その十六、深窓の令嬢は真相を知る
ホテルの奥という、一般客が立ち入ることのできないホテルのもう一つの顔。
カートは私を抱きながらそのゾーンへと入り込んだが、彼が歩く先から人の気配は徐々に消え、なんだか日常から非日常の世界に入ってしまったようだ。
ぽかぽか陽気の下では平和この上ない世界に見合った快活な紳士だった彼だが、この薄暗くて簡素な世界では、私が脅えていた死神に戻ってしまいそう。
いいえ、もともと死神だわ!!
ミゼルカ、覚えていて?
彼は料理を取り分けるようにして、アランの体にナイフを突き立てたのよ。
私は連想ゲームのように浮かんだ記憶と考えに脅えただけでなく、これこそ真実だったのではないかと認めるしかないと身を凍らせた。
「どうした?また変な事でも考えたのかな?」
「へ、変な事って、な、何かしら?そ、そろそろ、お、おろしてくださる?」
「やっぱり。全く。恋に恋する乙女は扱いかねる」
カートは私を抱く腕をぱっと開いた。
私は一瞬だけ宙に浮き、そのあとは、あとは下に落ちる、だけ。
「きゃああ!」
私は再びカートにしがみ付き直していた。
私のその仕草にカートはしてやったという風に笑い声を立てた。
なんて酷い人なの!
って、私が今も不安定なのは、彼が私を腕一本で支えているからだわ。
私の視界にサシェを掴む手が現れ、その手はサシェを掴む指を広げる。
ぽとりと落ちるサシェ。
私はそれを反射的に掴み、彼はそんな私を抱き直す。
「これを持ったら落ち着くかなって。君の好きなサシェですよ」
「赤ちゃん扱いですか?」
「危険な薬物入りのそれの匂いを嗅いでぐっすり眠っちゃった君は、赤ちゃんよりも可愛らしかったよ」
「え?」
私はカートの顔をまじまじと見つめた。
彼は私にそっと囁いた。
「少量の自白剤と精神を安定させる香料のブレンド。ディアナフロラには、お金を出しても手に入らない、とっても危険な秘密の品もあるんだよ」
「え、ええ?わた、わたしは大丈夫なの?」
「うーん。ケイトリン達は本性を出していたけれど、君はマタタビ袋に酔った仔猫みたいになって寝ちゃっただけだからね。君には大丈夫じゃないかな」
「そ、そんな危険なものを、私は昨日のお昼からずっと大事にしていたのね?」
「掴んだまま離さない君が可愛らしくてね」
「サシェはあなたが贈ってくれたのでは無くて、私が掴んで離さなかったからそのまま置いて行っただけ?」
私は自分の手が掴むサシェが途端におぞましいものに変わっており、しかし、これを投げ捨てるなんてことはできない。
だって私は拘束されている状態じゃないか。
「あの、お仕事でお使いになるものだったのでしょう?お、お返しするわ」
「それをクンクンしている君が可愛らしいからあげる。花と宝石に関してはちゃんと君の趣味を確かめてからだな。君の好きな宝石は何だい?」
「え、ええと」
言葉に詰まるしかない。
カートが普通に婚約者として私に語りかけているけれど、なんだか会話が成立しているようでしていないようだから、とっても怖いのよ?
そして宝石を私にプレゼンとする気らしいけれど、それこそ絶対に裏があるとしか思えないじゃないの。
私の左手は柔らかいものにぎゅうと爪を立てていた。
ふわっとオレンジの香りが弾ける。
そこで私が掴んでいる手の中のものが、大事だったはずが今は忌まわしい虫の死骸程度になったものだったと思い出した。
いいえ、これを何とかしないと、と思ったのよ。
「か、カート?」
「何だい?」
「ほ、宝石はいらないから、じ、自白剤が入っていないサシェを下さる?」
カートはにっこり笑ってから、私の耳に口元を寄せた。
ぜんぶ嘘だよ?
「ひどい!」
「俺が嘘吐きな事を君は喜ぶべきだよ?さあ、到着だ」
私は慌てたようにして振り返る。
私とカートの前には、大きくてしっかりした両開きの扉が聳え立っていた。
そしてその重そうな扉は私達が辿り着いた事を喜ぶようにして、音もたてずにゆっくりと開いていくのだ。
カートは私の額に軽く口づけた後、内緒だよ、と囁いた。
「内緒?」
「これから君が見る事になることについてだ。そして、君が愛するアランは死んではいない。あいつは音楽家として各国を渡り歩いている情報将校だ」
「スパイ?」
「こちら側のね。ただお遊びが度を越して、この国のお偉いさんを怒らせてしまった。大事な娘同然の子を汚す前にあいつを始末しろ、とね。俺に命令だ」
「それでアランが亡くなっていないのは、まあ、あれはお芝居でしたの?ああ、それであなたは嘘つきなんですのね。アランを助けるためにひと芝居を打たれたってことなんですのね」
「そう!!アランが仕立てた目撃者が君だったことには驚いた。ちゃんと大騒ぎしてくれそうな人を選んでくれればいいのに。あいつはいつもわきが甘い」
「お、大騒ぎしましたわよ?」
「目が見えない振りをしてやり過ごそうとしたね。俺もアランも、君が悲鳴を上げて逃げ去ってくれることを望んでいた」
「申し訳ありません。台無しにしてしまったのですね」
「台無しにしたのは馬鹿上司だから君は気にしないで」
「ひゃっ」
ドアを開けていたのは、アラン・パドゥー、本人だった。
金色の巻き毛は彼の頭から消えていたけれど。




