その十八、さあ、逃げるのよ!!
私の目の前には大きくてしっかりとした扉が聳え立つ。
カートは私に自分の秘密を見せたいと言い、この扉の向こうに自分のその秘密があると言った。
これ以上私に何を教えたいの?
私は沢山の秘密を教えてもらったわよ?
アランとカートは示し合わせて殺人事件ごっこをしていたこと。
それから、憧れていたアランが生きていたばかりでなく、そのアランを殺す命令をしたのが親戚の小父さんみたいなヘルマン王子で、それでそれで、アランも優しいどころか怖い一面ばかりだったってこと。
「もういいわ。お部屋に戻りたい」
「俺は君に理解してもらいたいのに?」
「秘密を見たら、私は後戻りできなくなるのね?」
「中庭であんな大騒ぎした俺達だ。後戻りはできないよ。それならば、俺達は歩み寄って仲良くなるべきじゃ無いのかな?」
「結婚したくない男が本気で口説いているよ。結婚の罠に嵌らないためにと、退役した部下を会場警備の名目で集めて自分の操を守る盾にしてしまったくせに」
「アラン、うるさい。君がヘルマンを誑し込まねばこんなことにならなかった」
「あなたこそ!ヘルマンが薦める結婚相手も追い払える一石二鳥だって、自分で台本を書いて台無しにしたのはあなたでしょう」
アランの台詞を考えてみたら、アラン殺害の現場を見た淑女がまずすべき行為は、人殺し、と大声をあげることだった。
「ああ!あそこで私が騒がなかったからおかしなことになったのね。そうね、私が人殺しって叫んであの場を逃げていたら、そうしていたら、カートの評判は地に落ちていたかもね。それで、ああ!評判の悪い男と結婚はさせられないって、ヘルマン王子の薦める結婚相手に断って貰えると考えましたのね!!」
カートとアランは言い合っていた癖に仲良く同じ動作で私を見返し、全く同じタイミングで眉根をしかめて見せた。
君は馬鹿?そんな台詞を言っているみたいな顔つき。
「馬鹿だな」
「おバカさんだね」
「口に出さなくてもよくってよ!!あなた方のお顔で充分に、馬鹿って思っていらっしゃるってよくわかりましたもの」
「ハハハ。違うって。君がこんな可愛い子だって知らなかった僕達の方こそお馬鹿さんってこと。君は賢いよ。大体は君が言った事だから。馬鹿は、う~ん、ちょっと馬鹿かな。君は自分の評価が低すぎるよ?」
アランはやっぱり優しい人?
私はアランの言葉に感謝しながらほっと胸を撫で下ろしたが、カートはやっぱり、馬鹿だ、と数秒前と同じセリフを繰り返した。
「ど、どういう?」
「ハハハ。この怖い人が言いたいのは、君こそヘルマン王子が彼に用意した婚約者候補だってことだよ。喜ぶべき相手だけど、ちょっと若過ぎる。そこで僕達は互いに不幸にならない方法を考えた。さっきの君が言う通りにね、僕殺しを目撃した君が結婚を承諾するはずは無いでしょう?」
「そう。そうよね。男の人には決められた結婚に対して断れないものね。ましてや、王子からの縁談だったら、尚更。だから私に断らせようと考えたのね」
「怖い男は絶対に嫌でしょう?それでの芝居なのに、この馬鹿大将はさ――」
「だまれ」
静かだけど怒った男性の低い声はそれだけで恐ろしく聞こえ、私はびくっと身を震わせてしまった。
「すまなった、ミゼルカ。とりあえず中に入ろう。出会いが失敗したならば、俺は君に嘘偽りのない自分を見せたい」
謝罪もあるし真摯な内容の台詞なのに、カートの口調はそれはそれはぶっきらぼうに言い放つというものだ。
そしてアランはというと、ぐるっと目を回して私に見せた後、苦笑しながら目の前の扉を再び私達の為に大きく開いたのである。
開いた扉の情景こそ、カートが私に見せたい秘密そのものだった。
大きな室内は、無学な私でもひと目でわかる軍隊風の会議室。
部屋の中心には、コの字型になるように置かれた大型のソファセット。
そのソファセットに各々好きな場所に座って談笑しているのは、音楽会の会場で見かける軍服風スーツ姿の男性が十数人だ。
カートが見せたいのはそれじゃないし、私がまず最初に目にしたものは、ソファセットどころか、その光景の真後ろ、扉を開けて真正面となる部屋の奥の壁だ。
まず目に入って来たのは、タペストリーがわりに飾られている大きな旗。
その旗に描かれている紋章は、六本足の白い馬。
「まさか、まさか」
アラン・パドゥーがカツっと靴音を立てて姿勢を正し、右手を上げてぴしっと敬礼を捧げた。
カートに。
さらにアランはよくとおる声で室内に向かって号令をかけた。
音楽家だった時には考えつかない、いいえ、音楽家だからこそ出せそうな透明感のあるよくとおる声を凛と上げたのだ。
「全員起立!!」
部屋の中の男性達が全員立ち上がり、全員がこっちに体を向けて姿勢を正した。
「カート・ハインリッヒ提督に捧げ!」
男達はかちっと音が鳴るようにして、一斉に敬礼をしてきた。
なのに、カートはけだるそうに敬礼を返す。
「楽にしろ」
カートはゆっくりと私に振り返り、口元を笑みのようにして歪めた。
彼はサシェを持つ右手を私に伸ばす。
「可愛らしく楽しい君には、こんなつまらない男ですまないが、俺と結婚してくれないか?」
私は、恐る恐るとサシェを受け取ったが、今度はそれをカートに投げつけるどころか胸に押し付けた。
だって、怖いもの。
白い六本足の馬は、神馬スレイプニル。
壁に貼られているあのスレイプニルの旗は、敵国の船を沢山沈めた英雄の旗だって新聞に載っていたものと同じじゃないの。
その英雄が、私に結婚を差し出した?
カートは、私を見つめているが、見つめたままだが、私は彼が望む言葉など彼に返すことなど出来なかった。
だって、憧れの人ならばいる。
でも、恋をしている人はいない。
つまり、私の心の中にはカートはいない。
いいえ、それよりも重要な事がある。
「国の英雄の妻になるのは荷が勝ちすぎるの」
「ミゼルカ?」
「ごめんなさい!!」
私はあの日にあげるべきだった悲鳴みたいにして大声で叫んでいた。
それからくるっと身を翻し、あの日にするべきことをした。
私は一目散にこの場から逃げだしたのだ。
部屋に戻って急いで首都のお家に帰る準備をしなきゃ。
一人でも絶対にお家に帰って、お父様に泣きつくのよ。
国の英雄とは結婚できません、と。




