◆第3話 「高橋 仁志ー1」
▲高橋 仁志
僕はすべてのカーテンを閉ざした。そしてすべての電気を落とした。パソコンの電源はもちろん、スマホも電源を落とし、時計の電池すら抜き去った。つまり、中にも外にもわずかな光が漏れないようにした。
外はもう黒く塗りつぶされていて、わずかに月が白く空をにじませているだけだった。だから、すべての準備が整い、僕が蛍光灯のひもを三回引っ張ると、部屋には完全な闇が訪れた。
僕はいつもの要領で、蛍光灯の下からベッドまで手探りで移動する。僕の部屋には余分なものが何もない。僕の服、ベッドと時計、良いスマホ、ノートパソコン、その机、閉ざすカーテン、蛍光灯。
それがすべてだった。
それにベッドの下まで移動する順路は体が覚えていた。真っ暗闇の中でも、僕は何がどこにあるかを完全に把握していた。机が四歩先に進んだところにあり、その右奥、五歩ほど進んだところにベッドが横たわっている。
だから完全な暗闇の中でも、僕は部屋の中を完璧に頭の中で再現して自由に歩くことができた。暗闇の中、ベッドまでたどり着くと、僕はベッドに身を投げて息を深く深くはき出した。
そして目を閉じる。
真っ暗な部屋でさらに暗闇が訪れる。
この世界では何もかもが自由だ。
僕は頭の隅に追いやった女性の骨格を暗闇の中央へと引きずり出した。操り人形のように脳の真ん中ではねるその骨格は、一見すると、しまったときとまったく同じ姿のように見えた。だけどここで安心することはできない。
僕は3Dツールで回転させるように、その骨格を回転させはじめた。三百六十度、上下左右、すべてをくまなく点検する。拡大と縮小を繰り返しながら、傷がついてないか、曲がっている部分はないか。絵画の真贋を見極めるよりも厳しい目つきで凝視する。
特に頭蓋骨は慎重に点検しなければいけない。頭蓋骨が出来損ないだと、すべてが失敗するということを、僕はよく知っていた。だから、じっくりとゆっくりと頭蓋骨を拡大する。
白い凹凸は、ざらついた輝きを保ちながら、暗闇の中で薄鈍くほほえんでいる。まるで、次の作業を今か今かと待ちわびているようにさえ思えた。
失われた情報はない、僕はそう確信した。
人間には得手、不得手がある。短距離は遅いが、長距離だとずば抜けた成績を残す人間がいる。仕事はできないが、良い家庭を築ける人間もいる。演技はできないが、異性をだますのはうまい人間もいる。
それと同じように、僕は骨格を創るのは苦手だが、それ以外の部分を創るのは上手だった。自分で言うのもなんだけど、天才といってもいいと思う。
だから、それ以降の作業、つまり彼女の内蔵をつくり、肉付けし、血管を通し、神経をはりめぐらせ、脂肪を配置、筋肉をつなぎ、皮膚を重ねて、感覚器官、髪とまつげ、陰毛を生やし、性器をこねて、血液充填、忘れずに内臓を機能させ、彼女の脳に簡単な人格を植え付ける、といったことは僕にとっては簡単だった。実際、それらの作業はすぐに終わった。
最後に服を着せ、彼女を後ろ向きにたたせる。
そこまでの作業を終えると、彼女は歩き出した。僕は彼女を観察する。ぴったりと彼女の後ろについて、僕も歩き出した。街で歩いている時と同じリズムと歩幅で。
足をあげ、下げる。ただ、その単純な動作を五分ほど繰り返した。僕が足をあげると同時に彼女の足も上にあがり、僕の足が降りると同時に彼女の足も下につく。念のために、少しだけその確認を続ける。大事なのはリズムだ。リズムが正確でくずれないか。その一点だけに神経を集中させる。メトロノームのように律儀に正確に。
刻むリズムに耳を澄ませる。左右にきれいにふりそろえられた両足のはねる音。
どれだけ僕が厳しく律儀に確認してもリズムは変わらずに一定だった。
それはすべてが正しく行われたことの証明だった。僕はそこでようやくほっと一息ついて、ナイフを取り出した。
この世界では何もかもが自由だ。
だから、ナイフが突然出てくるし、僕が望めばそれは最高の切れ味を誇った。そして、僕はそれを望んだ。当然のように僕が手にしたナイフは、どんな芸術的な日本刀よりも鋭い刃先を誇っていた。
僕はナイフの柄を手の中でぎしりと握る。そして狙いを定めると、そのまま腕をふりあげ、渾身の力を込めて彼女の首をはねた。
当然、彼女の首は地に落ちて、僕と彼女の服は血にまみれた。にぶい音が鼓膜に響く。彼女の首は地面にはねるとそのまま、だらしなく地面によこたわった。
僕はそれから彼女の首を拾い上げた。彼女の首を胸元に引き寄せる。息を整え、深く空気を取り込むと、髪の毛から少しだけいい匂いがした。シャンプーの甘い匂い。その匂いはどこか懐かしくて、それでいて夢を見ているような美しさを感じさせていた。
僕はその匂いに満足すると、彼女の髪をやさしく束ね、突っ立ったままになっている彼女の体へと彼女の首を戻した。
そして彼女の首を元の体へと丁寧につなぎ合わせる。神経と神経を、血管と血管を、細胞と細胞を。顕微鏡で覗き込むように頭に拡大されたイメージを作り上げてつなぎあわせる。
それから彼女の頭と体がまた一つになると、彼女は激しくまばたきをした。
彼女はあたりを見回した。
僕の顔とぬれた服をみる。
彼女の服は血で濡れていた。
手を見た。やはり血だらけだった。
彼女は何が起きたのかわからずに混乱をしていたし、血だらけの景色は異常だった。だから、彼女が自分を取り乱して僕の肩をきつく握りしめたのは仕方がない事だと思う。
僕は左手で彼女の手をやさしく握りしめると、ほほえんで
「もう大丈夫ですよ」
声をかけた。
彼女の呼吸はまだ乱れていたし、何かを言おうとしているけど言葉にできない状態だった。それでも彼女は僕の言葉を聞いて、ほっとした表情を見せた。少しだけ口のはしに笑みが浮かんでいた。
僕は右手に持ったナイフを彼女の心臓に突き立ててみた。
彼女は自分の体に突き刺さっているナイフを見た。彼女はやはり何が起こっているか分からない様子だった。視線が交互する。彼女はナイフを見つめ、僕を見つめ、そしてナイフを見つめ、それを繰り返した。よほどショックだったのかもしれない。彼女はそれから嘔吐した。
しかし、あいにく彼女の中に食べ物は入れていなかったので、彼女は満足に嘔吐することはできず、絞り出すように胃液を少しにじませることしかできなかった。
「どうして?」
つぶやくように言葉を出して、前のめりに倒れて彼女は息絶えた。
彼女に自分がどうして殺されたのか分からないのは仕方がないことだった。僕も、どうして彼女が僕に殺されなければいけないかなんて分かっていなかったんだ。
ただ、一つだけはっきりしていたのは、彼女を殺しても、何千回も繰り返した今までと同じように、僕はやはり何も感じなかったということだけだ。