◆第5話 「殺人依頼ー2」
●殺人依頼
あのサイトで自分殺人を依頼してから、数日間、私は携帯とにらめっこをする毎日を過ごした。ピピッって音が鳴ったら、サッと携帯を取り出す。何回もピピッとサッを繰り返して繰り返して、だんだんそれでも落ち着かなくなって、暇さえあれば携帯を開いたままじっと見つめるようになった。そしてそれが目当てのメールじゃなくてため息をつく。
メアドを入力させる以上は、絶対何か連絡がくるはずだ。私はそう思い、ずっと携帯を手放さずにいた。端から見たら、きっと彼氏からのメールを待っているようにでも見えたんじゃないかと思う。
そりゃそうだ。誰も自分を殺してくれるメールを待ってるなんて思わない。
でも、私がそうやって待っても、メールが届く気配はまったくなかった。朝起きた時から、夜寝るまでずっと携帯を握りしめているのに。
連絡は何も来なかった。
無駄だったかもしれない。
数日間、張り詰めた精神が私をそんな気持ちにさせていた。人間の緊張なんて、そんなに長く続かない。あの出来事が起こってから、私はずっと張り詰めっぱなしだった。
握りしめた携帯をベッドの上に置いて、私は窓の外を眺めた。そう言えば、前に外に出たのは何日前だろうか。まぶしい日差しに照らされて、妙に自分がくすんで思えた。
このままじゃダメだ。
携帯を握りっぱなしで汗ばんだ手を見つめながら、私は何かにせかされるように街に出ることを決めた。特に用は何もないけど、家の中でじっと携帯を見続けるよりは、幾分ましだと思ったんだ。
街に出ると特にやることもなかったので、私はふらふらといつもの定番コースをたどっていた。つまり、洋服を見て、カフェに向かい、帰り際に本屋に立ち寄った。それは私のお気に入りのパターンで、たとえいいものが見つからなくても、いつもちょっとだけ幸せな気分になれる。
思えばそれは幸せのひとつの形だった。宝くじで一等が当たったり、運命の人と出会うほどではないけど、少なくとも、適切な塩加減でゆでられたスパゲッティー程度には幸せだったと思う。
その日は冬なのに陽気な日で、温かい日差しが私をぽかぽかと照らしていた。晴れの日に目一杯干したあとのふとんみたいにそれは私を包んでいて、私はぬくぬくのふとんに包まれながら、時間の流れはゆっくりと刻まれていた。街を行き交う人の顔にも自然と笑顔がこぼれている。
でも、落ち着かなかった。
街に出ても変わらない。携帯が気になって仕方がない。かわいい洋服を見つけても、ほっと一息つくはずのカフェでも、本屋で雑誌を見ているときだって、かばんの中に入った携帯に意識がいってしまう。そしてかすかなふるえを感じては、携帯を開く。携帯は何度も震え、私は何度も携帯を開いた。だけど私が何度、携帯を開いてもメッセージは届いていなかった。
当たり前だ。
だって、本当は携帯はふるえてすらいなかったんだから。
携帯を開くと、いつもの見慣れた待ち受け画面がただあるだけで、メールが届いた印はどこにも刻まれていなかった。私は自分がおかしくなり始めているのを感じていた。自分自身が怖く思える。
私は一体、どうなっちゃうんだろう。
あの事件以来、私はずっとおかしいまんまだ。
あの事件以来。
街に出たのは失敗だった。私はそう思った。家にいる時よりも集中できない分だけ、余計、携帯のことが気になってしまう。私はため息をつきながら、やはり家に帰ろうと決めた。
緊張がふっとゆるむ。
メールが届いたのはそんな時だった。
その時、私はすっかり疲れてしまって、家へと向かう地下鉄にのってわずかに眠りについていた。揺れる電車の中で、確かなふるえを感じた。私はびくっとしながら姿勢を起こし、急いでかばんから携帯を取り出した。
おそるおそる携帯を開く。
「メールを受信しました」
わずかに開いた携帯の隙間から、その文字が覗き見えた。私は違うかもって半分思いながらも、鬼のようにボタンを押して、メッセージを表示させた。
「5」
それだけだった。
なんだ、これは?
私はあんまりにも不思議で携帯を逆さにしたり、斜めにしてのぞいてみたり、振ってみたりしたけれども、やっぱりそれは5だった。
首をひねりながら、私はメールの送信者を確認した。頭の底から擬音がわき出てきた。なんだか分からないものが迫ってくる、そんな擬音が。
kono.adoresuha.gisousareteimasu.kokokara.watasino.syoutaiwo.ottemo.mudadesu.@asikarazu.goryousyou.kudasai
意識していないのに、ツバを飲み込む。現実と非現実。それが私を同時に襲った。
殺人依頼。
そんなのあるわけないって気持ちが半分。もう死にたいって気持ちが半分。嘘だったらいいって気持ちが半分。本当だったら楽になれるのにって気持ちが半分。
それらが複雑に絡み合って、もつれたコードみたいにこんがらがってしまっていた。私は自分の気持ちがよく分からない。
もう一度メールを見る。
「5」
意味不明なメッセージが、私を余計かき乱す。
これは一体なんなんだろう? 数字には違いない。でも、一体、何の目的で送ってきているのだろうか。このメッセージは何なのだろう。
それから私は、5の意味するところを必死で考えた。
5が関連すること。五反田、五目、五里霧中、五郎、五臓六腑。
ダメだ。途中からどうもおかしくなってしまった。もっと、真剣に考えなくちゃ。学校にいる時よりも頭を使う。ハードディスクがガリガリいうように、私は頭をフル回転させていた。頭の隅々まで検索をかける。
だけど私がハードディスクだったら、きっと明日にはゴミ捨て場に捨てられているかもしれない。私は自分自身の頭の悪さを呪った。
どんだけ頭をひねっても、それ以上、5に関連する言葉が浮かんでこなかった。5が関連する言葉がこんなに少ない訳はない。でも、きっと私の脳は目詰まりを起こしていて、どっかで引っかかっているんだ。それ以上、考えても5に関連する言葉は出てきそうになかった。私は発想を変えることにした。
5は素数、ローマ数字で書くとⅤ、Ⅴはブイ、五は五画。
そんな風に考えていて、ふと、違うことを思いついた。 私の頭も捨てたものではない。
携帯に目を落とした時に、目に飛び込んだもの。5は何か関連している言葉を意味しているのではなく、それ自体が答えなんだ。数字が表すもの。私たちの身近にあるもの。
時間だ。
5時。
私は携帯の時間を見る。4時58分。
怖くなって、あたりを見回した。
電車の中は、人がまばらだった。中年のくさいオヤジ。私と同じ女子高生。間違ったストリート君(ヘッドホンの音がさっきからうるさい)、化粧の濃いオバサン、部長っぽいオジサン。
この中の誰かが私を殺そうとしているのだろうか。もしそうなら、あのストリート君が一番あやしい。唇にピアスが光っているし、いかにも何も考えてなさそうな顔をしている。そういえばさっきから私をちらちら見てる。彼がそうなのだろうか。彼が突然、ナイフを取り出しても驚きはない。
いや、まじめそうな人間ほど、キレると何をしでかすか分からない。さっきまでどこかの部長に見えていたおじさん。そのおじさんが、ぼうっと外を眺めている仕草が急に不穏な動作に感じられる。あれは、目を合わせないようにしているだけじゃないのか。気取られないように、静かに、でも、視界の隅では確実に私をとらえている。そんなことを言ったら、あの女の子だって。
そんな風に私の頭は空回りを始めていた。けれども、見渡す中には私に銃をかまえたり、ナイフをかざしている人間も、それどころか私に近づこうとしている人間すらいなかった。誰一人として微動だにしない。ただ自分の世界で無関心に電車に乗っているだけだ。
携帯に目を落とすと、すでに5時を過ぎていた。
電車の音が復活する。ガタンゴトンと通り過ぎる。
関係なかったんだ。
思わずほっとする。
電車の外はもう暗くなりかけていた。光が通り過ぎ、電車はゆったりと左右に揺れていた。その揺れが私を揺らす。
黒と橙に染まった窓に、私の顔が映っていた。
やっぱりやめとけばよかったのだろうか。
自分でもあきれるくらい、ひどい顔が映っていた。