その十九、カート・ハインリッヒの憂鬱
カート・ハインリッヒは自分の身の上を嘆いていた。
彼の小さな婚約者は彼に脅えて部屋に閉じこもり、親交を深めるどころかこれ以上の無理強いは婚約破棄に繋がりかねない。
否。
ミゼルカからははっきりとした婚約破棄の意思表示があるのだが、彼女の母親や彼女の後援者によってその意思表示を取り消されているだけである。
本来のカートであれば、ミゼルカの意を汲んで己から身を引いているはずだ。
カートは本来去る者は追わず、であるのだ。
だがしかし、彼が珍しく気に入ったミゼルカが彼を拒む理由が、英雄の妻になるには荷が勝ちすぎる、そんな可愛らしいものであるために、彼こそ彼女を諦めきれないのである。
それも違うとカートは自分に認めた。
彼に脅えながらも、彼からの逃亡方法を必死に考えてるミゼルカが愛おしく感じ、カート自身が彼女を守りたいと思うばかりなのだ、と。
そうだ。
ミゼルカには、時にはメイドに化けてカートを探ろうとする、小心どころではないお転婆な気性もあるのだ。
彼ならば、ミゼルカの可愛い行動を殺さずに見守れる。
あの可愛いミゼルカを可愛いままにしておけるのだ、と。
彼は思い出した記憶によって胸が高まり、右手を自分の胸に当てた。
彼が思い出したのは、彼の腕に縋ったメイド姿のミゼルカである。
二本おさげにおばあちゃんの眼鏡をかけているというその姿は、カートの心どころか体のどこかをざわざわさせ、彼の脳内でこれは危険だとアラームが鳴った。
彼はそこで彼女が二度とそんな浮ついた浅はかな行動をしないようにと、出来る限り彼女が脅えるようにして彼女を注意したはずだった。
しかし彼女は一を聞いて二になるのではなく、一を聞いて七を連想するような飛躍的思考回路であったのである。
彼女は見逃して貰えるためにと、自分の潔白を証明しようとした。
スカートの裾を上げて、彼に可愛らしい足首を見せつけて、そして、武器が無いか確認しろと彼に命じたのである。
「最高だ。妻にした暁にはいくらだって確認しよう。いや、確認せざる得ないだろう。君は歩く危険な武器だ。それなのに、自分に自信が無いだと?全く。それは俺がただの男であれば違うと言う事か?望んでもない女達は俺に爵位か勲章があるかないかだけしか見ないというのに!!」
「いいやあ。君の股の間のものも良い進撃しそうだって思ってるかもですよ?」
カートはホテルの自分の部屋のベッドに、どうして女どころか慇懃な喋り方で自分を揶揄うばかりの男がいるのだろうかと睨みつけた。
けれども幾度も死線を潜って来た男には、カートの視線如き何食わぬ顔だ。
アランは幽霊みたいになった身の上を嘆くどころか、幽霊みたいにしてカートが管理しているホテルを我が物顔でフラフラしているのである。
「自分の部屋に戻りなさいよ」
「親友を慰めに来てあげたんでしょう?いや、追い詰めに、かな。僕もどう言ってあげたらいいのかわかんない。成りあがれたからこそ侯爵令嬢との結婚にこぎつけたのに、当の侯爵令嬢は、普通の人が良いの、なんて可愛い子だった、なんてね」
カートは大きく溜息を吐いた。
そしてアランの言う通りに皮肉だと思いながら、自分の生い立ちを思い返した。
カートの生まれはバルツァー伯爵家ゆかりの者となるが、彼の父親がバルツァー伯爵の従弟でしかない上にバルツァー伯爵には弟もいる。
それでは爵位など巡ってくるはずもない。
さらに財産においても、彼の生家は小さな土地からの細々とした収益しかないという金持ちとは程遠いものだ。
これでは家の財産など彼の上の三人の姉達の持参金で消えるだろうことは、カートには物心ついた頃には理解していた。
「カート。心配しなくていいの。私達は結婚できなくてもいいのよ」
「そうそう。あなたの教育の為に使うべきなの!!」
「そうよ!それで私達を一生食べさせてくれればいいのだわ!!」
幼いカートは自分に期待する姉達の幸せこそを望んだ。
いや、姉達を自分から引き離して確実に家から追い出すためには、彼こそが姉達の持参金を稼がねばならないと幼心に決意したのだ。
よって彼は、自分の手で人生を掴まねばと幼き頃から心に決めており、姉達に支配されない道として海軍に入った。
姉達の愛玩物でありながら彼女達の下男として使われ抑圧されて来た彼には、上司連中の道理の通らない命令にも笑顔で応える事ができた。
男同士であるならば、拳にて障害と思えるものを打ち砕く事も出来るのだ。
そうして彼は海軍内にて、めきめきと頭角を現していったのである。
海軍の最年少艦長となった彼は、旗艦であるスレイプニルを陣頭に船団を率いて、国の所領であるカピティア諸島を敵国からの侵攻から防ぎきった。
彼はそこで騎士の叙勲を受けることとなり本国に戻ったが、そこで知った事実によって、自分が人生を掴んだと思うよりも失ったと考える方が強かった。
バルツァー伯爵は結局子供を得ることなく寿命が尽きそうな上、バルツァー伯爵の弟は落馬事故で亡くなっていた、という事実が待ち受けていたのである。
また、カートの父はすでに故人である。
つまり、カート・ハインリッヒはバルツァー伯爵の後継になっており、彼は船に乗って大海原に漕ぎ出でるどころか、適当な娘と結婚して子供を作らねばならない単なる種馬にされてしまったのである。




