五、レイガー⑥
「シェル様、あなた、一体何をしたんですか?」
フォイの第一声は質問と言うよりは詰問だった。拒否権のないその言葉の真意がシェルには全く分からない。言葉に窮していると、
「あなたと一緒にいた後から、ゼール様の様子がおかしいんですよ!」
「ゼール様の?」
「あなた、レイガーが現れているゼール様に、一体何をしたんですかっ?」
フォイのいつもの柔和な態度や温和な表情は完全になりを潜め、今や険しい表情でシェルに問い詰めている。シェルは普段は見せないフォイの様子にオドオドとしてしまったが、
「わ、私は何もしてません……」
そう言うのが精一杯だった。確かにキスは迫った。しかしそれ以上のことはしていないのだ。やはり顔を赤らめてしまうものの、シェルのその必死の様子で事態を悟ったのか、フォイは語気を強めた。
「もしかして、本当に何もしていないんですか? レイガーが現れているのに?」
「そう、ですけど……」
「最低ですね」
「え?」
あまりにも唐突な言葉に、シェルは自分の耳を疑った。しかしフォイの顔には侮蔑の色がにじんでいる。シェルは何が起きているのか全く分からなかった。
何もしなかったことが、そんなにも悪いことだったのだろうか?
「はぁ~……」
本当に何も分かっていないシェルを前に、フォイがあからさまに呆れたため息を吐き出す。それから白い尻尾を左右にユサユサと揺らせながら、
「あなたがやったことは、レイガーの発作を酷くするだけの行為ですよ。覚悟もないのに、迫ったりして、結局は最後までさせないなんて……。生殺しにもほどがあります」
「そ、そんな……!」
「あなたの中途半端な覚悟のせいで、今、ゼール様がどれだけ苦しんでおられるのか、想像できますか?」
見下す視線と共に吐き出される言葉に、シェルの眼前が真っ白になっていく。
自分がゼールのためだと思ってやったことは、全くゼールのためにはならなかったと言うこと?
それどころか、今、ゼールをレイガーの苦しみの中に突き落とす行為になっていたなんて……。
シェルはもう、フォイに反論することすらできなくなっていた。そんなシェルにフォイはまだまだ言い足りないとばかりに言葉を浴びせかけてくる。その言葉が全て、今はシェルにとっての呪詛となりまとわりついてくる。
どうしよう?
自分は一体、どうすればいい?
ぐるぐる巡る思考の中、突然、閉まっていたはずの執務室の扉が開いた。
「その辺にしておけ、フォイ」
そこに現れたのは、ゼールだった。ゼールの髪は乱れており、上半身の服もはだけている。気だるげな眼差しをフォイに向けたゼールは、
「うるさくて眠れない」
そう言うと右手で髪をかき上げた。そんなゼールの登場にフォイはすぐに身体ごとゼールに向き直ると恭しく頭を下げる。
「これはこれは、ゼール様。お加減はもうよろしいのですか?」
「お前のヒステリックな声で、全然良くはないな」
「それは、申し訳ございません」
頭を下げているフォイだったが、その言葉はいつもの飄々としたものに変わっている。それとは違い、ゼールの方はまだ少し、呼吸も浅く苦しそうだ。
シェルは思わず駆けつけようとして先程フォイに言われた『中途半端な覚悟』と言う言葉を思い出す。
(また、私のせいで苦しませたくない……)
そう思うと、シェルの身体は金縛りに遭ったかのように全く動けなくなるのだった。
シェルが石像のように固まってしまっているのを見たゼールは、チラリとフォイに目配せをした。フォイはその視線の意味に気付き、そっと執務室を出て行く。フォイの足音が遠ざかったのを確認したゼールは、フォイがいなくなったことにも気付いていない様子のシェルへと声をかけた。
「おい、シェル」
「は、はい!」
呼ばれたシェルは背筋を伸ばして反射的に返事をする。そんなシェルにゼールは、
「汗をかいた。着替えを手伝え」
そう指示を出した。
自分が今、ゼールの世話係をしていることを思い出したシェルは緊張した様子でゼールの傍へと寄る。上半身がはだけているゼールの身体は確かに火照っており、汗ばんでいた。
「お背中、お拭きします……」
シェルは怖ず怖ずと言った風でゆっくりとゼールの背中へと手を伸ばす。広く、筋肉質なたくましい背中をただ拭いているだけなのに、ドクドクと心臓の音がうるさい。
(絶対この音、ゼール様に、聞こえてる……)
そう意識するほど恥ずかしさが込み上げてくるのだが、それとは別に気持ちが高鳴るのも感じるのだった。そんな状態だからか、上手く腕に力が入らない。ふと視線を感じて顔を上げてみると、肩越しにこちらを見ていたゼールと視線がぶつかってしまった。
「ゼっ、ゼール様……!」
思わずゼールの名前を呼んでしまうシェルに、ゼールは真剣な、それでいて熱っぽい視線をシェルへと向けている。それから身体ごとシェルへと向き直ると、
「今度は、気絶したりしないよな?」
そう言うゼールの言葉は熱に浮かされたようだ。シェルはどうしたらいいか分からず、ただ顔を赤らめるしかできない。
「無言は肯定と取る。いいな?」
ゼールの強めの言葉が続く。シェルは恥ずかしさから肯定も否定もできず、ただ顔を俯けるしかできなかった。そんなシェルの顎を持つと、ゼールは無理矢理シェルの顔を上に持ち上げる。