未知との遭遇
いつの間にかうとうとしていたらしい。
たたらを漕いで壁に後頭部を痛打しエリナは目を覚ました。
『いたたあ…。あら?光?』
牢の中は薄暗く見え辛かったが窓があったようだ。
推定三百年前の建物だ。木戸が古くなってきちんと閉まらないのかもしれない。道理で夜の間肌寒いわけだ。
木戸は観音開きのようだったが、戸を開けようと引っ張ると扉ごと落ちてバラバラになってしまった。
『あらら...。壊しちゃったわ』
(歴史的建造物の一部だったかもしれないのに…)
壊れてしまった木戸は気がかりだったが、それ以上に窓から見える青い空と光に目を奪われた。
綺麗な空気が風と一緒に吹き込んでくる。
鉄格子がはめられた窓から外を眺めれば、ここはやはりアルトラガルスの山中のようだった。見下ろすと、二つほど山を越えれば関所と宿場町があるのが見える。
牢屋の中も日の光で照らし出された。
『ふあぁ…。エリナか。なにやってんの』
物音を立てたせいか、冷たい風のせいかワルトが目を覚ました。そしてエリナが取り落とした木戸に目をやる。
『あーあ。壊したのかよ』
『ごめんなさい…。けど明るくていいじゃない?
鉄格子が付いてて脱出は無理そうだけど』
『今日の夜、風が入って寒いだろ』
『今日中にここを出られたら問題ないんじゃない?』
『どうやって抜け出すんだよ』
『うーん……』
『考えとけよ!知識は武器なんだろ!』
『知識はあるけど頭脳には自信ないのよ私…』
『本当に残念なヤツだな!』
『面目ない...』
ぷりぷりと怒るワルトは可愛らしいが、ランドセルを背負っててもおかしくない年の少年に罵られるのは流石のエリナも少々辛いものがある。
『はあ。まあいいや。……あんたってそんな髪色してたんだ』
しゅんとするエリナにワルトがため息まじりに言う。
『ええ。そうなの!ワルトも素敵な黒髪ね』
話題が変わった事に安堵し、夜の間は見え辛かった黒髪をしげしげと眺めた。
『べ、別に珍しくもないだろ!黒髪なんて』
『黒髪ってなんだかほっとして好きなの』
(元日本人だからか黒髪を見ると親近感を覚えてしまうのよね)
『……エリナのはシルバーブロンドって言うんだろ?』
ワルトは照れ隠しで顔を背けながら尋ねる。
昨晩は暗がりの中で見えていたエリナを彼は美人だと思っていたが、日の光を受け髪を風に靡かせたエリナは一層美しかった。
『そうね。小さい頃は男の子に白髪ってからかわれたわ』
『……ふーん』
笑うエリナにワルトは興味なさそうに気のない返事をした。
(自分で聞いたのに…)
『しかし、こんだけ騒いでるのに誰も見にこないなんて、ちょっと変じゃないか?』
『そうねえ』
ワルトは首を傾げていたが、エリナには思い当たるふしがある。
それは昨日見張りの男に渡した緑の飴だ。
あれはエリナご研究中闘った睡魔を具現化した物なのである。
誘拐されていても八時間は起きなかったエリナの睡魔だ。
あれを食べた人間は今頃さぞや深い眠りについている事だろう。
エリナは秘かにほくそ笑んだ。
敵を無力化出来たのならノエミが牢を破るのは時間の問題。
あとはノエミが来るのを待つばかりかと思ったその時、
思わぬ声が入口の方からした。
『あんた本当に大物ですねえ。あの飴、何が入ってたんです?』
『!!?』
鍵を開けて牢に入って来たのは、昨日トランクを運んできた若い男だった。
室内に緊張が走る。
『……貴方こそ何者ですか?』
エリナはワルトを背に庇いながら男を睨んだ。
『そう警戒しないで下さい。怪しい者じゃないんで』
『めちゃくちゃ怪しいですよ!』
『酷いなあ〜』
男はへらへらと軽薄そうな笑みを浮かべる。
『まあ、話を聞いて下さいよ。自分はね、そこに座っている方と知り合いでして』
男は惨殺された女性の亡骸を指して事も無げに話した。
(知り合いがこんな酷い殺され方をしているのに眉一つ動かさないなんてサイコパスなの?この人!?やっぱり胡散臭いわ)
『でね、その子供達なんですけど、こちらで保護したいと思ってましてご協力頂きたいんですよ』
『いやいや!こんな怪しいヤツに付いて行く訳ないだろ!』
エリナの後ろでワルトも大いに拒否している。
『う〜ん。どう言ったらいいんだろうなあ』
困ったように額に手を当てた彼は悩ましげに天井を仰ぐ。
どうしよう。ワルト達を全員連れてこの人から逃げるのは現実的ではないし、うーん。やっぱり頭脳には自信がない。
エリナは必死に思考を巡らせたものの妙案は浮かばない。
『まず名乗るくらいしなよ。お前は言葉が足りなすぎるんだ』
『っ!?』
どう立ち回るべきか決めあぐねていると後方から声がして息を飲んだ。まさかと思い振り向くとそこには信じられない光景があった。
先程まで亡骸だと思っていた女性が立ち上がり、声を発したのだ。
『ああ!なるほど!』
『怪しいにも程がある。まず登場の仕方が0点』
普通に会話してる...!
しかもダメ出し!?
『ええええええええええええ!?』
エリナ思わず声を上げてしまった。
不安と混乱がエリナの中で入り乱れる。
(一体どんな状況なの?)
滅多刺しにされた遺体だと思っていたモノと男は平気で言葉を交わし始めた。
貴方の方がよほど怪しいとツッコミたい。
『おい、エリナどうしたんだよ?』
ワルトが心配気に私を見上げて来る。
(私がおかしいの!?)
『えっええ?』
この状況、ワルトはおかしいと思わないの?
滅多刺しに剣が刺さりまくった、しかもどす黒い靄をまとった女性が動き出したのに!?しかも謎にサングラスまでかけてるのに!?
エリナは今自分の頭からは煙が出ているんじゃないかと思った。
え?ウィステリアではこれって普通なの?
滅多刺しグラサンスタイルがトレンドなの?
あのモヤモヤは何なの?
あの人達は敵なの?見方なの?
『あの、大丈夫ですか?では改めまして自分は―――』
様子が変わったエリナに一旦気遣わしげに声をかけ、男が仕切り直すように名乗ろうとしたその時だった。
『お嬢様!!!』
ガアン!!!と凄まじい音とともにノエミが駆け込んで来たのだ。
すでに開いている鉄格子の扉を蹴破ったらしい。
さすがに寝ていた子供達も目を丸くして起き上がる。
『ノエミ!無事で良かったわ』
『遅くなって申し訳ありませんでした!お怪我はありませんか!!』
ノエミは主人のあちこちを確認し始める。
『私は大丈夫よ。それよりこの子達を…』
子供達を見やると、ノエミは委細承知という顔で頷いた。
ノエミが来てくれて良かった。心にほんの少し余裕が生まれたようだった。
今ならちゃんと、開きっぱなしになっている扉をわざわざ蹴破らなくても、とか歴史的建造物かもしれないから壊しちゃダメよ、とかちゃんとツッコめそうだ。
『……ねえ』
『ふぁい!!!』
(謎の生物はが話かけてきた!!)
ほんの少し取り戻した余裕も一瞬にして消え失せた。
肩が跳ねて間抜けな声を出してしまった。
『君は……』
『ひっ』
未知の生物は黒い靄に全身を覆われていて髪の色が何色なのかも分からない。ただ髪が長く、町人の娘が好んで切る様な動きやすいドレスを着ている事しか普通の人間とは共通点を見いだせなかった。
未知の生物がこちらに一歩近づくたび、エリナも一歩づつ後退る。
そうしているうちにとうとう背中が壁にぶつかった。
『お嬢様…?』
ノエミも困惑したように私をうかがう。
(...何故みんな平気でいられるの?)
エリナ混乱は最高潮に達した。
この訳の分からない事態から逃避しなければと精神が叫んでいるのだ。
『ノエミ!!子供達をお願い!!』
そう言い残し、ノエミの蹴破った入口から飛び出しのだった。