◆第9話 「高橋 仁志ー3」
▲高橋 仁志
《何故、人を殺してはいけないのか?》
数年前から、よく見かけるようになった。ネットで議論になっているのも見たことがある。
だいたいにおいて、その質問は、「人を殺してもいいでしょ?」を隠し持っている。当たり前だけど、人を殺してはいけないと思っている人が、「何故、人を殺してはいけないの?」とは聞かない。
だから、たどりつくパターンはいつも一緒。質問と回答というよりも、質問者をいかに説得するか。
説得の仕方は様々だ。精神論や感情論で訴える人もいれば、論理的な記述をとる人も若干だけど見られる。だけど、それらの議論は僕にはちぐはぐに感じた。
実は人を殺してはいけないなんて、そんなルール存在していないんだから。
人を殺してはいけない理由ってのは、法治国家においては、赤信号を渡ってはいけないというのと本質的には何も変わらない。
《何故、赤信号を渡ってはいけないか?》
それは、そう決められているからだ。
《何故、人を殺してはいけないか?》
それも一緒だ。それは、そう決められているからだ。
もちろん、赤信号と殺人ではレベルが違う。だけど、それは単純に敷居の高さにすぎない。赤信号 < 強盗 < 殺人みたいに、数式であらわされる程度の違いであって、その本質となっている部分は一緒だ。決められたルールを守るか守らないか、あるいは守れるか守れないかだ。
つまり、
《何故、人を殺してはいけないか?》
という質問は
《何故、人を殺してはいけないというルールを守らなければいけないのか?》
という質問に変換できる。
人を殺してはいけない理由。一番、簡単な理由付けは、人間が一匹狼ではなくて、社会的な動物だっていう理由だ。群れて力をなす動物だから、自分たちの群れの住人同士が殺し合うなんて、非効率的なことは当然禁止する。社会的動物である以上、そのルールは正しいように思える。
だが、人間の歴史と照らし合わせて、《人を殺してはいけない》というルールが実際に守られてきたかどうかというと、答えはノーだ。
人間は社会的な動物である。だから、自分たちの群れを自分たち同士で殺すことは禁止してきた。が、自分たちの群れを脅かすものは、たとえ、それが人間だったとしても、それを殺すのは正当化してきた。
その分かりやすい例が戦争だ。
理由は宗教だったり、単純に領土だったり、いろいろだけど、とにかく自分たちの群れの基盤を壊そうとする相手なら、殺しても非難されないし、それどころがしばしば賞賛される。
つまり、《人を殺してはいけない》なんてルールは存在していなくて(あったかもしれないけど、色々な理由から簡単に破られてきた)、あるのは《仲間を殺してはいけない》っていうルールだけだ。「敵」は殺してもいいけど、「仲間」は殺してはいけない。それが人間が長い間、作ってきて守ってきたルールだ。
問題は「仲間」をどう定義するかだ。市民は王様を殺したし、同じ国の住人同士で争ったことは一度や二度じゃない。信仰や肌の色やそういったことはいざとなったら関係なくて、生まれとか故郷とか、そういったものでさえ仲間の定義には不十分だったりする。
《何故、人を殺してはいけないのか?》のちぐはぐな感じはだいたいそこで引き起こされる。
質問しているものは、「何故、仲間でないもの(しばしばそれは、敵だけでなく、自分にとってどうでもいい人、自分と直接関係のない人、つまり害にも得にもならない人にまでいともあっさり拡張される)を殺してはいけないのか?」を聞いているのに、だいたいそれに答える人は、「何故、仲間(自分にとって大切な人、しばしばそれは、自分だけでなく、誰かにとって大切な第三者まで考えなしに拡張される)を殺してはいけないのか?」を答える。
「定義」が違うんだ。
一方は、殺してもいい=仲間でない=害悪、あるいは無価値=人。
片方は、殺してはいけない=仲間=価値がある、大切なもの=人。
人を殺してはいけないって言う人だって、車が通っていなかったら赤信号を無視することがある。赤信号を無視する敷居は低い。
この前、学校の近くで起こった大きな事故も、赤信号を無視したのが原因だった。子供が赤信号を無視して飛び出して、それを避けた車が交差点に突っ込んだ。
時として、赤信号は簡単にルールをやぶられてしまう。人殺しのルールも同じだ。人間が無価値だと思っている人、害悪だと思っている人はなおさらに、人を殺すことへの敷居が低い。ちょっとした理由付けをしてやれば、簡単に人を殺す。だって彼らは仲間じゃないんだから。
だから、思う。
《何故、人を殺してはいけないというルールを守らなければいけないのか?》と。
もし本気で「何故、人を殺してはいけないか?」と思っている人を説得しようとするなら、彼らが言っている「人」が、殺してはいけない仲間だっていうことをその質問者に納得させなくてはいけない。
「高橋君はねえ、結構一人きりになるのが好きだったりしない? 誰とでもすぐ仲良くなれるから、いつも友達に囲まれているけど、内心では、すごく孤独を感じてて、寂しくて、でも人望もあるからいつもまわりはにぎやかで、結構、高橋君自身もみんなといる時間をすごく大事にしてるんだけど……」
優の僕に対する見立ては、最後は意外な言葉で締めくくられた。
「みんなといつも仲良くしているけど、実は『仲間』だって思ってないでしょ?」
一瞬、場が凍り付いて、僕は優に「精神科医にならない方がいいよ」って冗談めかして言わざるをえなかった。
けど、「『仲間』だって思ってないでしょ?」。
その言葉は間違いなく当たっていた。