表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

エッセイについてのエッセイ

これ、エッセイに書く!?

作者: 鶴舞麟太郎

『詩』と『エッセイ』について、幾つかご意見を頂戴しました。改めて調べたところ、記述に不備があることがわかりましたので、後書きを中心に、いくつか追記しました。

 エッセイ大好き。鶴舞麟太郎です。


 最近エッセイジャンルが盛り上がってきてます。大変良い傾向です。


 思い返せば、6月から7月前半は危機的状況でした。日間の表紙に3桁ポイントの作品が無かったり、2ポイントでランキングに載れたり……。


 私自身、エッセイを何本か投下してみたり、年間ランキングや累計ポイント順に、評価が漏れていた名作を読んでポイントを入れ、評価されている作品数を増やしたりと、地道な運動も続けていました。その成果も多少あったのでしょう。100位が無いという事態は避けられました(※私はそう思っているんですが、大丈夫ですよね!?)。

 しかし、いつ欠番が発生してもおかしくない状況で、毎日ひやひやしながら、日間ランキングを見てました。


「忙しいけど……、このままだとやばいから、書けるうちに、またなんか投入しなきゃ!」


 と、思っていた矢先に、すごいのが複数個投入されました。口火を切ってくださった方々。そして、反論や擁護のエッセイを投稿してくださった方々。全ての筆者の方々に心から感謝申し上げます。



 ちなみに、前にも表明しましたが、私、鶴舞は、その日に投稿された短編エッセイ全てに目を通し、良いと思ったらどんどん評価しています。

 今回話題になった何本かのエッセイも全部読みました。同意できるかできないかは別にして、興味深い内容の作品を、数多く読ませていただきました。



 便乗すれば、今ならまだ『波』に乗れるんでしょうが、今回の『祭』に関する一連のエッセイ群や、その『筆者(●●)』に対しての意見は、あらかた他の方が書いてくださいました。


 ですから、私は、今回話題になった、文章ルール等の件とはちょっと別の視点から、とあるエッセイ群と、その『作者(●●)』に対する思いを述べます。




 タイトルを読んで、ご期待なさった方。残念ながら、そのご期待には添えません。


 ここまで読んで興味のなくなった方。遠慮は要りません。ブラウザバックをお願いします。

















 お読みいただけるんですね! ありがとうございます!!



 では、まず本編に入る前に、私の基本的な姿勢を知っておいてください。


1 その日に投稿された新着の短編エッセイには、必ず一度は目を通す。

※ゲームや映画のレビューなど、取り上げられている本体に興味がなかったり、元ネタを知らないと理解できないときは、読むのを途中でやめることもあります。



2 評価は良かったときだけ。自己評価が3以下なら★は付けない。

※低い評価だと嫌がる人がいるためです。

※★1~3でも良い方は教えてください。次から極力付けるようにします。ただし、それでも評価できない作品はあります。



3 評価を付けない作品には感想を書かない。

※アンガーコントロールの一環です。

※「感想を書かれたのに評価されてない!」というケースは、単純に評価の付け忘れです。必ず付けますので、遠慮無くご連絡ください。




 こんなMyルールのもと、平日なら15本前後、土日なら30本ぐらい新作を読んで、その半分から1/3ぐらいの作品を評価する。そして、気が向いて、なおかつ、時間があったら感想を書く。


 こんな感じで、毎日短編エッセイを読んでおります。



 エッセイとは、自分の体験や思いを自由に書き連ねた文章です。

 人間はいろいろ、筆者の経験も考えも十人十色です。そんな様々な人たちが書いて投稿しているわけですから、投稿作もバラエティにあふれていて、毎日飽きません。





 でもね、『全部読む』なんてことをしてると、読んでてつらい作品にぶちあたることがあるんです。


 これ、どんな作品だと思います?





 擬似科学的な内容を真実のように書き散らした話?



 違います。そのような作品を見つけたときの私の思いは、


・到底真実とは思えないことを広めようとする筆者への「怒り」

・そんな話を信じてしまう人への「哀れみ」

・評価が付いていたら評価者への「あきれ」


 このあたりでしょうか。頭にきたとしても、「つらい」と感じることは、ほとんどありません。





 賛否両論ありそうな話題について、一方的な意見で断言するように書いた話?



 これも違います。そのような作品を見つけたときの私の思いは、


・もしかしたら『祭』が始まるか!? という「期待」

・俺もなんか書いちゃおうかな! という「高揚」

・こんなこと書いちゃって大丈夫か!? という「危惧」


 このあたりでしょうか。これもドキドキすることはあっても、「つらい」と感じることは、ほとんどありません。




・個人的な趣味や、内輪の話?




 全く違います。そのような作品を見つけたときの私の思いは、


・興味がある内容なら:「評価できるかも!?」

・興味がない内容なら:「……スルーかな?」


 全く興味をそそられず、「ふーん、そうなんだ……」と、流すことはあっても、「つらい」とは感じません。



 ちなみに、こういう話が投稿されると、「そんなの割烹にでも書いとけ!」って言う方が、よくいらっしゃいます。


 でも、エッセイの基本は、『自分の体験や思いを自由に書き連ねた文章』です。内輪ネタだろうが何だろうが、エッセイであることに変わりはありません。というか、筆者の思いが溢れている作品は、エッセイとしては極々真っ当です(※だからと言って評価するかは別の問題になります)。

 そもそも、『枕草子』はエッセイ(随筆)ですが、あれ、よく読んだらわかりますが、内輪ネタのオンパレードです。

「○○が楽しい」「△△が好き」なんていうのは、平安時代からある書き方なんです。その内容に同意できるか、興味がもてるかは別にして、書き方に文句を付けることなんか、私には恐れ多くてできません。




 じゃあ、何なの?




 これ、本当にエッセイ? って作品を見たときです。




 昨年の春、私が投稿を始める前のことでした。

 どう見ても『異世界恋愛』か『ヒューマンドラマ』にしか見えない作品が、エッセイジャンルで、日間ランキングのトップになったことがあるんです。当時からの読者の方は、ご存じでしょう。


 その作品、純粋に内容だけを読めば、荒削りではあっても、決して悪くなかったと思います。



 問題は1つだけ。「一般的に言われる『エッセイ』とは、到底思えなかった」という点です。



 これについては、かなり多くの方が「投稿ジャンルを間違えていませんか?」って、感想に書いていましたので、私の独りよがりな思い込みではないはずです。



 ところが、その作者の方は、多数の指摘を受けながらも、また同じ系統の作品をエッセイジャンルに投稿してきたのです。

 結果、「これはミスではなく故意だ!」と、多くの方が考えたようで、反論エッセイがたくさん出て、結構な『祭』になりました。




 それを見た(であろう)作者の方は、しばらくは感想返信も含め、貝になっていらっしゃいました。

 その後、数か月経って、指摘のため書かれた幾多の感想に、コピペのような反省の弁を残し、くだんの小説は他ジャンルへと移行していきました。


 めでたしめでたし。





 ……ではないんです。


 こんな、『祭』が発生するような事案が過去にあったにもかかわらず、今なお、エッセイには、「これ、本当にエッセイか?」と疑われるような作品が、毎週のように投稿されています。


 皆さんがあまり気付かないのは、あの小説と違ってポイントが入らず、ランキングに現れていないだけの問題です。


 でも、私は知っているんです。だって、新着短編を全部一度は開いてるんですから。






 私が、「これ、エッセイ?」と思う作品には、いろいろなタイプがあります。その中で、「詩かな?」っていうのはまだいいです。基本的に短いので、すぐ読み終わりますから。




 別に、詩みたいで問題あるの? どう書こうと自由じゃん?




 こう思われた方。確かに自由です。私も、「いろんな書き方があっていい」とは思います。


 でも、『エッセイとは?』と問われたときの、基本的な答えの1つに『散文である』っていうのがあったと思うんです。

 自由詩であれ定型詩であれ、詩は『韻文いんぶん』です。散文の書き方と韻文の書き方は、それこそルールが違います。


 先ほど述べたとおり、どう書こうと書き方は自由なんです。でも、私個人としては、『句読点なし、短いセンテンスでバンバン改行する』 これは『散文』としてどうかな? とは思います。(※注:事実と異なる。後書きに追記あり)






 しかし、本当につらいのは、そんなレベルじゃありません。

 一例を挙げます。




 恋人との遣り取りが主題と思われる、ある『エッセイ』作品。ちょっと違和感を覚えるところはありましたが、「甘くも苦い青春の思い出だ。共感できた! すばらしい! 評価しなければ!」と思って、後書きを見ると……。


『この話はフィクションです』



 ……『ノン・フィクション』じゃないんですね。



 そうでしたか。作り話だったせいですか……。



 どおりで違和感を覚えるわけです。






 コノヤロウ! 実話エッセイだと思って、感情移入しちまった俺の心を返せ!!!!







 こんなことが度々あります。





 なぜジャンル詐欺で訴えない?




 残念ながら、現在の『なろう』のシステムでは、作者が「エッセイだ!」って言ったらエッセイなんです。はたからは、どんなに違うジャンルに見えても、作者が直さなかったら、ジャンルは動かないんです。




 運営さんが、どうにかしてくれないのか?




 運営さんは、こういうのはノータッチです。何か規約違反があれば、削除はしてくれるかもしれませんが、こういうのは規約違反じゃないので。少なくても動かしてくれることはありません。




 このようなエッセイを読んでしまったとき、私は、「つらい」と思うと同時に、「勿体ないなぁ」と考えます。


 例に挙げた作品だってそうです。

 その作品を読んで、私は心が動かされましたので、別ジャンルで見かけたのなら、確実に評価していました。でも、これは、「エッセイか?」と、疑問に感じたので、評価はしませんでした。

 ここで評価してしまっては、作者に誤ったメッセージを送ることになってしまいます。エッセイとは思えない作品を投稿し、日間1位を取った方が、2匹目のドジョウを狙ってしまった時のようになるかもしれません。ですから、評価したくてもできないんです。




 こう言った作品を、作者が何を思ってエッセイに投稿したのかはわかりません。




 一般的なエッセイの定義を知らなかったのか。


 エッセイなら何を投稿しても自由だと思ったのか。


 はたまた、「読者は少ないけど、感想や評価は入りやすい、チョロいジャンルだから、ポイントと感想を稼いでやれ!」と思ったのか……。




 でも、作者が自分の作品を「エッセイだ!」と強弁したとしても、読者に「エッセイじゃない!」と思われたら、基本的に評価はされません(少なくても私は評価できません)。

 逆に、ポイントがたくさん入ったとすると、当然ながらランキングに現れます。が、そうすると、きっと投稿ジャンルに疑問を持った方々から、たくさんの厳しいご意見を頂戴することになるでしょう(まさか叩かれたい!?)。


 どう見ても、本人にとって(読者にとっても?)害の方が多いようにしか見えません。


 そんな状況になるくらいなら、最初から別ジャンルに投稿した方が、トラブルもないし、正当に評価してもらえると思うんです。




 一応、「エッセイとは何か、よく知らない」と、いう方のために、エッセイに関する解説で、短くまとまっていたものを載せておきます。



1 自由な形式で意見・感想などを述べた散文。随筆。随想。

2 特定の主題について述べる試論。小論文。論説。

 出典 小学館デジタル大辞泉



 見ていただければわかるとおり、エッセイのカバーする範囲は相当広いんです。でも、『小説』と『エッセイ』は、『なろう』でも最初からジャンルが分けられていますよね。

 ですから、どんな系統の作品でも、『エッセイ』として良いかといったら、それははなはだ疑問です。



 これらを踏まえた上で、お伺いします。



 あなたが投稿しようとしているその作品。本当にエッセイですか?













 ちなみに。「エッセイだ!」と、言われたら、「……そうですか」としか、言う言葉はありません。






 ここまで読んでいただき、ありがとうございます。感想欄は開けてありますが、最近忙しいため、返信は遅れるかもしれません。





 さて、いつものをw


 もし、200字を超える長文の反論を書かれるのでしたら、ぜひ反論エッセイを投稿してください!(※擁護エッセイでも可w) 絶対そっちの方が盛り上がりますから!!


 このエッセイの感想欄に何か意見を書いたって、私を含め、数人しか読みません。あなたの素晴らしい考えを、ぜひ多くの人に知ってもらおうではありませんか!


 なお、文中にも書きましたが、私、新作の短編エッセイには必ず目を通していますので、お書きになるときは、短編の場合、感想欄で宣言していただかなくても大丈夫です。必ず読みに行きますので!

 また、ご自身の作品名を書くと宣伝行為で規約違反になるおそれがあります。どうしても感想欄に足跡を残したい場合は、『反論書く(書いた)ぞ! 読め! コノヤロウ!!』とでも書いてください。


 感想、応援、そして何よりも、反論(擁護)エッセイ、お待ちしています!! 







※注(8/8追記):『詩的エッセイ』という作品形態が存在することを知りました。『散文詩』の存在は知っていたのですが、恥ずかしながら『詩的エッセイ』については知りませんでした。ですから上記で触れている『句読点なし、短いセンテンスでバンバン改行する』は、エッセイの書き方として、問題ないことになります。

 本来なら上記段落を修正すべきなのですが、ここで修正して知らんぷりをきめこむのは卑怯な振る舞いに感じます。ですから、リサーチの甘かった自分に対する戒めのためもあって、あえて残しておきますが、本文中の記述は、事実ではなく個人の意見でした。お詫び申し上げます。


 なお、もし書き直すとすれば、下記の通りです。

【韻文(詩)ならば、読者の想像力を働かせるため、言葉をそぎ落として、情感をもたせますが、エッセイという散文ならば、自分の主張等をしっかり読者に伝える必要があります。

『詩的エッセイ』というものがあります。自由詩のような形態でエッセイを書いた物だそうです。この形態のエッセイは、見た目は詩に似ていますが詩ではありません。筆者の主張等がしっかりとなされているからです。つまり、詩に形式を寄せて書くからと言って、内容まで詩と同じようにしてしまっては、それは『エッセイ』とは呼べないのです。】

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[一言] 中盤のつっこみ めちゃくちゃ笑いましたw ためになり、面白いエッセイありがとうございました
[一言] ちょっとばかりハートが痛む内容でした。 今年の3月からゲームブックアプリのプログラミングについて書いているんですが、HowToとかいうジャンルがあったらそっちにしたかも。 間違いも含めて…
[良い点] 分かります、分かります。 たまにいますよね。 エッセイは、筆者のみの語りであって欲しいな……。ストーリーは論外ですね。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ