸ん坊でいる事がお好きなんですね」
「ちゃんと下着は着ております」
「下着姿は裸ん坊同然ですよ。もう少し大人の女性として振舞ってくださいな。でも、そういった子供っぽい所が男性の気を引くのでしょうか。いいえ、隙があるからですわね。悪い男達は隙を見つけては女を利用します。肝に銘じてお気をつけあそばしませ」
「反省しています」
本当に反省するしかない。
私は失った初恋の人への涙が零れていたのだが、夜会の為に風呂に入れられたその時、手伝いに部屋に入って来たホテルメイド達の噂話によって私の涙は一瞬で枯れたのだ。
「あのアランって奏者、逃げ出しちゃったみたいよ。部屋が空っぽ」
「次から次へと貴族の方々を食べてたから、誰かの旦那様に殺されてどこかに埋められちゃったんじゃない?」
どき、ぎく、である。
私は淑女にはあるまじき軽薄な行動を取っていたから、あの男がアランを殺さねばアランの毒牙にかかっていたに違いないのだ。
彼は結果として私を助けたけれど、彼に殺されるかもしれない私が彼に感謝するわけはない。
今のところは全然どころか完全に無事ですけれど。