悲報
子供達を見送った翌日の事、朝の身支度を整えていたエリナに一通の手紙がもたらされた。
差出人は兄オスカーからで、エリナは一抹の不安を覚える。
『なにかしら...』
ノエミに手紙の封を切ってもらい便箋を開くと、そこには見慣れた文字が並んでいる。
「我が愛しの妹エリナよ。元気にしているだろうか。
悪い虫は付いていないだろうか。兄は心配で心配で気が狂いそうです。」
『もう充分狂ってらっしゃるのに...』
エリナは書き出しの文面を見て呟いた。
可愛い妹への思いの丈を綴った文章が便箋二枚分程続き、三枚目にようやく本題が書かれていた。
どうやらエリナの叔父クーノの邸で行われるパーティの参加者についてのようだ。
読み進めていくうちにエリナは目の色を変えて立ち上がった。
(どうしよう...!あの人が来るなんて...)
『お嬢様...、やはり悲報でしたか?』
『ええ。最悪だわ』
ノエミに問われ、エリナにしては珍しく強い言葉で答えた。
オスカーの手紙にはこう綴られている。
「パーティの招待客はウィステリアの親戚や叔父様と交流のある知識人やその子息やご令嬢に手紙を出してある。しかし、呼んでもいないのに厄介な男が来る事になってしまった。予想はついているとは思うがあのジスラン ラプノー侯爵子息だ!親戚の伝手を使って無理矢理招待客に紛れこんで来やがったのだ!兄妹の再開を邪魔するとは無粋な男だ!」
兄の怒りの文面をノエミに見せると、ノエミも眉をひそめた。文の最後には「俺が付いているから心配はないと思うが、くれぐれも注意して欲しい」と書かれている。
『これは...、最悪ですわね...』
『そうよね...』
エリナは深い深いため息をつくとソファに座り直した。
『せっかくあの人を振り切って隣国にまで来たのに』
エリナは手紙をたたみ、封筒に戻しテーブルの上に置くと、ぐったりと項垂れた。
このエリナを悩ませている、ジスラン ラプノーと言う男は一言で述べるならば「クソ野郎」と言って差し支えない人物だった。
オスカーと同じエリナの五つ年上の二十三歳の彼は、
強者にはおもねり、弱者と見るや見下し意地の悪い嫌がらせをするような男なのだ。
しかもラプノー侯爵家の男性は女性蔑視の気が強く、その中でもジスランとその父モーリスなど女性蔑視の煮凝りのような人物だった。
女は黙って男に従っていればいい。女が勉強なんて有り得ない、自分より賢い女なんてもっと有り得ない、と言う意見の持ち主なのだ。
そんなクソ野郎にエリナが目を付けられたのはデビュタントの際だった。エリナの顔はジスランにとって最高の顔立ちだと初対面で言われたのだ。デリカシーの欠片もない。
流石のエリナも初対面でそれを言われて好感を持てる訳もなく、それを聞いたオスカーも当然激怒した。
しかしそれからと言うもの、ラプノー侯爵家はエリナとの婚約を仄めかすようになったが、のらりくらりと躱して来たのだ。
兄オスカーが結婚しないうちはエリナはどこにも嫁にはやらないと社交界で父が明言していたため、オスカーの画策も手伝ってエリナに縁談が来る事はほとんど無かった。
だがこの秋オスカーは目出度く結婚する予定なのだ。
兄を選んでくれる女性がいるのならば逃がさないうちに籍をいれるべきだと家族揃っ喜んだのだが、いよいよ結婚を躱す言い訳が無くなってしまった。
向こうの方が爵位が上なので強く出る訳にもいかず、婚約を持ちかけられれば断る事も叶わない。
オスカーとノエミはアサシンを派遣しようかと本気で考えた程だ。考え直させるのにエリナとアデルモは随分骨を折った。
そのためエリナは渡りに船とウィステリアへの留学を決めたのだ。オスカーも心配ではあるがジスランと婚約させられるよりはマシだと泣く泣く判断したのだ。
『本当に厄介な人だわ』
『そうですわね...。お嬢様がお許し下さらない限り奴を始末する事も出来ませんし、我々の力ではどうにもなりませんわ』
エリナが是とすればいつでもどうとできそうな言いぶりだ。
頼りたいのは山々だったがエリナもアデルモも人としてその一線を越えることは絶対に出来ないのである。
『もうこうなったら殿下を頼るのはどうでしょうか』
『...でも、殿下はお忙しいでしょうし』
(こんな込み入った事をお願いする訳にはいかないわ)
エリナは自分がクラウスのために動くのは当然の事のように思っている節がある。なのでこれに報いて欲しいとは露とも考えてはいないのだ。
『いいえ、お嬢様。殿下はお嬢様の頼みならばきっと叶えて下さるでしょう。それにあの方はそれを望んでらっしゃるでしょうから』
ノエミはだから殿下に頼りましょうと尚も続けた。
『お嬢様の休学の件も気に病んでらっしゃるようですし、ここは殿下の為と考えて思い切って参りましょう』
『うう...。けど』
背中を丸め尻込みしていると、ドアがノックされエリナは飛び上がった。
『イーゴンでーす。入りますね〜』
するとドアの向こうからいつもの間延びした声が聞こえた。
(どうしよう...!聞かれたかしら?)
『すみませ〜ん。聞こえちゃいました』
(やっぱり聞こえてたのね...)
脱力するエリナを余所に入室したイーゴンは頭をかいて悪びれる事もなく笑う。
『いや〜。すみません...。今朝はなかなか来ないのでどうしたのかな〜と思って来てみたんですけど。耳がいいもので』
『ええと、ちなみにどこら辺から聞いてました?』
『「厄介な人だわ」ってらへんですかね』
(結構じっくり聞いてましたね...)
『どうか殿下には黙っていて下さい』
エリナは殿下の手を煩わせる訳にはいかないと言う。
するとイーゴンは事も無げな顔で返した。
『なあんだ。殿下に頼み辛いなら自分に言ってくれたらサクッとお掃除して来るのに〜』
仲良しじゃん?と宣う彼は、あんたが行けないなら私が先輩のメールアドレスを聞いてきてあげるよ!みたいな乗りだ。
『違います!そう言う話をしていた訳ではないんです!』
とんでもない誤解である。すぐさま否定するエリナにイーゴンは首を傾げた。
『消えて欲しい人間がいるって話でしょ?』
『死んで欲しい訳ではありません!』
必死に訴える主人の後ろでノエミが「私は死んで欲しいですが」と独りごちる。
『殺す以外で何か良い案はないかと話していたんです!』
『あ〜。なるほど。じゃあ主に頼むのが早いですね』
(イーゴンさんはちゃんと話を聞いてたのかしら...!?)
『耳はいいですが頭の悪い男ですね』
『最近クセになってきましたよ〜。ノエミさんの毒舌』
『...頭だけではなく趣味も悪いのですね』
ノエミはエリナを汚らわしい物から庇うように引き寄せる。
エリナはと言うとノエミの腕の中でイーゴンに訴える。
『殿下にお願い事なんて恐れ多いです』
いくら多少仲良くなったとは言え、一王子に個人的な悩みを相談するなど有り得ない事だ。
エリナは図太い残念令嬢だが一応の一般論は持ち合わせている。伊達にトータル四十三年生きていはいない。
(それに、殿下とクソ野郎が関わるのは何だか嫌だわ...。殿下はウィステリアを良くするためにいつも頑張っているんだもの)
クラウスの邪魔にはなりたくなかった。
『そうですか?さっきノエミさんが言ってたみたいに主はエリナ嬢が困ってるなら助けてくれると思いますよ〜?』
『...そうかもしれませんが』
どうしても踏み切る事が出来ず懊悩する。
コンコン
そんな時だった。
部屋のドアがノックされる音がした。
エリナはまたしても飛び上がってしまう。
『君達さ、もう少し静かに話をしなよ。あと、入っていい?』
ドアの向こうから聞こえて来るそれは紛れも無くクラウスの声だ。
エリナはへなへなとソファに座り込みながら『どうぞ...』と力無く声を返した。
するとイーゴンが素早く扉を開いた。
『失礼するよ』
『...どうぞお掛け下さい...』
クラウスは小さなテーブルを挟んで対になっているソファにエリナと向かい合わせに座った。
『も〜!一人で来ちゃダメですよお』
『お前がいつまでも戻らないからだろ』
クラウスは目が不自由になって視覚以外が鋭くなっていた。自分の足音や空気の流れを感じる事により空間認識をし、慣れた場所なら自分一人でも目的地にたどり着ける。
今回はエリナの部屋が騒がしかったのですぐにここだと分かった。
『一つ言っておくけど、 俺に無断で人を始末しないで』
『分かってますって〜』
『どうだか』
クラウスとイーゴンの会話を聞いて、やっぱり殿下にも聞かれていたのね…とまた深くソファに沈んだ。
『で、俺に頼みって何?困ってるんなら言って』
『それは...』
『「誰もが人生の選択が出来る世の中」とかで無ければ可及的速やかに実現できると思うよ』
流石はウィステリアの扇の要と言うべきか、彼の権力を駆使すれば叶わない事はまず無いのではないかとエリナは思った。
『いつもの図太さはどうしたの』
黙りこくったエリナにクラウスは首を傾げた。なんとも遠慮のない言い様である。
『お嬢様は確かに図太い神経をされていますが、決して図々しい訳ではありません』
『ノエミさん。それフォローになってないかも〜』
イーゴンはからからと笑いながら言う。
『あの...、すごく個人的な事でして...』
『はあ...。君って本当に頑固だよね』
『殿下ほどではないかと...』
絶対助けたいクラウスと、負担になるくらいなら助けてもらいたくないエリナの論戦の火蓋が切って落とされた。
(うわ〜。長くなりそ)
構図こそ真逆だが、初めに呪いを解く謝礼の話をした時は難航を極めた二人である。
二人のやり取りを聞いてイーゴンはお茶でも入れるかと思い立ったが、すでにノエミが音もなく準備を始めていた。




